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5 この世で最も愛しい人 sideテイラー



 微睡みの中で、世界を見ていた。




 天使である母と愛を交わした人間は、ある国の王だった。


 けれど、戦火に見舞われ命を落とした。




 土地を転々とする俺たちは、当時天使であることをあまり隠さなかった。

 否、隠せなかった。


 力を出し惜しめば、命を落とす危険があるほど治安が悪かったから。






 天使の力が露見するほど、俺たちは狙われるようになった。

 なによりも、争いの絶えなかった当時は“治癒の力”が求められた。


 治療するだけならまだいい。

 中には、天使の血を利用して不死の兵隊を創り出そうとした愚か者もいた。



(人間の欲望にはもう付き合いきれない)



 人の欲望や悪意に触れるほど、俺は疲弊した。

 そして、そんな俺を心配した母はとうとうあの地で眠りにつくことにした。


 母と愛し合った人間が眠る土地。

 

 その地で眠りについて数百年。

 目覚めた時には、また人間の悪意に触れることになった。













「や~い、父なし~」


「お前の父親、どこにいんだよ~」


 姦しいガキ共が俺を詰る。

 睨みつけると、すぐに散り散りになってどこかへ逃げた。


「あっ、ちょっとそこのガキ共!なんてこと言ってんの!」


 誰かがいたような気がしたが、どうでもよかった。


(煩わしい)


 あの子供たちが悪いわけではないことはわかっている。

 あの言葉は、親が口にした言葉を繰り返しているだけにすぎない。


 けれど、荒みきっていた俺の心ではそれを許容できなかった。


(疲れた)


 起きてから、俺たちはターカリー伯爵家の当主だという男に保護された。


 そして、その男には妻がいた。

 俺たちを紹介した男は浮気を疑われたが、何の弁明もすることなく消えた。


 そのせいで、伯爵夫人に悪意を向けられるようになった。





(今日もか)


 あばら家のような我が家。

 その周辺には、悪臭が漂っていた。


 撒き散らされた残飯。

 ネズミの死骸。

 粉々にされた薪の木片。


(薪は別に粉々にされても困らないのにな)


 しかし、どんなに無意味な行為でもはっきりとした悪意は感じ取れた。

 それらをいつものように片付けようとした時だった。


「はあ!?なにこれ!」


 溌剌とした少女の声が聞こえてきた。

 振り返ると、平凡な顔の少女がいた。


 服装は平民のようだが、髪の質が綺麗すぎる。


(貴族か)


 嫌悪感から顔を歪めると、何を勘違いしたのか綺麗なハンカチを差し出された。


「これで鼻を塞ぎなさい」


「……………………」


 受け取らない俺に、強引にハンカチを押し付けてきた。


「さっき振りね。よくも私を無視してくれたわね」


「……………………」


「ちょっと、聞いてる?」


(うるさい)


 黙ったままの俺に、少女は途端に心配そうな顔をした。


「え、倒れそうなの?ちょっとまって、今は大人が……。いや、私でも手当はできるはず……」


 わたわたとしだした彼女の心の声が少し気になり、耳を傾けた。

 そして、衝撃を受けた。


『この子、栄養失調だ。こんなになるまで母さんは虐げたの?許せない……』


『いくら浮気相手の子どもだからって、この子に罪はないのに』


(そうか。あの伯爵夫人の娘……)


 数奇な出会いに、俺は気まぐれを起こした。


 キィー


「え、家に入れてくれるの?」


 ドアを開けると、弾けるような笑顔で俺を見た。


「ありがとう!」


 その日から、俺の心には彼女が……メイラ・ターカリーが住みついた。







 彼女は、まず俺たちの生活環境を変えた。


 家は新しく建てられた2階建ての新居になり、食事は新鮮なものが届けられる。

 天使としての力が落ち、寝込んでいた母には大量の薬と滋養食材が届いた。


(食材よりも、信仰があれば元気になるんだが)


 しかし、彼女に本当のことは言えなかった。

 天使であることは決して言ってはいけないと母から強く言われていたから。


 でも、本当のことが言えなくても彼女は母を助けてくれた。


「ねえ、お母さんまだよくならないの?」


「食事は?ちゃんと食べないとよくならないよ?」


 頻繁に家に来ては、母に食事を作る。

 その献身が、母への信仰となった。


 健康になった母を見た時、彼女は泣いて笑った。


 どうして泣くのかと聞けば、頭をはたかれた。

 彼女なりの照れ隠しだとわかっていたが、照れた理由はわからなかった。






 ある日、彼女が一緒に風呂へ入ろうと誘ってきた。


 12歳の彼女にとって、俺の体は異性として認識されていなかった。


 初めて、顔を赤くしながら起こった。

 恥ずかしいという思いと悔しいという思いが入り混じり、感情が混沌とした。


 この時に初めて、感情が二つ同時に存在しえることを知った。

 そして、彼女が泣いているのに笑っていた時のことも理解した。


(感情と同じように、表情も二つ以上同居することもあるのか)







 メイラに異性として認識されなかった事実に鬱々としていた時、王立騎士団というものに所属している人間に出会った。


 その男は、俺が王立騎士団を知らないことに驚愕していた。

 そして、必死に俺をそこの試験を受けるよう誘ってきた。

 恐らく、その男は俺が王立騎士団の試験に落ちることで、自分のすごさを喧伝したかったのだろう。


 その男の話の中では、騎士という身分が貴族とは別の社会的地位を得ることを知った。


(メイラは伯爵令嬢)


 今の状態では、ただの平民にすぎない。

 跡取りは息子いるから、きっと彼女は嫁に出される。


(駄目だ。絶対に渡さない)


 今の地位で彼女をもらえないのなら、それに見合う地位を得ればいい。




 誰にも行先を伝えることなく、俺はすぐに王立騎士団へ向かった。


(母もきっと、俺の選択を理解してくれる) 


 その後、帰還した時に母にではなく最愛のメイラからなじられることになるが、当時の俺はそんなことを予想できなかった。……まあ、結局絆されて許してくれるような甘い彼女が、俺は大好きだ。






 王立騎士団の訓練は、そう難しくなかった。


 ただ、天使の力が露見しそうになった危機は何度もあった。

 それだけが、難しかった点ではあるだろう。



 

 無事に騎士の称号を叙任し、ターカリー伯爵家の領地へ戻った。


 そして、思う存分メイラに愛を伝えている。






 

 鬱陶しそうにしているが、本当に嫌なら彼女は意地でも会おうとしないだろう。


(まあ、彼女にとって本当に嫌なことなど、そう多くはないだろうが)

 

 伯爵令嬢としての意地なのか、彼女は冷酷そうに振る舞おうとする節がある。

 しかし、彼女は誰よりも甘い。

 だからこそ、邪魔なハエ共が群がる危険性しかない。


(絶対に王都には連れて行かない)


 あそこには、軟派な人間しかいない。

 俺が伯爵家の領地に戻ろうとした時、同僚と名乗る男たちがついて来ようとしたため、切り捨てた。


 騎士の間では力こそすべて。


 訓練場で奴らをのした後、急いで彼女のもとへ向かった。

 あのハエ共がいなければ、もっと早くに彼女のもとへ帰れていたのに。


(……今度会ったら、もう一度入念に刻んでおこう)


 しかし、今は目の前の愛しい人に集中しよう。


「うわあっ!くるなくるなくるな!」


「メイラ。照れなくていい」


「ひぃっ!話が通じない……!」


 彼女はとてもシャイだ。

 俺は毎日でも抱きしめてあわよくばベッドに引きずり込みたいのに。


「なんで私がテイラーと付き合ってることになってるの!?」


 どうやら、付き合っていることが恥ずかしいらしい。

 まったく。それ以上のことをこれから先するのに、可愛らしいことだ。


「ちょっと外野!結婚コールすんな!」


「大丈夫。俺はいつまでも待つよ」


「こえぇ……。ストーカー発言だ……」


 彼女の心の中に、俺がまだ住みついていないことはわかっている。

 ……けれど、だんだん芽吹いているものがあるのもわかっている。


(こういう時、天使の力は便利だな)


 心を読まれることに抵抗がある彼女には悪いが、天使はそれ以上の深いものを見ることができる。


(例えば……愛、とか)


 彼女の中には、俺に対する“愛”が確かにある。

 たとえそれが俺のもっている愛とは違っても。


「大丈夫。俺と一緒になれるように頑張ろう」


「え、なに。急に脈絡がないし、こわい」


 テイラーはこんな日々を幸せに思った。

 愛しいメイラと会話して、同じ時を過ごす。


 そして、何よりも彼女に感謝しているのは、天使である自分を受け入れられたことだ。

 これは、彼女を愛さなければ成し得なかった。


 天使の力に辟易し、人間の欲望や悪意に失望していた中で、彼女だけが自分を救ってくれた。


(体の時間が進むたび、彼女への愛を感じられる)


 これは、天使でないと味わえない幸せ。

 そして、この体こそが彼女への愛の証明でもある。


「愛してる」


 口にした言葉は、今はまだ彼女には届かない。


 けれど、いつか届けてみせる。


「愛してるよ、メイラ」

 



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