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一生のお願い


「本当に、馬鹿なんですか、貴方は」


 そうかな、俺はそこまでそうは思わんかってんけど。あぁでもそんな辛そうな顔で言われたら、そんな気持ちになってくるかも。

 なんて笑い飛ばす時間は、もう俺には残っていない。

 ……確かに、俺の自己満足だけだったかもしれない。

 けれど、それでも、君が生きていてくれるなら、俺は───。



 桜が風に乗ってはらはらと舞い降りる。俺がこの光景を見るのはもう三回目だ。正真正銘最後の、高校生活。とは言っても何も変わる事はない。新入生が入ってくるから新しい風が吹く、なんて事は起こりはしないと、この三年間で痛いほど知っている。

 そう思っていた俺は何も考えず、授業が終わった後いつも通り部活をしに向かった。毎年慢性的な部員不足に見舞われている弓道部。先輩たちは卒業したので今はもう、俺しかいない。


「有無も言わさず部長なの、何なんやろな」


 そう独りごちて、小さく笑う。笑って、愛用の弓を袋から取り出す。三年間ずっと手入れをして、全国大会にも一緒に行った、いわば俺の相棒。

 それに矢をつがえて深呼吸をする。的の中心から目を逸らさないように、神経を研ぎ澄まして、今───


「あの……ここって弓道部であってます?」

「へっ!?」


 急に声をかけられて、矢が思ってもいない方向に飛んでいってすぱーん、と気の抜けた音があたりの静寂を切り裂くように響く。的ではなく的の後ろの壁に命中したようだった。

 目の前で失敗したという恥ずかしさで振り返りたくはない、が。貴重な人材が入ってくれる可能性がある。もしかしたら廃部まっしぐらのこの状況を救ってくれる人かもしれない。


「あ、あってるけど、もしかして入部希望?」

「はい、駄目ですか?」

「良いけど、ここで良いん?見ての通り俺しかいないんやけど」


 少なくとも輝くような高校生活は送れないだろう。ここにあるのは使い古された的とボロボロの小屋だけだ。これからまだまだ伸びていくであろう新入生をここに縛り付けるほど、俺の心は据わっていない。

 そう心配する俺を他所に、その子は力強くこう告げた。


「ここが、良いんです」


 言葉の端々から感じる強い意志。その姿が何だか二年前の自分と重なって、少し懐かしくなった。思わず笑みを溢すと首を傾げられる。


「あの、何か?」

「いや何でもない、ちょっと懐かしかっただけやから」

「懐かしい……?」


 素直にそう伝えると、さらに困惑したような、そんな顔になる。

 元々顔に表情が出にくいのか、初めて彼を見た時は氷のようだと思ってしまったが、話すとそうでもないことに気がつく。

 意外と良い後輩が入ってくれそうだと思いつつ、取り敢えず名前を聞くことにした。


「それより君、入部希望やったよね。名前なんていうん?」

「あぁ俺は、時雨紫依しぐれしいって言います」

「じゃあ、紫依くんって呼んでいい?」

「良いですよ、何なら『くん』もなくて良いです」

「それは……俺が慣れたら、かな?」


 何でですか、と突っ込まれた気がするが華麗に受け流して俺も自己紹介する。


「俺は朝翡希あさひのぞむ、呼び方は……何でも、好きなようにどうぞ?」

「そう言われると逆に難しいんですが……じゃあ希先輩で」

「せんぱい……」


 高校生活最後の年で初めて先輩って呼んでもらえたっ……!え、どうしよう、めっちゃ嬉しい。こんなことなら去年先輩方にもっと言っておけばよかったなぁ。

 そう心の中で喜んでいると、紫依くんは俺が嫌だったと受け取ったのか、心配そうにこちらを見ていた。


「駄目、でしたか?」

「……いや、嬉しかってんな、先輩って言われたことなくて」

「あー……まぁそうですよね」


 ふふ、と目尻を少し下げて左手は口の近くに寄せて、小さく苦笑いする紫依くんを見て、あぁそんな風に笑うんだと思った。俺の最初で最後の後輩は、結構良いやつかもしれない。

 そんな感じで、俺しかいなかった弓道部には初めて、新しい風が吹き込んだ。



 スパンッ、と弾けるような、それでいて心地良い音が響く。そして俺の隣からは気の抜けたような、言葉に表せない謎の音が聞こえる。

 紫依くんが弓道部に入って早一週間。飲み込みが早かった彼は、早々にして弓を構え矢をつがえるまで行ったのだが、打つのはやはり、なかなか難しいようで。

 構えてる姿は絵になんねんけどな、とか思ってると不服そうな目を紫依くんに向けられた。


「なんか今、変なこと考えてませんでした?」

「構えだけは絵になるな、って?」

「十分変……というか失礼ですけど、それ」


 少し不貞腐れたようにそう返されて思わず笑ってしまう。そのまま諦めたようにボロボロの板の上に寝っ転がった彼に頑張れーと投げやりな声援を送る。すると、もっと真面目に言ってください、と後輩のくせにそう言ってきたので再び笑いながら紫依くんに近づく。


「ほら、俺の一生のお願いやから頑張れって」

「希先輩、雑ですね結構」

「失礼なやつやな、俺は至極真っ当に言ってますー」

「貴方が言えた立場じゃなくないですか……?」


 まぁ良いですけどね、と言って立ち上がった紫依くんは先程よりも違う雰囲気を纏っていて。あ、これはもしかしたら今までよりも一番良いのが打てるのでは、と思って期待して見守ることにした。

 新品の、まだまだ新しい彼の相棒に矢をつがえ、ゆっくりと構える。的の中心を狙うように、深呼吸しながら引く。俺たちの呼吸以外何も聞こえないその空間で、一つの音が走った。

 ───スパンッ、とさっきの俺と変わらない音が響く。


「おー……凄いやん!初めてちゃうん打てたの?」

「いやあの、ちゃんと見てみてください希先輩」

「ん?」


 紫依くんの視線につられて的の方を見る。すると的ではなく、一週間前の俺のように壁に突き刺さっていた。


「……まぁ、これからやで、うん」

「途端にがっかりしたの何なんです?」


 そんな訳!と返して俺も練習に戻る。

 まさか始めて一週間であの音が出せるとは、俺もまだまだ負けていられない。期待の新人である紫依くんに負けないよう、今まで以上に練習に励むのだった。



「紫依ー?」

「あぁ、ちょっと待ってくださいね」


 一年生の教室まで行って紫依を呼び出す。俺の右手にはお弁当袋。最近俺たちは一緒にお弁当を食べるようになった。何がきっかけというわけでもないが、紫依の弓道の相談を聞きながらお弁当を食べているうちに、それが習慣になってしまったのだ。

 準備が終わった紫依を連れて屋上まで上がる。もうすでに夏なので暑くてたまらないが、果てしなく広がる青空の下で食べるお弁当は結構美味しい。

 それもあるけれど、何より紫依と二人で話すのが楽しいというのもある。


「へー今年はサッカー部が人気なんや」

「そうですね、学年の半分がサッカーです」

「弓道も入って欲しかってんけどなぁ」

「ちょっと俺しかいないんで無理ですね」

「サッカーの何処がええねん」


 思わず俺がそういうと隣から笑い声が聞こえる。ちょっと腹が立ったので、紫依のお弁当箱にあった唐揚げを一個、箸を伸ばして食べる。

 あ、と声が聞こえたので仕方なく、俺の卵焼きを二つあげた。


「いや、全然違うんですけど」

「美味しかったで」

「え、ありがとうございます……って、そうじゃなくて」

「じゃあもう一個くれるん?」

「なんっ……ええ?」


 紫依の唐揚げは元々三個入っていて、俺が一個食べたので残りは二個。ここで俺にあげるとすると紫依は一つしか食べられない。もちろん育ち盛りの男の子があげるわけがないと知っているのであくまで揶揄うだけ。まぁそれでもやれるだけはやってみるけれど。


「俺の一生のお願い!なぁ紫依、駄目?」

「うぐ、希先輩って結構あれですよね……」

「あれってなんやねん」


 ついには頭を抱えて唸り出した紫依を横目に自分のお弁当を食べ始める。そこまで真に受けるとは思わなかった。そう思いつつぷちぷちとさやえんどうを食べていると、突然俺の目の前に唐揚げが現れる。


「え?」

「食べたいんでしょ?ならあげますよ」


 困ったように、けれどそれでも何処か微笑ましそうにこちらを見る紫依に何とも言えない感情を覚える。そして何となく餌付けをされる雛のような感じもして、先輩としてどうなんだとも思ってしまった。


「あ、ありがとう……?」

「何で自分から言っておいて疑問符つけるんですか」


 笑いながらそう言った紫依からもらった唐揚げは、何故かいつもより美味しく感じた。



「うわ、めちゃくちゃ緊張してきた」

「初めてやもんなぁ紫依は」

「だって大会ですよ、新人のとはいえ」


 今日は紫依の初めての大会。ちなみに俺は、元々引退しないといけない所を先生に内緒で続けているので大会に出場する事は出来ない。というかしたら怒られる。

 そよそよと心地の良い秋風が吹く。隣の紫依には北風が吹いているのではと言うぐらいの様子だが、本番には強い彼だ。何とかなるだろうと信じている。

 そして本番直前、定位置に向かおうとした紫依が突然こちらを振り向いてこう言った。


「希先輩、あれ言ってください」

「あれ……?って何やっけ?」

「初めて先輩が俺に『至極真っ当に』言ってくれたやつです」

「あぁあれね!……え、あれを?」


 正気か?と思って聞き返しても首を縦に振るばかり。正直俺には何が良かったのかは分からないが、大事な後輩の紫依の頼みだ。声掛けるぐらいなら安いものだと思って近づく。


「頑張れ紫依、俺の一生のお願いやから」

「──はい」


 そう言った途端、纏う雰囲気が変わった紫依に思わず笑みが溢れる。

 あぁ、これはきっと───。



「希先輩!俺、やりましたよ!」


 俺の想像通り、優勝をもぎ取ってきた紫依の頭をがしがしと撫でる。流石俺の後輩、自慢の後輩だ。

 本番の時、紫依は美しく、綺麗な姿勢で矢を放ち、そして的の中央に当てた。

 他校の生徒の多くは緊張からか外しまくるのに対し、紫依だけは上級者のような風格を見せた。本当にあの時の紫依はお世辞ではなくかっこいいと思った。身内贔屓はもしかしたらあるかもしれないが。


「凄いなぁ、もう俺を超えてるんちゃうん?」

「それは流石にないでしょう、希先輩は俺にとって一生目標なんですから」

「はは、嬉しいこと言ってくれるやん?紫依のくせに」

「くせにって何ですか」


 すっかり暮れてしまった太陽が、暖かく俺たちを照らす。橙色に染まる空が紫依への祝福のように思えて、俺はもう一度紫依の頭を撫でた。

 

 大会からの帰り道、いつものように雑談をしながら駅まで向かう。


「希先輩って引っ越してきたんですか?」

「そう、関西からここに、中学の頃やったかなぁ」

「成程、だからあんまりここら辺のお店知らないんですね」

「一言余計や」


 ぴしっと紫依にデコピンをして、その後二人で笑い合う。



 そんな何気ない、いつもと何ら変わらない、放課後のワンシーン。

 そんな中、ささやかな幸せの崩れる音が、刻々と迫ってきていた。


 ──幸いなことに、先に気付いたのは俺だった。


 普通に、話すために紫依の方を向いた瞬間、視界の端に捉えた光。

 俺は反射神経だけは良かったから、何も考えず紫依を突き飛ばした。

 光が何だったのかも、考えずに。



「え、希先輩……っ!?」


 紫依の表情が困惑や戸惑いから焦りに変わる。きっとその時彼が伸ばしてくれた手を取ろうとしていれば、あるいは、もしかしたら。

 ──なんて、今更だと知っている。

 突然すぎて、もしくはもう手遅れだからか痛みは感じない。どちらかと言うと紫依の表情の方が痛い。彼は珍しく、泣きそうな顔でこう言った。


「本当に、馬鹿なんですか、貴方は」


 俺の手を握って、小さくそう呟かれる。

 そうかな、俺はそこまでそうは思わんかってんけど。あぁでもそんな辛そうな顔で言われたら、そんな気持ちになってくるかも。

 なんて笑い飛ばす時間は、もう俺には残っていない。


「紫依、俺の、一生のお願い、聞いてくれる?」


 俺にとっては何度も言って、紫依を幾度となく困らせたりした言葉。

 ……これが正真正銘、最後のお願い。

 紫依が頷いたのを確認して、言葉を紡ぐ。


「───俺のことは、忘れて?」

「は……?」


 俺は紫依の枷にはなりたくない。俺には為せなかった優勝を為した君の枷には。

 ……確かに、その言葉は俺の自己満足だけだったかもしれない。

 けれど、それでも、君が生きていてくれるなら、俺は───

 ───俺は、それだけで十分だった。


「楽しかったで紫依、それと……」


 ……あぁそうか、これは言わないと心に決めたんだった。


「……いや、今までありがとう」

「っ、待っ──」


 揺蕩うような意識が、深く深く、沈んでいく。紫依の頭を撫でていた腕に、力が段々入らなくなっていく。その時、紫依の顔が、朧げに見えて。

 せめて最期は笑って欲しかったなぁ、なんて。場違いすぎる願いを抱いてしまった。



 矢をつがえて深呼吸をする。的の中心から目を逸らさないように、神経を研ぎ澄まして、今───

 スパンッ、と的の中央に命中する。

 いっそ清々しいほどの音が響くものの、俺の心が晴れるはずもなく。

 辺り一面の銀世界を今日だけ……いや、今日も恨みたくなった。


「何で、最後に言うんですか、あんなこと」


 右手に持った弓に、無意識に力が入る。その弓は希先輩のものだった。

 あの日、何も考えずこの場所に帰ってきて、立てかけられていた希先輩の弓だけは、何も変わっていなくて。無意識にそれを取り出した時、一枚の紙が落ちてきたのだ。


『頑張る紫依へのプレゼント!まぁいらんかったら捨ててくれ』


 ……間違いなくあの人の字でそう書かれていた。

 いらない訳がない。他でもない、希先輩のなら、尚更。

 そして俺が希先輩の弓を受け継いだその数日後、何となく過去の弓道の大会の成績を眺めていたら、俺にとっては知っている──いや、知りすぎている名前を見つけた。

『弓道全国大会 準優勝 朝翡希』

 そういえば、俺が新人大会で優勝した時、希先輩は複雑そうな表情をしていた。もしかしたらこれが、心の何処かで傷を作っていたのかもしれない。それは今となっては分からない。ただそれでも、貴方の意思は継ぎたいと思った。

 だから今の目標は全国大会で優勝すること、なのだが。


「……忘れられるわけがないじゃないですか、希先輩」


 俺がどれだけ貴方に憧れていたか、貴方を目標としていたか。

 そして、どれだけ貴方を───尊敬していたか。

 冷たくて、心さえ凍ってしまいそうな程冷たい空気を、胸いっぱいに吸い込む。

 吸い込んで、的の中心を見据え、力強くこう呟く。


「絶対、全国大会では優勝してみせますから」


 優勝して、願わくば貴方の隣に並びたい。いや、優勝しないと貴方の隣に並ぶ資格はないと、俺がそう思っている。

 時間にしてしまえば、一年にも満たない短い時間。

 それでも俺にとっては長くて、それでいて大切な時間だった。

 


 日課の朝練を終えて、冬の寒空を見上げる。

 今日は時折雨が降ると言っていたのに、今は雲一つない綺麗な朝日が、俺の大切な場所を見守っている。

 吐いた息が白くて、自分の目元でさえも冷たくて。

 ───それでもなお、朝日は俺を暖かく照らしてくれていた。



 紅葉が風に乗ってはらはらと舞い降りる。俺がこの光景を見るのはこれで二回目。

 深呼吸して、矢をつがえる。構えて、中心から目を逸らさずに。


『頑張れ紫依、俺の一生のお願いやから』

「……ええ、やってやりますよ、希先輩」


 清々しく、そして美しく、俺にとっての思い出の音が、会場全体の静寂を切り裂くように響き渡る。


「弓道全国大会、今年の優勝者は───」


 ───高校二年、時雨紫依。

 

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