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7。あの子は話があるようです

 

 すぐ目の前に、私の髪を撫でる長い指がある。骨張ったその指はしなやかで、形の良い爪は短く切り揃えられ、ささくれなんて知らなさそうな肌をしている。

 私の指とは大違いの、その指の持ち主は、うっとりするほどの整った顔を少し悲しげに歪めていた。


 今、何が起きてるのか分からなくて思考停止している、いや、何が起きているのかは理解している。というか、幽体離脱でもしているんじゃないかと言うくらい、遠くからぼんやりと眺めているような感覚…になっていたのはほんの一瞬の出来事で、私はハッと我に帰る。


 しかし、蒼麻くんが私の髪を弄んでいる、と理解はしても思考が追いつかない。なんで?


「髪に何か付けてるんですか?」


 目線を上げた蒼麻くんと目が合った、バチンッと感電したように弾かれたような気がして慌ててしまう。


「…へ?!あ!あ、あぁ、あ!何もつけてないよ!朝からお風呂入ったから!かな!あはっ!」


 体は動かないのに、口から出た言葉は言い訳のように早口で焦っているよう。


「…お風呂?シャワーじゃなくて…もしかしてお湯に浸かりました?」


「え?うん…昨日入らずに寝ちゃったから…」


 蒼麻くんはパッと私の足を見る。


「…これ昨日より腫れてますよね、お風呂に入って痛み出ませんでしたか?」


「うーん、実は浸かってる時にズキズキしてきちゃったんだけど…冷やしたら大丈夫だったよ。お湯に浸かるのはダメだったかな?」


 今にも泣きそうな顔をしている蒼麻くん、なんで君がそんなに痛そうな顔をするのよ…、困っちゃうじゃないか。

 まぁそんなお顔を見ちゃったおかげで?私の方は落ち着いてきた。ふー、イケメンの男の子が近くにいるって緊張するわ…。


「捻挫って軽く言いますけど、靭帯の損傷なんです…お風呂に入って血流が良くなると痛みが強く出たりするので…昨日もっと圧迫して、ちゃんと伝えておけば良かった…」


「靱帯…そうなんだ、知らなくて…捻挫とかした事なくて、なんかごめんね…?」


 苦しげに顔を歪めてしまった蒼麻くんの肩を撫でると、蒼麻くんは顔を上げて少し微笑んでくれた。


「望月さんが謝る事じゃないですから…今日はお仕事に…?」


「うぅん、流石にお休みもらったよ。朝、寝返り打った時に痛みで起きちゃって、今日明日休んだら治るかな〜なんて、思ったり?」


 少しだけホッとしたように息を吐いた蒼麻くんは、一瞬何かを考えたような顔をして取り敢えず座りませんか?とソファーの方を見た


「あー、そだね、何か飲み物用意するよ」


「実はさっきコーヒーショップに寄ってきたんです、良かったらどうぞ」


 あら、そのショップの紙袋の中身はまさかの私用だったのか。

 差し出された紙袋にはカップが2つと何かの包みが1つ入っていた。


 カップが2つあると言うことは、蒼麻くんは元から部屋に入るつもりだったってことかな?

 別に部屋に入ってもらって困ることは特にないから良いのだけれど、異性とはいえ蒼麻くんのようなイケメン男子高校生は私のような喪女オタクのアラサーには興味ないだろうし、何か話したいことがあったのかも知れない。

 あの不安そうな顔は、もしかして何か相談したいことがあるのかも??


 私は脳内で瞬時にそう解釈した。きっとそうだ、何か大人に相談したいことがあったが、一人暮らしの蒼麻くんはすぐに頼れる大人が私しかいないのかも!


 私が力になってあげなければ!


「ドリンクは何がお好みか分からなかったので、ショップの人にオススメをお願いしました。包みの方は昨日のハンバーグと筑前煮のお礼です」


 私は密かな決意と共に、ソファーに座りながら紙袋を受け取る。


「お礼なんて良かったのに、開けてもいい?」


 蒼麻くんが頷いたので、私は包みを取り出して包装紙を開いてみる。


「わぁ、可愛い」


 中には猫の形をした小瓶に入ったハチミツと、ドリップコーヒーのセットだった。ドリップコーヒーのパッケージにも猫の絵がある。


「壁に猫のモチーフのモノがいくつかあったので、猫が好きなのかなって…思ったので」


「うん!大好き!」


 小瓶の猫を撫でていると、蒼麻くんが紙袋からカップを取り出してくれた。


「えっと…キャラメルラテと、チャイティー?ラテです、どっちもアイスなんですけど…どっちがお好きですか?」


「え〜、どっちも美味しそうだなぁ」


「両方飲んでも良いですよ」


 蒼麻くんは優しく笑いながら私をみている。なんだその子供を見守るような微笑みは…。


「いやいや、じゃあ、チャイティー頂くね」


「はい」


 蒼麻くんはチャイと書かれたシールの貼ってあるカップにストローを刺すと、私に渡してくれた。


「ありがと〜、ん!むっちゃ美味しい!蒼麻くんも一口飲んでみる?」


 シナモンやジンジャーなどのスパイスの風味がしっかりしているけれど、ミルクが濃いのでスパイシーな感じがまろやかになっていて飲みやすい。蜂蜜の独特の甘みもよく合っている。これはぜひ蒼麻くんにも味見して欲しい!行ったことのないお店だけど、今度自分でも買いに行こう。


「…いただきます」


 …!!!うぎゃーーーー!!やってしまったぁ〜!!!

 ほんの一瞬の間と、ビタッと止まってしまった蒼麻くんをみた瞬間にやらかしに気づいた。遅いわ!


 さっきまでヨーコ先輩が居たのもあり、つい、本当に何も考えずに、いつものようにヨーコ先輩とシェアするような感覚で差し出してしまった。


 しかし手を引っ込める前に、蒼麻くんは手を伸ばし私の持っているカップを受け取るのかと思いきや、私の手ごと掴んでストローに口をつけた。


 ひえ…今時の高校生ってみんなこんな感じなの??シェアしちゃうの平気??もしかして間接キスとか今は言わないのか?そんなことないよね…??掴まれている手が熱を持っているように熱い気がする。


「ん…チャイっていうのは初めて飲んだんですけど…変わった味がするんですね」


「あ……えっと、シナモンとか、生姜とか、いろんなスパイスが入ってるミルクティーなんだよ。苦手だった?」


「初めてだったので、ちょっとビックリしたんですけど…結構好きかも」


 何も気にしてない様にニコリと微笑んでくれている相手に、間接キスとかいうと逆に嫌がられてしまいそうな気がして、話題には出さないことにした。

 むしろ話題に出してしまうと、私が居た堪れない…ここは大人の余裕で乗り切らねば!とか言って余裕なんて一切ないけどね!!


 蒼麻くんはキャラメルラテの方にもストローを刺し、一口飲むと


「こっちも、キャラメルがほろ苦で美味しいです。飲みますか?」


 と差し出してくる。


 うぐっ…これ自分がした後だから要らないって言いにくいし、逆の立場だったらすごく嫌な気持ちになってしまう。

 これはただのシェア…、間接キスじゃない。違うったら違う!


「わ〜…ありがと〜…頂こうかなぁ〜………?」


 私は意を決して蒼麻くんの持つカップを受け取ろうとしたが、何故かカップを渡してもらえない。


「…?」


 なんで?と思いながら蒼麻くんをみる。


「どうぞ?」


 蒼麻くんはすごく良い笑顔で私にカップを差し出してくる。手を離す気は無いらしい。


「…あ、はい」


 私は差し出されているストローにそっと口をつけて一口飲む。ラテはキャラメルの濃厚な甘味とほろ苦い味がちょうど良く、コーヒーとミルクによく合っていて美味しいはずなのに、正直味がわからない。主に緊張で。


「ありがと、おいしい…です」


 ぎこちなくなってしまったのは、気づかれてないことを祈るしかない。

 蒼麻くんがどうこうというわけではなく、そもそも私は、非モテのアラサーオタクなのだ、男慣れなどしていない。


 ぐちゃぐちゃになってしまった感情を落ち着かせるために、チャイティーラテを飲んだが、飲んだ瞬間にまた間接キスなのに気づいて崩れ落ちそうになる。

 いや、そもそも最初にやらかしたのは自分なので、蒼麻くんは何も悪くない…一口貰ったから、一口返した…ただそれだけで深い意味なんてないんだろう。


 男慣れしてないせいで、自分ばかり意識してるような気がしてきて、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。

 高校生相手に何を狼狽えているんだ、大人の余裕を見せろ!


 私は自分の気持ちを奮い立たせるように言い聞かせ、よし!と気を取り直して、隣でストローを咥えている蒼麻くんの方を向いた。

 私が自分の方を向いた事に気づいた蒼麻くんは小首を傾げ、フッと微笑んだ。


「…?」


 「どうかしたか?」とユア先生の声が聞こえてきそうな気がした。

 うぅ〜!!斜めの角度はユア先生そっくりすぎて、私の余裕を見せると言う決意は一瞬にして崩壊しかけた。

 だが、私はなんとか踏みとどまって、彼はユア先生ではないと、自分に言い聞かせて話を切り出す。


「んんっ…えっと、今日は…その、昨日の夕飯の容器の返却と、お礼の品をわざわざ持ってきてくれてありがとう」


「こちらこそ、ご馳走様でした。ハンバーグも筑前煮もすごく美味しかったです…」


 蒼麻くんは丁寧にお辞儀しながら、美味しかったという単語を噛み締めるように言う、お口に合ったようで何よりだ。

 だが、今日の本題は多分それじゃない、時折見せる悲しげな顔や、苦しげな顔の理由を聞いて、解決してあげなくては。


「良かった。それで?今日はどうしたのかな?何か話したいことがあった?」


 私は極力優しく聞こえるように、蒼麻くんに声をかける。

 蒼麻くんは驚いたように目を見開く。


 あれ?これで勘違いとかだったら、凄く恥ずかしいんですけど?

 ちょっと不安になっていると、蒼麻くんは少し言いづらそうに口を開いた。


「何か話したそうにしてるの、気づいてたんですか?」


「え?うーん…なんとなく、ね。大人だしね!」


 取って付けたように大人を強調して胸を張る、実際、ハッと思いついて言った事だから取って付けた感は間違いないのだけど。


 蒼麻くんはまた少し悲しげに微笑む。


「僕は今から、望月さんが答えにくいことを聞こうとしてます」


「え?…そうなの??」


「はい…」


 なんだろう…何か聞かれて困ることがあっただろうか…スリーサイズ?いや、そんなん聞いてどうするんよ…私自信、自分のスリーサイズなんて把握してないんですけど?って、それは絶対聞かれること無いでしょ!バカか私は…。

 え??本当に何???


 何を聞かれるのか見当もつかなくて、はてな顔になっていると


「でも…先に足首、テーピングしましょうか…僕、テープ持ってきたので」


 と、蒼麻くんは手に持っていたカップをソファー前のローテーブルに置き、斜め掛けしていたボディバッグから肌色のテープやハサミを取り出し始めた。

 あ、あの肌色のテープ見たことある!自分はテーピングとかしたこと無いけど、たまにヨーコ先輩が手首にしてるのを見る、あとはスポーツしてる人が貼ってるのとか、マンガとかで。


 さっきまで何を聞かれるのかと恐々していたのなんか忘れ、今はもう、ちょっとワクワクしながら、蒼麻くんのすることを見ていると、こちらをチラッと見た蒼麻くんと目が合った。


 ニコッとすると、フッと笑われた。なんで?


 ソファーから立ち上がった蒼麻くんは、私の前にしゃがみ込んだ。

 なんか既視感…昨日もこんなことあったな。


 今朝貼った湿布を剥がそうとしたら、湿布は貼ったままでも良いらしく、そこからは蒼麻くんに言われるままに足を差し出し、テープを巻いてもらった。

 手際よく貼って、巻いていく蒼麻くんにどうしてそんなことできるのか聞いたら、部活で結構テーピングするらしい。あ、部活何か聞きそびれた。


 しかし何より!人生初のテーピング!ちょっと嬉しい!


「ちょっと立ってみてください、曲げにくいとは思いますが…踏み込んでも痛みはないと思います」


「ん…」


 先に立ち上がった蒼麻くんが手を差し出してくれたので、私はその手を借りて立ち上がる。


「おお…!すごーい!痛くない!!すごいすごい!」


 足踏みしたり、軽く屈伸してみたり、蒼麻くんに手を引かれなから数歩歩いてみたが、さっきまでのひょこひょこ歩きとは大違いだった。

 足首が痛めてる方向に曲がらないように固定されてるので、多少の歩きにくさと言うか、違和感はあるが、全然これは歩ける!


「固定してるだけで、治ってないですからね。あまり飛び跳ねたらダメですよ」


 痛みがないのが嬉しくて、蒼麻くんの手を握ったままぴょんぴょん跳ねていたら、叱られた。笑っていたけど。


 そうよね、痛くない=治ったじゃないもんね。


「はーい、…あ!ごめん!なんかずっと握ってた!」


 私は握ったままブラブラさせていた蒼麻くんの手に気づいて、慌てて手を離した。

 ふー、こんなのを蒼麻くんの彼女に見られたら怒られちゃう…こっちにそんなつもりが無い事故だったとしても、好きな人が他の女の人に手を握られてたら嫌な気分になるよね。


 きっと蒼麻くんには可愛くてふわふわな彼女がいるんだろうなぁ〜、細っこくて、おしゃれで、ずっと守ってあげたくなるような!

 わ〜!!いいなぁ!可愛い彼女、私も欲しいなぁ〜!妹みたいな感じかな?着せ替えしてお洋服いっぱい買ってあげたい!

 私は別に同性愛者では無いけど、可愛い人は男の子も女の子も大好き。大好きって、別に性的な意味はなく、単純にカワイイから好きって事、猫も可愛いから大好き!って言うのと同じ感覚ね。

 アイドルの名前分からないけど、可愛くてキラキラで見てて応援したくなる、それにオタクはすぐ好きなものに課金したがるからな。


 蒼麻くんの彼女を勝手に妄想して、すごく可愛い女の子と並んでいる蒼麻くんを想像する、すごく良き…。

 美男美女のカップルって見てるだけで目が癒されるよね…。


「…なんか変なこと考えてませんか?」


 蒼麻くんにジト目をされた。

 え〜、そんな顔もできるんだ!可愛い〜!


「え?えへへ、してないしてない〜!うふふ〜」


「絶対してたでしょ…」


 はぁ、とため息をつかれてしまった。ふっふっふ、イケメンは妄想されちゃう生き物なのだよ。諦めたまえ。



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