魔法
あの日から、ちょうど一ヶ月が経った。
あの日から、ちょうど一ヶ月が経った。
俺の生活は――まあ、相変わらずってやつだ。
奴隷という身分も、朝から晩までの重労働も、周囲の冷たい視線も、何ひとつ変わっちゃいない。
でも、それでも。
たった一つだけ、確かに変わったことがある。
それは――
「魔法が、少しだけ使えるようになった」ってことだ。
あの、ファンタジー作品でみんなが憧れた“魔法”。
世界中のオタクたちが涙を流して喜ぶ、あの異世界テンプレの象徴みたいな力。
かつての俺は「神様、チートよこせ!」なんて願ったこともあるが、今はもう言わない。
だって、ほんの少しでも魔法が使えるようになっただけで、俺には十分すぎるほど嬉しいから。
……なお、もう一つ授かった“加護”については、いまだに放置している。
だって魔法が楽しすぎるのが悪いと思います先生! ごめんなさい!!
(お水こぼれてるよ~! またベッド濡らすとこだった!)
ついニヤニヤしながら練習してると、魔力の制御がふっとんでしまうことがたまにある。これが地味に怖い。
「……いや、狙ってないからな? ちょっと魔法の練習してただけで――」
「ふ~ん? じゃあ次やったら“ノアールが盛大に漏らした”って、みんなに言ってまわるからねっ!」
「リオン様、それだけはマジで勘弁してください……!!」
そんな脅しにもめげず、俺は今日もこっそりと魔法の練習を続けている。
毎晩、布団をかぶって、小さな手のひらに魔力を集める。
最初は、ほんのりと手があったかくなる程度だった。けれど今では、ごくまれに火花が散ったり、ふよふよと水の玉が浮いたりもする。
ちなみに、魔力制御をミスってベッドを水浸しにしたときは、本気でもらしたと誤解されかけた。精神年齢27歳が“漏らした”とか言われたら、羞恥心で死ねる。いやマジで。
でも、そんなトラブルも含めて――魔法の練習は楽しい。
何より、“自分の力で何かを生み出す”って感覚が、俺の胸をくすぐる。
前の人生では、そんな経験なんてほとんどなかった。
ただ日々をやり過ごしていた俺が、いま少しずつでも努力して、成果を得ている。それだけで、心の奥がじんわりと温かくなる。
奴隷という立場じゃ、大きな夢なんて見られない。
でもそれでも、俺は俺なりに、前に進もうとしてる。
***
その日も、いつものように荷物運びの作業中だった。
最近は、「魔法で荷物浮かせられたら楽なのにな~」とか考えながら仕事することが増えてきた。まぁ、実際に浮かせられた試しはないんだけど。
「っ……いった!」
前方から、鈍い音とともにリオンの小さな悲鳴が聞こえた。
振り返ると、彼女が棚の角に手をぶつけて、しゃがみこんでいた。
「大丈夫か!? ちょ、手見せて。……けっこう切れてるな」
「へーきへーき、いつものことだし、放っておけば勝手に治るよ」
「……いや、ちょっと試したいことがあるんだ。動かないで」
俺は、そっと彼女の手をとった。
傷口を見つめながら、深呼吸する。
(集中しろ……大丈夫、イメージだ。癒しの光……温かくて、優しくて……傷が、ふさがっていく……)
手のひらに魔力を込めて、そっと彼女の傷へと重ねる。
……ふわり。
淡い光が、俺の手のひらにともった。
「……っ!」
血がにじんでいた傷口が、じんわりと落ち着いて、少しだけだけど塞がっていく。
(やった……! 初めて、癒しの魔法が成功した!)
「ノアール……今の、魔法? 本当に?」
リオンの目がぱあっと輝く。まるで子どものような無邪気な笑顔で、俺の手をぎゅっと握ってきた。
……なんか、こう、照れる。
「でも、まだぜんっぜん使えないんだよ。たまたま上手くいっただけで」
「でも、その“たまたま”がすごいんだよ! ね、ノアールってほんとに頑張ってるよね」
(……またそれか)
照れ隠しに顔をそむけると、その瞬間。
ピョンッ、と魔力が指先から弾けて、リオンのスカートのすそに火花が飛んだ。
「ちょ、ノアール!? 嬉しくてもそれはダメー!」
「ご、ごめん! マジで狙ってないんだって!」
そんなドタバタ劇を繰り返しながらも、俺の奴隷生活は続いていく。
でも、確かに――
俺の中には“魔法”という、小さな希望が芽吹きはじめていた。
小さな一歩。だけど、その一歩が、未来を変えるかもしれない。
世界はすぐには変わらない。
だけど、自分が変われば、きっと何かが変わる。
そう信じてみたくなるくらいには、俺の世界も、少しずつ――確かに動きはじめていた。
そして――静かに、運命の時が近づいている。