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1 浮気すんならバレずにやれ



「キャアアアァーーーー!!」


 伯爵家の屋敷にヒステリックな女性の悲鳴が響き渡る。


 …………ここ最近、母は機嫌がよくない。

 その理由は、父の浮気が発覚したからだ。


 チリン チリン

 

「ちょっと、いい?」


「何なりとお申し付けください」


 ベルで呼びつけたメイドにあることを頼む。

 そして、私はある場所に向かう準備を始める。


(いつからこうなったんだろう………)


 仲が良いとは思わなかったが、それなりに家族として各々やってきたはずだった。

 けれど、あの親子が現れてから全てが崩れた。


「ファビオ一家………!」


 メイラ・ターカリーは、宿敵であるシャルル・ファビオとその子どもであるテイラー・ファビオを強く憎んだ。





 父、オリバー・ターカリーの浮気が発覚したのは、私が5歳の時だった。

 あの時のことは鮮明に覚えている。

 

 普段から寡黙で家にすら帰ってこない仕事人間の父が、珍しく家に帰って来た日だった。


 出迎えた母はすでに取り乱していた。

 多分、すでに手紙か何かで通達されていたのだろう。


 …………あの親子のことを。


 「ファビオ一家の面倒をみる」と一点張りの父と、「絶対に許さない」と泣き喚く母。

 そんな両親の姿をみる私と、いつもと変わらずボーっとしている兄のメイト。


 その日以降のことは、想像するのも容易い。

 

 母はさっそく例の親子に対して恨みつらみを吐き、陰で嫌がらせも実行した。

 そんな母に、あの頃の私は完全に同調できていた。

 …………怒りをぶつけるべき相手である父が、これまでと同じように家にいなかったから。


 私が同じようにあの親子を貶めるだけで母の鬱憤が晴れるなら、まったくそれでよかった。




 けれど、12歳になった私は気づいてしまった。


 ………母が行っていたおぞましい嫌がらせに。


 母はまず、彼らを町で孤立させた。

 あることないことを町の人々に吹き込み、村八分状態にしたのだ。


 最悪なことに、父は彼らを我がターカリー伯爵家の領地内に住まわせていた。

 そのせいで、母は領主の妻としての権力を存分に振るえてしまった。


 しかし、彼らの悲劇はこれで終わりではない。


 次に母は、彼らの周囲にいる人たちを脅した。

 絶対に、あの親子のことを助けるな、と。 

 何らかの形で手助けした場合、町全体を処罰すると宣言した。


 そこからが、あの親子の苦難の始まりだった。


 母の悪意のせいで衣食住が安定せず、かといって伯爵家の領地の外に出ることは父から許されない。地獄のような生活の中で、母の敵であるシャルル・ファビオは病に倒れた。


 彼女が病になった1年後、12歳の私は初めて彼ら親子の状況を知った。


 14歳の子どもは、食料に加えて自分の母親の薬を買うために懸命に働いていた。


 町でぼろきれをまとったヒョロヒョロの少女を捕まえ、私はその事実を知ったのだ。

 その少女こそが母の悪意によってボロボロにされた子どもなのだと。


 その事実は、母の悪意に同調していた私にとって衝撃的だった。




 

 

 その日から私はその少女、テイラー・ファビオに薬を渡しだした。


 …………母の意向に背いている自覚はあった。

 勿論、浮気の愛の結晶であるテイラーを助けることは耐え難かった。

 でも、それ以上に耐え難かったのは、病人に追い打ちをかける卑劣な行為をする母だった。


 あの親子を憎むのは別に構わない。


 けれど、その憎しみに目が曇り、弱者にまで手を出すようになっていく母は見たくなかった。手を出すのなら、健康になった相手に正々堂々とやるべきだ。


(私を育ててくれた人が、身を滅ぼす姿は見たくない)


 12歳になるまでに、たくさんの物語を読んだ私は知っていた。

 …………母のような人間を、かませ犬と言うのだと。

 母が悪意をふるうたびに、父とあの女の絆が深まってしまうのだ。


 そして、悪役である母は物語の終盤で断罪される。


(そして、私は悪役の娘だからモブな悪役に違いない)


 よく悪役には取り巻きが存在した。

 そして、断罪の際にはもれなく、その取り巻きたちも消された。


 数多の本の中から抽出した悪役の要素は、強き者におもねり弱き者を虐げること。


 だから、その典型的な悪役になっていた母の所業を止めようと思った。

 別にあの親子が可哀想だからじゃない。

 母が気持ちよく復讐するための下準備に過ぎない。


「浮気は、する方が悪い」


 潔癖なお年頃だった私は、当時強くそう思った。

 



















「お嬢様」


 18歳になった私は、花も恥じらうような乙女になった。


「お嬢様」


 艶やかな黒髪に、あんまり長くなくて少ないまつ毛。


「お嬢様」


 花も口も普通だけど、何故かちょっと小さめの目。

 でも、黒曜石のような瞳だとほめてもらったことはある。

 …………社交辞令で。


(だから、別に乙女であるかどうかは容姿に左右されるわけじゃ…………)


「お嬢様」


「しつこい!何度も呼ばないで!」


 ドレッサーの前でじっくり自分の姿を確認していた私は振り返った。


「…………テイラー、なんでここにいるの」


「私は貴方の護衛なので」


「部屋の外にいなさいって言ったでしょ!」


「それでは有事の際に御守りできません」


「テイラー!」


「はい、お嬢様」


「外!」


「それは出来ません」


「あああ”…………!!!」


 花も恥じらう乙女に、なんて声を出させるんだ。

 苛立ちで頭がおかしくなりそう。


 そう、この腹立たしい男はテイラー。

 

 テイラー・ファビオだ。


 …………お気付きだろうが、あの憎き女の子どもだ。

 当時の美少女然とした顔面に騙された。

 こいつは男だったのだ。


 同性だからと色々面倒をみてやったのに、この仕打ち。


 もしや、あれか?

 私が12歳の時に一緒にお風呂に入ってあげようとしたことを根に持ってる?

 それとも、男に襲われないようにと善意で教えた性教育が駄目だったのか?

 

 当時はなんでテイラーが顔を赤くして怒り狂っていたのか分からなかったが、男だったのなら納得がいく。…………まあ、この男の性別を知ったのは最近のことだけど。


(ほんとに、なんでこいつが私の護衛をしてるのよ!)


 3年前から音信不通になって、あの憎きシャルル・ファビオの面倒をこの私にみさせた輩が、半年前に我が伯爵家に押し掛けてきたのだ。


『お嬢様の護衛をしに来ました』


 そう言って現れたテイラー・ファビオは、すっかり青年になっていた。

 20歳の彼の体はがっしりしていて、明らかに鍛え抜かれていることがわかった。

 腰に差した剣には、王立騎士団の紋章が刻まれていた。


 つまり、この男は消えた3年の間に王立騎士団で騎士になり、ここに舞い戻って来たのだ。


 

 その姿を見た母は卒倒し、私は天を仰いだ。


 とうとう断罪の時が来たのだと思ったのだ。


 我が家は伯爵家ではあるが、王立騎士団となるとわけが違ってくる。

 貴族と騎士だと、土俵が異なるのだ。

 それに、王立騎士団は格が違う。


 この辺境にある伯爵家と王立騎士団の騎士を比べると、軍配が上がるのは騎士。


 つまり、私たちは負けたのだ。

 階級を笠に着てイジメぬいた私と母は、そのイジメていた対象に階級で負けた。

 

 王立騎士団は安易になれるほど甘くない。

 かく言う我が兄も、試験に落ちて断念している。

 …………まあ、あのボーっとした兄ならさもありなん。


 とにかく、破滅の命運を覚悟した私たちに待っていたのは想定外の事態だった。







「お嬢様」


「……………………」


「お嬢様、紅茶のおかわりはいかがでしょうか」


「………………………………」


「お嬢様、西日が強くなってきました。お部屋に入られますか?」


「…………………………………………」


「お嬢様、肩は凝っ———」


「だああーー!もう!うるッさい…………!しつこいよ、無視されてるって気づいてないの!?」


「お嬢様、そのように声を荒げると喉を傷めます」


「え、聞こえてる?私の声、聞こえてる?」


「お嬢様、そのように見つめられると…………。僭越ながら、私も男です。お誘いとあらば、もう少し夜が更けた時間であれば」


「バカたれめっ!何をどう勘違いしたらそうなる…………!」


 このような掛け合いが、毎日生じるようになった。

 そのせいで、私を恐れていた使用人たちが調子に乗る始末。


 ちょうどテラスの下にいた庭師が、こちらに声をかけてきた。

 

「お嬢様!今日も漫才ですかい?」


「うるさい、髭引っこ抜くぞ」


「お嬢様は下町の連中よりも口が汚いですなぁ」


「むしり取る」


「おお怖い。護衛の旦那、機嫌取っといてくだせえ」


「逃げるな!」


 じじいとは思えないスピードで逃げた庭師に、振りかざした拳が行先に惑う。

 そして、その震える拳に大きな手が覆いかぶさってきた。


「お嬢様」


「止めるんじゃない。あいつは一旦シバく」


「お嬢様。どうしても我慢ならないなら、この私をお叩きください」


 振り返ると、妙に目を煌めかせたテイラーがいた。

 …………叩いたら喜びそうな雰囲気を感じ、さっと拳を下ろす。


「ああ…………残念」


 言葉通り、とても残念そうな顔をする男に戦慄する。


 多分、彼は王立騎士団でしごかれ過ぎて性癖が歪んでしまったのだろう。

 虐げてられることに快感を見出してしまったのだ。


(…………いや、まて。今まで母や私に虐げられてきたという地盤があったからこそ開花した性癖…………?)


 不穏なことを考えてしまい、すぐに思考を停止させる。

 このことをこいつが知って、責任をとれと言われたら困る。

 こんな変態、絶対にお断りだ。

 

「…………というか、なんでここにいるの」


 そう、よく考えればこいつがここにいるのはおかしい。

 いくら護衛を自称したとしても、伯爵令嬢である私の部屋に許可なく入れるはずない。


「奥様から許可を頂きました」


「母上…………」


 どうやら憎しみに囚われていても権力に対する分別は失っていなかったようだ。

 本音としては、その権力に抗ってくれることを期待していたが。


「…………母上から何か言われた?」


「いえ、特に何も」


 嘘だ。

 あの母が、憎い女の息子に対して何も言わなかったはずがない。


「まあ、あまり気にしないことが肝要だね」


「…………お気遣い、痛み入ります」


「別にあんたのためじゃない」


 周囲をフォローするのは、すべて母のため。

 周囲から見ればただのヒステリックな人でも、私にとっては育ての親であり母だ。


 それに、浮気の結晶であるこの男は憎い。

 そして、浮気相手であるこの男の母はもっと憎い。


「お慕いしております」


 突然、テイラーは真っ直ぐに私の方を見て言った。


「私は嫌いだよ」


「承知しております」


「……………………」


 この問答では毎回、私が沈黙して終わる。

 それは多分、この男が想いが真っ直ぐに伝わってきてしまったからだろう。


(…………正気じゃないな)


 目の前のこの男も、憎しみに囚われ続ける母も。

 …………そして、きっと私も。


 


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