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断られないように

作者: 航 希

初投稿です。

なんて事ない社会人の休憩時間のお話。

一人だけでも刺さってくれる人が居たら嬉しいです。

「この世には二種類の人間が存在する」


「どうした、小早川。残業三日目でもう壊れたか?」


 時計の短針が八と九の真ん中に辿り着く頃、それは宮原の後ろの席から突然発せられた。宮原が振り向くと後ろの席の主、小早川は椅子にもたれ掛かり腕をだらんと下ろした状態で天井を見ていた。


 宮原と小早川は同期入社だったが、最初の数年は大して話すことはなく、二ヶ月前に同じプロジェクトチームになってから一週間で最初の数年分と同じ量の会話をした程度だ。そのプロジェクトも終盤に差し迫り、二人は静まり返ったオフィスの中、残業をしていた。


 残業も三日目となるが、ここまで仕事内容の会話のみで小早川から雑談が出るのは宮原にとって珍しいものだった。人懐っこい性格に加え、同期ということもあり、お互いの口調自体は軽いのだが、このプロジェクトが始まってから二人での雑談なんて一度もない。それどころか入社から通してみても、宮原と小早川が社交辞令以外の雑談をしたことなんて片手で数えられるのではないだろうか。


「その二種類とは、ずばり『誘う側』と『誘われる側』」


「……今朝の話、聞いてたのか」


 天井を見ていた小早川が首を更に仰け反らせ、天地を逆転させたまま宮原を見てニヤリと笑う。


「宮原くんって男女問わず色んな人を誘って遊びに行ったり飲み行ったりするよね。今日は全スルー食らってたみたいだけど……ははっ」


「えっ何、傷口に塩を塗る為だけに話しかけて来たん? もしかして三日連続で残業になったこと根に持ってる?」


「ごめんごめん、根に持っているわけじゃないよ。そもそもこのプロジェクトは私と宮原くんのダブルリーダーなんだから、承知の上だよ。でもそうだね、傷口に塩を塗ってしまったお詫びにコーヒーでもご馳走しようかな。てことで休憩、しない?」


 どうやら休憩するのにちょうどいい口実を探していたようだ。残業三日目ともなれば、多少の仲間意識が芽生えるのだろうか。宮原もちょうど一区切りがついて、肩の力が抜けていたということもあり頷いた。


「んじゃ、そこの自販機で一番高いやつを頼むわ」


「うわ、強欲じゃん。いってきまーす」





「で、二種類の人間の話なんだけどさ」


 コーヒーを二杯買ってきた小早川は、宮原にカップを渡す瞬間に話を蒸し返した。


「その話続けるのかよ……まあ、いいや。それで?」


「私は『誘われる側』。で、君は『誘う側』。この違いは何かなと思って」


 小早川は自身と宮原を交互に指差す。誘われる自分が偉いだとか、誘う宮原の姿が見苦しいとかそういう皮肉を言っている印象はなく、ただ単純に疑問に思っているようだった。


 確かに小早川が自身を『誘われる側』と称するのには宮原も納得できる。小早川は男女、上下関係問わず多くの人に飲み会や遊びに誘われる。宮原も幾度となくその場面を目の当たりにしてきたし、宮原自身も同期飲みで幹事の時には誘うこともあった。


 そして、その反対に位置する『誘う側』の宮原。飲みに行きたかったら同僚を誘い、複数人で行ったら面白そうなイベントがあれば即座に人を集めようとする。傍から見れば遊ぶことが大好きなイメージになるだろう。


「宮原くんは『誘う』という行動をする時、何を考えてる? あと『誘われる側』が何を考えてると思う?」


「……俺は別に何も考えちゃない。遊びたいから暇な人を見つけて、特に何も考えずに呼び掛けているだけに過ぎない」


 僅かに視線を窓の外に向けて答える宮原に対し、小早川は不満気な視線を送る。


「反対に小早川はどうなんだ。『誘われる側』は何を考えてる? 『誘う側』は何を考えてると思う?」


 回答を避けるように、自らは答えなかった問いを小早川へと投げつける。


「私? んー、私は誘われたらこの人にとって自分は価値がある、って思う」


「ほう?」


「誘うってさ、割と利己的な行為じゃない?」


 小早川の「利己的」という一言に宮原はほんの少しだけ怯んだ。


「まず、『誘う側』は自分にとって価値がある人を選ぶ。恋愛や友情、性格が悪い人なら駒になる人とか。そして自分が行きたい場所、自分が相手と行って楽しい場所を選ぶ。映画とか飲み会は分かりやすいよね。味の好み、趣味が同じ、もしくは何か共有したいもの。少なくとも誘った相手がストレスになる存在ってことはあり得ないよね。だから私は誘われたら価値があるんだなって思う」


「なるほどな……悪い、正直言うと小早川がそんなこと考えるタイプだと思ってなかった」


 自分から質問しておいて最低な考えだが、宮原は小早川がしっかりとした価値観を持っているとは思っていなかった。「誘われたから暇だし行く」くらいの回答を予想していただけに素直に謝罪をしてしまった。


「あ、ひどーい。私だってちゃんと考えてるよ。そうじゃなきゃ男性社員とのあらぬ噂がすぐ出るよ」


 小早川の意見はもっともだ。小早川の容姿は整っている方であり、小早川を恋愛的価値の下で遊びに誘う男性社員も多くいることだろう。そのことを自身も自覚している。しかし小早川はそれを謙遜する気もなければ自慢する気もなく、一つの手札くらいで考えていた。むしろ使い方を誤れば一気に敵が増える地雷手札ではないか、とも考えたことがあるくらいだ。


「私が人の価値観を決めることはできない。たとえ、価値を持ってもらいたくない人だったとしても、その人は私に価値を見出してしまうこともある。だから私の価値を上げたくなかったら意図的に対応が雑になる時だってあるし、誘いを断ることだってある。下心がある人からの誘いとか、乗ってもこちらにその気がなかったらしんどいだけだしね」


 小早川はそこまで話すと、一旦話すのをやめてコーヒーを飲み、小さくため息をついた。その様子から、過去に何かしら嫌なことがあったのだろうと察した宮原はなんて声を掛けるか悩むが、宮原の言葉を待たずに小早川は話を進めた。


「それで『誘われた側』の思考……というより私の思考になるけど、私はその誘う人がどんな意図で誘ってるかを読み取って拒否か承諾かを決めてる。誘われた場所が私の行きたかった場所だとしても、下心がある人や私に何か違う価値を見出した人と一緒に行くくらいなら一人で行けばいい」


 宮原へ視線を合わせることはなく、コーヒーの余韻に浸るかのように天井を見上げて語る小早川。その横顔に見蕩れていると小早川が不意に宮原に視線を合わせた。


「だからかな、宮原くんがわからないの。君の誘いはどこか断れない。あざといって言うのかな? いや、これは言い方が悪いね。宮原くんが私を誘うことは同期飲みしか無かったけど、断れないと言うより『断る理由がない』。他の人を見てもそんな印象がある。そりゃあもちろん今日みたいに皆予定がある時だってあるから勝率100%って訳じゃないだろうけど、イレギュラーが起こらない限りは楽しめる、そんな確信がある」


 小早川の視線が宮原の中に入り込み、身体をまさぐられているような感覚に陥る。今まで自分以外誰も入ってきたことの無い空間を見つけられた気分だ。


「たまたまだろ」


 居心地が悪くなり、宮原は小早川の視線から逃げるようにコーヒーを呷った。


 答えやすいように場を整えたつもりなのに、未だ回答をはぐらかす宮原に少し苛立ちを覚えた小早川は攻め方を変えた。


「ふーん、ところで佐野先輩と氷川先輩って仲悪いよね」


「そうか? お互い喧嘩腰ではあるけど仕事の相性は良いし仲悪いってほどじゃ--」


「宮原くんあの二人を同時に誘ったこと、ないでしょ」


 食い気味に告げられた小早川の一言に、宮原の視線が再度捕えられる。


「何が言いたい」


「あの二人が仲悪いのなんて傍から見たら分からないよ。私は本人から聞いたことあるけどね」


 小早川が何を言いたいのか理解出来た。が、この状態で反論すればボロが出ると感じた宮原は黙ることにした。


「二週間前かな? あの二人がちょうど仕事を終えて宮原くんも区切りが良かった日。宮原くんのさっきの言い方だと二人とも暇だから誘うよね。でも誘ったのは氷川先輩だけ。佐野先輩と氷川先輩を天秤にかけて氷川先輩の方が奢って貰えそうとか思った? それとも宮原くんは佐野先輩のことが嫌いだから氷川先輩を選んだの? そんなことないよね。佐野先輩に今度バスケの試合観に行こうって誘ってたし。それもたまたまで済ますの?」


 宮原からの反論がないと分かった途端、他人の家に土足で入り込むような遠慮のなさを見せる小早川。こんなに図々しいやつだったのかと若干引きつつ、コーヒーに口をつける。が、さっき呷ったことでカップの中身は空だった。気まずそうに再度宮原が小早川に目を向けると、回答を期待する視線が突き刺さってきた。


(……俺の誘い方がおかしいと感じたやつなんてこいつくらいだな)


 もしかすると宮原が知らない内にナンパや怪しい勧誘に捕まったのかもしれない。それで同じ『誘う側』にいる宮原のことを思い出し、こんな話を振ったのだろう。


「……人間っていうのはさ、誰しも点数をつけて選択するんだよ」


「点数?」


 宮原は観念したとでも言うようにゆっくり話し始める。


「小早川も経験あるんじゃないか? めっちゃ美味い飯屋とかオシャレな服ばかり売ってるセンスの良い服屋とか。こんなに美味しいなら、こんなにオシャレならリピートしたいって思うのに、そこが不良のたまり場だったり自分と心底相性の悪い店員がいると行く気がなくなったって経験」


「あーなくはないかな。店員が嫌な人だとあまり行く気にはならないよね。不良のたまり場なら一人は嫌だけど友達とかと一緒に行けば心強いと思う」


 小早川は右手を顎につけて情景を思い出すよう首を傾げる。こんな経験、誰にだって起こりうる出来事だと思うが、それが誘いにどう関係するのかよく分からなかった。


 宮原は小早川から同調を受けると話を続けた。


「それを例にすると美味しい料理を40点、店員がマイナス50点。合計するとマイナス10点。小早川は点数をつけたつもりはないだろうけど行かない選択をしたということは評価はマイナス。オシャレな店が40点、不良でマイナス50点、友達と一緒で30点みたいにすると合計はプラス20点で行く選択をとる」


「言いたいことは分かるけど……なんだかめんどくさい考え方だね」


 どんな出来事にも点数をつけてるの? と言いたげな表情。意識高い系が好きそうな理屈っぽい思考なのは宮原も承知の上だ。


「俺も自分の行動にいちいち点数なんかつけないさ。けど、誘う時は違う。俺は俺自身がプラスとして計算されると思っちゃいないんだよ」


 情けない話だけどな、と自嘲気味に宮原は笑う。こんな表情を見たことがなかった小早川は少しだけ息を呑んだ。


「俺は0点、いやもしかしたらマイナスかもしれない。だからプラスにすることで誘っても断られないようにしている。この前の氷川先輩を例にすると、あの日は打ち合わせの時間的に氷川先輩だけ昼休憩がかなり早くて空腹状態だった。この状態で氷川先輩好みの美味い居酒屋を紹介すれば加点、減点対象の佐野先輩を誘わなければマイナスにもならない。これなら断られないだろう……ってな」


「じゃあその後の佐野先輩をバスケ観戦に誘ったのって」


「ああ、佐野先輩はスポーツ観戦が好きだからな。氷川先輩と飲みに行ったことでマイナス点がつけられているかもと考えて、大きめなプラスを用意した。チケットをこっちで用意することで佐野先輩にデメリットはない」


 どうすれば誘いに乗ってくれるかではなく、どうすれば誘いを断られないか。それは一見同じように見えるが、一種の自己犠牲でないだろうか。


「もう一つ言うと小早川が誘われて断る理由がないと感じたのは、お前が気に入ってる飲食店を聞いたからだな。そして小早川が断らなくなるメンバーをある程度は知ってる。反対に小早川が来ることで断らなくなるやつも知ってる。ああ、だからと言ってお前にキャバ嬢みたいな対応をさせるつもりはない。席も小早川と仲がいいと確信出来てるメンバーで寄せたつもりだ」


 宮原は自分のことを大して知らないだろうと思っていただけに、小早川は驚きを隠せなかった。彼にとっては小早川自身も誰かの加点対象として見えるのだ。


「小早川は誘う時の思考を知りたいって言ってたよな? 俺は『誘われる側』の計算をこっちで先に計算してプラスだと思った時に誘ってる。これが答えだ。自分でも考えすぎだと思うし、つまらない人間だろ?」


「……宮原くんはその誘った遊びや飲み会を、楽しいと思ってる?」


「ああ、もちろん楽しいと思ってるよ。誘ってるんだからこっちは少なからず好意を持ってる。けどいくら計算しても俺自身の評価が大きなマイナスだとまず来ない。遊びの予定を入れたとしても、その日までに俺より点数の高い誘いが来たら断られる。それらがなく予定の日まで辿り着けた、それだけでも十分なくらいだ」


 宮原の答えに対し、小早川は数日前に別部署の同期達が宮原について話していたことを思い出した。


『宮原ってやたらタイミングよく飲み会とか遊びの連絡してくるよな。ちょうど暇してる時に来るから楽で良いわ』


『確かに。同期飲みとか別部署も一緒にってなると集まるの難しいのにね。宮原くんって運が良いのかな』


『分かるわー暇だったら宮原から連絡来るの待っときゃ良いって思ってる』


 決して宮原を悪く言っているわけはでない。むしろ褒めている会話なのは間違いない。が、宮原の話を聞いた後だと印象が変わる。タイミングが良い、運が良い、そんな一言で片付くものではない。


(憶測でしかないけど……多分宮原くんは別部署の同期の予定も考えて、仲のいい人が居ないなら行かない、と断られないようにメンバーを揃えたんだろうな。その計算の中にはさっきの私も入ってる)


 計算の一つと扱われて怒るかと思ったが、そんな気分になれなかった。ただ、悲しかった。


「なるほどね。じゃあ逆に誘われた時は? その時も点数考えてる?」


「誘われたことなんか滅多にないからあまり考えたことは無いな。こっちから誘わなきゃ選ぶ人なんかいないと思ってるし」


「うわー自己肯定感ひっく……」


 宮原の自己評価があまりにも低くて思わず引いてしまう小早川。


「仕方ないだろ、半ば無意識なんだよ。でもそうだな、もし誘われたら俺も小早川みたいに少しは自分に価値があるかもって考えになるかもな」


「おー、同じ価値観だ。それはちょっと嬉しいね」


「割と言わされた感はあるけどな……って、俺たちはなんでこんな長々と誘うだ誘われるだなんて会話してるんだ?」


 宮原のコーヒーはとっくの昔に飲み干されており、小早川のコーヒーも残ってはいるものの既に温かさは失われていた。思いの外、長話をしていたことに驚き、宮原はカップを捨てるために立ち上がった。と、その時、


「……この会話が始まったきっかけを思い出してみるといいよ」


 回答なんてないと思っていた疑問に小早川が小さく答えた。宮原は意味がわからず首を傾げて聞き返した。


「きっかけ? そんなの小早川がいきなり俺をバカにして、それでお詫びのコーヒーのついでに休憩に……」


 声に出しながら思い出していた宮原の口が止まる。何か気付いた宮原が小早川に視線を向けると、小早川は残りのコーヒーを呷り「ぷはっ」と息を吐いていた。そして、こちらを見てニヤリと笑った。


「このプロジェクト終わったらさ、映画行こうよ。その頃にちょうど観たい作品が始まるんだ」


 小早川はそれだけ言うと宮原のカップを奪い取り、自販機ルームへと捨てに行った。


(そういえば……)


 宮原は小早川が誰かを遊びに誘ってるところを見たのは初めてだった。

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