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三幕 暁の境へ飛んでゆく。

 警鐘とは物見台に下げられている銅製の板であり、これを木槌で盛んに打つ事で周囲の住民に危険を知らせるものである。

 また物見台は街に点在しており、常駐している衛兵が鐘の音を聞き次第、同様に木槌を振るう事で警報を伝達していく。

 その方位を確認すれば、市民はどの方角から危険が迫っているのか自ずと判断できる。

 陽が程良く傾ぎ、建物の壁が黄金色に染まる頃、それは鳴り始めた。

 行き交う人々はパニックになる事こそ無かったが、不穏な響きを聴いて微かにどよめき、足を止めて頭上を仰ぐ者も多かった。

 私は足早に市場を後にすると、宿に戻って部屋を検める。

 ベッドにはソフィが腰掛けていて、私を見ると寝台に両手を突いて上体を屈めた。

「おかえり。早かったわね」

「何が起きてると思う?」

 彼女は暢気に足をふらふらさせて首を傾げる。

「さあ?まあのっぴきならない事態なんでしょうよ。警鐘が鳴ってる以上、街にいる冒険者は一時間以内にギルドへ集合しなければ罰金刑だ」

「分かってるならさっさと支度する。それとこれ」

 ペンダントを突き出すと、彼女はそれを見て、それから私を仰いだ。

「何それ」

「あげる」

「あら、気が利くじゃない」

 存外ソフィは嫌な顔をせず、いつもの調子で蜜柑の硝子細工で胸元を飾った。

 立ち上がって、上体を捻ってみせる。

「似合うかしら?」

「そうね。じゃあ行くよ」

「ちぇ、連れない子」

 とは言えそれなりにドタバタと階段を駆け下り、暮れかけた空の下、通りを走って庁舎へ急いだ。

 トの字型の煉瓦建築は、いつもは見掛けない大勢の冒険者で溢れていた。

 本当に溢れており、この分では室内に入るのは至難の業である。

「えぇー、街の南東方面より、ヘルーンが飛来しております!現在は近隣の放牧地帯が襲われている状況ですが、このモンスターが平時に街の近くに現れる事自体極めて稀です!産卵期に入っている可能性が高く、市内への乱入も想定されます!各員、市街地に分散して待機し、襲撃に備えてください!市民の安全が最優先ですので、接敵した場合、人命救助を第一に行動するように願います!」

 外に出ていた職員が大声で叫んだ内容を吟味し、やがてぞろぞろと冒険者達が思い思いの路へ散っていった。

「クレア、私達はどうする?」

「ここに残ろう」

「え?てっきり宿の防衛に手を貸すつもりかと思ってたけど」

 ソフィが目を丸くする中、私は南東の空を見つめる。

「あの動物は目立つものが好きだから、来るとしたらこの庁舎付近だと思う。それに同業者は皆、多かれ少なかれ共闘は不得手だ。彼らが街中の人気のない方へと分散するなら、この一帯は人口の割に結構手薄になり兼ねない」

 言っている傍から、羽音が聞こえてきた。

 鳥のものだとすれば間隔が遅過ぎるし、重過ぎる。

 日を浴びて黄金に染まる黒鱗が、南東の空から飛来していた。

「わぉ、ドンピシャじゃない。やるわねクレア」

 私は黙ったまま頭上を周回するヘルーンを仰ぎ、舌打ちした。

「え、ちょっとどこ行くの!?」

 ソフィの当惑した声に背を押され、私が駆け出すのとほぼ同時に上空の黒竜がその向きを変える。

「本当にしつこい」

 奴が向かったのはマルトゥーリ唯一の学舎がある方角だ。

 恐らく馬を捕獲したいのだろう。

「ソフィ、マルトゥーリ高等学舎の厩がどこにあるか知らない?」

「……シューベルトの奴、余計な依頼しやがってっ」

 相棒は顔を顰めるが、実際のところ彼に非はない。

 それに報酬を貰っている以上、今更文句を言える立場でもないだろう。

「私も迂闊だった。嗅ぎ付けられた時点で馬を放棄させておけば」

「あぁ、それは無理ね」

「えっ、なんで?」

「あんた農家の生まれでしょ。馬の飼育って馬鹿みたいに時間と手間が掛かるし、一頭でひと財産なのよ。後で襲われるかもしれないってだけで、がめつい学士連中が手放したとは思えないわね」

 雀が二羽、鳴きながら通りを横切っていく。

 うららかな午後の斜陽を受けながら、私達は汗を散らして全力で駆けている。

 間もなく丹念に黄色く塗られた石壁に黒い瓦屋根が特徴の大型建築が見えてきた。

 私は跳びながら体を横に回し、右のつま先を地に着いて、左脚を後ろに振り上げる。

 途中、脹脛に両足を乗せたソフィが高々と跳躍する。

 学舎と、それから隣接する集合住宅の壁を交互に蹴り、屋根上へと登った。

 私はそのまま路地を曲がり、地表から厩舎まで回り込む。

 繋がれた馬達は頻りに嘶き、落ち着きなく足踏みを繰り返している。

 可哀想だがここで解放すれば、ヘルーンの動きが予測できなくなる。

 馬小屋に入る事なく、屋根の縁を跳んで掴み、上によじ登った。

 黒緑の翼獣は空を悠々と回っており、遠目には鳶によく似ていた。

 板屋根は走るとガタガタと不安定に音を鳴らす。

「ソフィ!」

「……ええ!」

 来た、来た。

 滑空だ。

 巨大な蜥蜴が降ってくる。

 背中に冷や汗が噴き出した。

 狙われる側から見るとこんなに速いのか。

 直撃すれば、バラバラに砕け散ってしまいそうだ。

 剣を抜いて、逆手に持ち、屋根に突き刺す。

 逃げるな、動くな。

 今にきっと、ソフィが。

「──があッッッ!!」

 横手から学舎の屋上を跳んだ緑髪の少女が、体を回しながら袈裟懸けに刃を振り抜いた。

 血は無かったが、翼膜が破け、はだけている。

 軌道が変わった。

 甲高く反響する叫喚を引き連れて、ヘルーンが私の頭上を隕ちていく。

 通り過ぎた後になって身を屈める私の紫髪が、遅れてくる突風に弄られる。

 次いで背後から咲いた爆煙が、厩舎ごと視界を覆い尽くした。

 砕けた石塔の足下で、黒緑の竜は四肢を漕いで盛んに呻く。

 その咆哮が、俄かに肥大した。

 頬に紅を走らせ、紫髪を額に張り付け、その黒々とした眼球の片やに、小娘が剣を打ち立てていた。

 満身の体重を乗せて、押し込む。

 さらに撥ねた返り血が口に入って、噎せるように鉄臭い。

「ぁあッッッ」

 ある一定の深さまで刃が埋まると、突然奴は首の力を抜いた。

 重々しい頭蓋が石床を弾み、私は衝撃で宙に放り出される。

 幸い細かな礫山に落ち、怪我もなく大の字になって彼の翼獣が見えるまで、ゆっくり顎を落とした。

 多分死んでいるけど、今にも起き上がってきそうな気もする。

 私は立ち上がって砂埃を払う間も、ヘルーンから目を逸らさなかった。

 逸らせなかった、と言った方が正直だろうが。


         *


 森を歩くのが冒険者の常であるが、その実、森に詳しい訳ではない。

 何度歩こうと所詮、学問の伴わない探行は理知の浅さを埋めたりできない。

 けれど、体が馴れていく。

「ッ」

 大きく開脚して横に一周、刃を横に払い切る。

 緑色の両脛が裂け、血弾が弾けて背後へ流れた。

 一つ目の亜人がつんのめって倒れてくる。

 左足を右に寄せつつ袈裟に切っ先を走らせた。

 ひれ伏す草色の体を横目にしつつ、剣を納める。

 マルブーは群れを為すが、極めて広範囲に散っている。

 スタッカートと呼ばれる舌と口蓋の発破温で互いの生存を確認する習性があり、一定の距離を保ちつつ渡り歩きながら狩りをする。

 魚や小動物を襲い、一度の食事で三月は生存できるという。

 移動型の縄張りを持っていると言ってもいい。

「クレア」

 小高い丘から樹に手を着いて姿を見せた相棒は、無表情にこちらを睥睨する。

「何体いた?」

「二匹よ。そっちは一匹だけか、運が良いね」

 息を吐いて足を進める。

 枝を踏み折って、ソフィが跳び降りてきた。

「今日はご指名だ。掃討するまで帰れないんだし、多い方が得でしょ」

「本気で言ってんの?」

 小走りで横に並んだ娘が呆れて眉を八の字にする。

「これって組合の金策でしょ?他のご同業に押し付けちゃえばいいじゃん。どうせ私達に狩り尽くせる数じゃないわ」

「マルブーはひとつの森にせいぜい五十やそこらしかいないって話だよ。さっさと片付けるに越した事はないでしょ」

「ひとつって……」

 相棒は信じられないとでも言いたげに辺りをわざとらしく見回す。

「どうやって定義するのよ、それ」

「さあ。きっと地続きに木立が続いている限りは、森林ひとつの範疇なんでしょう」

 ソフィは首を振ってそれ以上の問答を打ち切った。

 足下に積もる枯れ葉は乾いていて、歩く度にパリパリと音を立てて割れる。

 葉も段々と黄や赤に色づいており、漏れる斜光さえ金色で、私達は今、秋の只中を揺蕩っている。

 暫く黙って歩いた。

 ソフィと探索している間、会話を持つ事は一日に二回かそこらだ。

 パーティを組むなら本来三人から六人が定形で、その場合は探索の始めと終わり、小休止の三度は会議を持つのが通常である。

 意思疎通は冒険者にとって連携の要であり、怠る事は命に係わるのだと、どんな駆け出しも研修期間中にきつく言い含められていた。

「日没だ。カンテラ出して」

「はーい」

 二人で灯筒を立てて向かい合い、石鋏を繰って蝋縄に火を入れていく。

 曇り硝子の戸を落とし、腰に提げてまた探索を再開した。

 私達が生き急ぐ理由は二つある。

 ひとつは、自分達の命にどうあっても守り抜かなければならない価値を見ていないから。

 もうひとつは、どの道長く生きられないからだ。


         *


 私達はふたり並んで座り込んでいた。

 夜も更けだったが月が昇っていて、いつもよりは少し明るい。

 金鳴りが断続的に響く中、干し肉を齧って咀嚼する。

「見た感じ、モンスターの方が優勢ね」

 マルブーは個体間で共闘する事もある。

 知識としては頭に入っていたものの、この目にするのは初めてで奇妙な感じがした。

 男達は乱戦しているが、個々の能力こそ並みでも連携が取れていない。

 というより、同じパーティに属している訳ではないのだろうか。

 金髪を伸ばした青年と、短い黒髪の男が背中をぶつけ合って態勢を崩す。

「チッ、どけよ!」

「ぁあ!?誰に物を言って──」

 マルブーの一体が金髪君に棍棒を打ち付けようとして、首に刺さった短剣にひっくり返る。

 私は隣に瞳を移した。

「手は出さない筈じゃ?」

「流石に放っておけないでしょあれは」

 投擲した腕を軽く曲げ、ソフィは肩を竦めると、大儀そうに立ち上がる。

 私は糧食の残りを口に含んで眉を顰めた。

「これで三対五だよ。無視したところで多分、冒険者の勝利は揺るがない」

「誰かひとりでも死んだら気分下がるもの。あんたは来なくていいわ」

 茂みを突き破って走り去る相棒を見送り、私は耳を澄ませた。

 遠くの方で、盛んに葉擦れが鳴っている。

 マルブーは森に広がって棲んでいる。

 一定の距離を保ち、スタッカートで縄張りを主張し合う。

 距離が近付く理由は、定時連絡を打つ暇がない程、戦闘が長時間に及んでいるからだ。

「まだ集まってくるなら……」

 膝立ちになって剣を抜き、チラと藪の向こうを窺った。

 まあ、ソフィに任せて大丈夫だろう。

 起立してすぐ駆け出した。

 枝の先が頬を引っ掻く。

 木陰に揺れる人影が、得物を袈裟に振り抜いてきた。

 こちらも刃を振り下ろすが、違和感が脳裏を掠めて、らしくもなく鍔迫り合いを演じて顔を寄せる。

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