日常
昨日、あんなに強く決意したくせに――
朝起きた俺は、もうすでにぐったりしていた。
いやいや、気合い入れろ、俺。これが“本気で生きる”ってやつだろ?
「ノアール、起きてる? 朝の仕事、始まるよ」
そう声をかけてきたのは、同じ部屋で暮らすリオン。
生活スキルも気配りも、正直、彼女には完全に負けてる気がする。
「あー、うん……もう起きてるよ」
返事をしながらベッドから起き上がると、リオンがパンッと手を叩いた。
「今日の朝ごはんも、ちょっとだけ温めておいたから! 食べたら仕事行こうね」
「マジ、女神……」
(女神ほど可愛くないよっ! 早く食べてね!)
照れて顔を背けるリオンが、ちょっとだけ可愛かった。
よし、明日もからかってやろう。
この“奴隷生活”では、冷めた飯が当たり前。
でもリオンの“生活の加護”のおかげで、俺はほぼ毎食あったかいご飯にありつけている。……本気で、感謝してる。
***
食事を済ませた俺たちは、薄暗い廊下を抜けて荷物置き場へ向かう。
今日の仕事も、昨日と同じ。ただ荷物を運ぶだけの単純労働――でも、俺たちにとっては命綱だ。
働けば銅貨がもらえる。それを貯めれば……いつか、自由が見えるかもしれない。
「リオン、昨日さ……“加護”の話してたじゃん。リオンは“生活の加護”をもらったって言ってたけど、他にはどんなのがあるか知ってる?」
「うーん、詳しくは知らないけど……“火の加護”とか“戦士の加護”、“癒しの加護”なんてのもあるって聞いたことあるよ」
「へぇ……。俺は何になるんだろうな」
「神になる加護とか、貰えないかな?」
「ふふっ、何よそれ」
「きっと、いいのもらえるよ。ノアール、頑張り屋さんだから。神様、ちゃんと見てるよ」
――“頑張り屋さん”。
生まれて初めて言われた。……なんか、泣きそう。
その時だった。
後ろから、怒鳴り声が飛んできた。
「おい! ガキども、何のんびりサボってやがる!」
反射的に背筋を伸ばす。
昨日もいた、あの商会の従業員のオッサン。見た目からして圧がすごい。
リオンがぺこりと頭を下げる。
「申し訳ありません。すぐに作業に戻ります」
「チッ……余計なことしてる暇があったら、さっさと働け」
俺もリオンに倣って頭を下げた。
逆らったらどうなるかは、この世界の空気が教えてくれる。
命があるだけマシ――そう思えてしまうのが、怖かった。
***
作業を終え、ようやく寝床に戻る頃には、もう日もすっかり暮れていた。
腕はパンパン、脚はガクガク。けど……リオンと一緒なら、なんとかやっていけそうな気がする。
「ほら、今日もご飯、温めるね」
ふわりと灯る、手元の優しい光。
その温もりに、ちょっとだけ心がほどけた。
「ありがとう、リオン。マジで、リオンがいなかったら……俺、もう終わってたかも」
「ふふっ、なにそれ。大げさすぎだよ」
(いや、大げさじゃないんだよ……
日本生まれの俺には、“あたたかい飯”が食えるだけで、もう泣きそうなんだよ)
心の中でそんなことを呟きながら、飯を食べ終える。
シャワーを浴び、布団に潜り込んだその時だった。
「ねぇ、ノアール……」
リオンが、布団の中からぽつりと声を出す。
「……もし、私が先に売られちゃったら、ノアールはどうする?」
……息が詰まった。
考えないようにしてたこと。でも、現実は残酷だ。
リオンもわかっている。俺が心配しないように、言わなかっただけで、いつかその時が来ることを。
「……絶対、探しに行くよ」
自信はない。でも、震えずにそう答えられた自分を、ほんの少しだけ誇らしく思った。
俺は、リオンに幸せになってほしい。だから俺にできることは、なんでもやる。
「そっか。うん、わかった。じゃあ、私もそうする」
そう言って微笑んだリオンが、そっと俺の手を握った。
(なんで握ったんだよ)
(え、なんでだろうね?)
――恥ずかしい。でも、仕方ない。
「おやすみ、ノアール」
「……おやすみ、リオン」
誰にも見えない布団の中で、俺は強く、思った。
――絶対に、生き延びる。
――そして、自由になる。
――たとえ自分を犠牲にしてでも、この子の人生を守り抜く。
ノアールの人生を奪って、ここにいる。
その意思を、引き継がなきゃいけない。やり直しは、もうきかないんだ。
再び、覚悟を胸に刻む。
そんな決意を抱いたまま――
11歳の体は、静かに眠りへと落ちていった。