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閑話 こっち側の話。蒼麻side01

 

 5月末、じきに梅雨に入りそうな湿った風が火照った頬を撫でていく。洗い立ての洗濯物から、自分の使う洗剤とは違う甘い香りがして、頬がまた熱くなるのを感じる。


 保存容器の入った小さな布袋を、中身が傾かない様に持ちながら早足に歩く。

 早く帰ってご飯を食べたい、まさか望月さんの手料理をたべれるとは思ってなかった。思わず顔がニヤけそうになる。いや、ニヤけていたかもしれない。


 今日は色んなことが一度に起こりすぎて、少々キャパオーバー気味だが、このふわふわした気持ちは最高に心地良い。


 大事な物を失くしたと思ったが、結果的にその失くし物のお陰で大切な人の危機に遭遇できて、最悪を回避して、また手元に戻ってきた。やっぱりあの人形は魔法の力があるんじゃないかと思ってしまうほど。



 一人暮らしをさせてもらっているアパートの部屋は、望月さんの部屋に比べると暗くて冷たい感じがする。

 ものが少ないせいだろうか、色味が寒色系で統一してしまったせいだろうか。どっちもだなと思いながら、大事に抱えてきた布袋から2つの保存容器を取り出す。

 この部屋にはないピンクとグリーンの蓋が眩しいくらいに鮮やかに感じる。




 電子レンジに容器を入れて温め直しながら、今日のことを思い出していた。




 大事にしていたぬいぐるみのキーホルダーが失くなったことに気づいたのは、日課にしているランニングに行こうとした時だった。

 歯医者の待合室にいた時には確かにあったので、歯医者から家に帰るまでの何処かで落としたのは間違いない。

 慌てて家を飛び出し、スマホのライトで照らしながら帰ってきた道を逆に辿っていくと、近道で通った公園の遊歩道の真ん中に、中身が盛大に散らばったバッグが落ちていた。

 こんな落とし物、普通するか?と不審に思いながらも近付くと、近くの茂みで物音と呻き声の様なものが聞こえ、まさか誰かが倒れているのではないかと思った自分は、声をかけてスマホのライトを向けてしまった。


 しかしスマホのライトで照らされた物を見て、正直心臓が止まるかと思った。


 胸をはだけさせた女性が男性に抱きつかれていたのだ、まさかこんな所でカップルの野外セックスに遭遇してしまったのかと焦り、考えも無しに迂闊に声をかけ、ライトまで向けてしまった自分を叱りつけ、今すぐに逃げ出したい気分になったのも束の間、走って逃げ出したのは自分ではなく、相手の男の方だった。それも女性を突き飛ばして。


 突き飛ばされた女性が倒れる時、スマホのライトが当たったことで顔が見えた。その恐怖に歪んだ顔を目にした途端、心臓が大きく跳ね、背中がゾワりと震えた。


 最近、この周辺で痴漢被害が出ていると学校で注意喚起されていたし、歯医者の待合室で眺めていたスマホのネットニュースでも読んだばかりだった。

 男の自分には関係ないと、そもそも身近で起きるはずないと他人事に思いながら。


 キーンと耳鳴りがするような緊張の中、恐怖に歪んだ女性の横顔がフラッシュバックする。


 もちろん誰であっても無事でいて欲しいが、お願いだから望月さんではありません様にと、必死に願いながら蹲る女性に近付く、近づけば近付くほど、希望が渇いた泥のようにボロボロ剥がれていくような感覚がして怖かった。



 あぁ、この横顔は間違いなく望月さんだ。



 無事を確認するために近寄ると、彼女の服は胸元が大きく破れ、白い肌と、大きな膨らみが露わになってしまっていた。

 血が逆流していると錯覚するほどの怒りを感じ、自分がこんなにも怒れるのかと逆に冷静になれた。

 咄嗟に着ていたジャージを脱いで望月さんの肩にかけると、彼女はノロノロと顔を上げ、何か呟くと、途端に顔を歪め、わぁっと泣き出してしまった。


 泣いてる女子に遭遇したことがなかったので、どうして良いかわからないなりに恐る恐る背中に手を当て、やさしくを心がけて上下に摩る。

 しばらくそうしていると落ち着いてきたようで、ようやく泣き止んでくれたが、望月さんの動きは逆にぎこちなくなってきたのが手に伝わってきた。


 そして、こっちを見ようともせず、ペコペコと頭を下げ、お礼と謝罪を繰り返し始めた。


 暗がりにいても不安なままだろうと思い、まずは明るい方に連れて行こうと思ったが、望月さんの足は震えるばかりで、立ち上がることはできなかった。


 それなのにあの人は、大丈夫だから何処かに行けという。


 少しの苛立ちを感じながらも、置いていくという選択肢などあるはずもなく、まずは遊歩道に戻って散乱したバッグを回収する。散らばっている物を拾いながら横目で見た彼女は、蹲った姿勢のまま動く気配はなかった。


 戻るとジャージを取って返そうとするので、慌てて止めた。少し強い言い方になってしまったのは申し訳なかったが、袖を通してもらい、なるべく見ない様にしながら急いでファスナーを閉めた。



 その後はもう勢いだったと思う、そうしないといけないと言う使命感の様な気持ちで望月さんを抱き上げた。思った以上に軽くて心配になる。

 勢いよく抱き上げたせいで、悲鳴を上げられてしまった。ここで出る声が可愛いとか反則すぎる。

 腕を首に回すようにお願いすると、遠慮がちに伸ばされた腕は細く、首を掠めた指先はひんやりとしていた。顔が熱くなっているのを知られてしまうんじゃないかと、ドキドキした。


 すぐそばに顔があるのに彼女は俯いたままで、無事を確認したくて、なんて言うのは建前で、ただちゃんと顔が見たくて、思わず以前呼んでいたように「まやちゃん」と言いかけたが、恥ずかし過ぎて一瞬にして「モチヅキサン」に切り替えたのは、改めて思い出してもヘタレすぎる。


 名前を呼ばれ、顔を上げた望月さんとバッチリ目が合い、元々ぱっちりと大きな目がさらに見開かれた。そして僕の顔をジッと見ていたので、僕を認識してくれたと思って喜びかけたのも束の間「ゆあ先生」と言われて、思わず「え?」と聞き返した。「は?」じゃなかった自分を褒めたい。


 コンタクトが外れてしまったらしいが、自分は裸眼で視力も良いので、どれくらい見えないのかわからなかったが、この至近距離で見間違われたのはショックだった。


 恋人か、旦那さんか、旦那さんを先生呼びはしないはず…など考えた気がする。


 少しガッカリしながらも、自分の名前を告げると、安心した様な声で僕の名前を呼んでくれたのが嬉しかった。名前呼ばれただけで嬉しいなんて、中学生みたいで恥ずかしい。


 恋人や旦那さんは居ないようでホッとしているどころか、喜んでさえいる自分がいて、はっきり自分の気持ちを自覚してしまった。ずっと憧れてるとか、恋愛とは違うと自分に言い聞かせていたけど。



 僕は、望月さんが好きだ。多分、始めて会ったあの日から、ずっと好きだ。



 はっきり自覚してしまうと、もうそればっかり考えてしまって、今この口を開けばぽろっと告白してしまいそうな気がして、口を噤んで黙々と歩いた。


 公園を抜けて数分も歩けば、望月さんの住むマンションに着いてしまう。無意識にゆっくり歩いていた自分に気づき、望月さんが安心出来るようにゆっくり歩いただけだと自分に言い訳した。


 マンション付近になったことを伝えた時、不思議そうにされた時には血の気が引いた。


 確かに、最初の頃は偶然だった。


 一人暮らしに慣れてきて、ランニングを日課にして間も無くのころ、望月さんと似た感じの人がいるなと思っていた。

 ランニングコースにしている道沿いのマンションに入っていく女性は、小学生の頃の自分の記憶にある望月さんにそっくりで、でももうこの街にはいない人と言う固定概念もあり、何度か見かけてもチラッと見てしまうくらいで特に気にしてなかった、いや、気になっていたが他人だからと気にしないようにしていた。

 でも歯医者に再び行くようになってからは違う。

 あれは望月さんだと確信してからは、偶然を言い訳に、望月さんが帰宅する時間に合わせてこの辺を走っていた。

 歯医者以外で彼女を見かけるだけで嬉しかったし、タイミングが悪く見かけない時は自分は何してるんだと罪悪感に襲われた。

 声をかけるどころか、目が合うわけでもない、ただ離れた所から一方的に見ていただけなんて、ストーカーでしかない。


 それはもう必死に言い訳してしまった。カッコ悪過ぎてしょうがない。だけどそんな自分に望月さんはおかしそうに笑い、ただお礼を言うだけだった。


 降ろしたくなかったが、降ろしてと暴れるので渋々降ろすと、ジャージは脱ごうとするし、歩き出せば転びかけるので心配が爆発した。

 救急車もタクシーも嫌がり、結局腕を貸して部屋に行くことになってしまっが、別に下心なんてない。一切ない。くだらないやり取りでも、ただ彼女と喋れたことが嬉しいとか、ちょっと思っただけ。


 抱き上げるのは恥ずかしいと拒否されてしまったので、しょうがなく肩ではなく腕に掴まるように言った時の、ちょっと頬を膨らませた顔が可愛かったな…と思い出し笑いをしてしまう。


 部屋には入らないつもりだったのに、部屋に上がって行けと言われ、無防備すぎて心配するより、男として見られていないという事実にショックを受けた。けど、好きな人の部屋に入ってみたいという欲の方が大きく上回ってしまい、おとなしくお邪魔させてもらった。

 今冷静に考えると入ったらダメだろうととも思わなくもないが、入ったことで傷の手当てが出来て、たくさん話ができたのも結果オーライとの思考に辿り着く。



 今まで彼女が欲しいなど考えたことも無かったので、当然彼女がいたことは無く、家族以外の女性の部屋に入るのは生まれて初めてだった。

 明るくて小洒落た照明器具、可愛い小物が所々に置いてあり、家具も柔らかい印象の色や形のものが多くて、全体的に可愛いカフェのような部屋だと思った、可愛いカフェなんて行ったことないので…イメージだ。

 所々にある黒いアイテムは雰囲気が引き締まる良いアイデアだな、と思ったが、ユア先生という望月さんの好きな人(推しってそう言うことだと思う)のイメージカラーというのを知ってしまったら、なんか複雑な気持ちだ…。


 望月さんが着替えるために洗面所に行ってしまい、座って待つように言われたが、好きと自覚してしまった相手の部屋にいるという状況がなんとなく落ち着かなくて、キョロキョロとしながら壁に掛けてある小物や写真を見ていると、洗面所から物音と声が聞こえ、悲鳴のような声に思わず洗面所のドアを開けそうになったが、着替え中だったらどうしよう…と躊躇っているうちにドアが開いてしまい、望月さんを驚かせてしまった。


 ホットパンツというのだろうか?フワフワした短いズボンからはスラリとした白い太ももが見えてしまっていたが、それよりも、抱き抱えている間は長めのスカートで気づかなかった膝の傷が痛々しくて驚いた。


 膝には砂つぶが入り込み、血が固まってこびり付いてる。白い手のひらと膝が痛々しく赤く腫れているのを見たら、さっと血の気が引いて心臓を鷲掴みにされたような息苦しさに襲われた。

 本当はすぐにでも救急車を呼びたいくらいだったが、まずは急いで消毒をしようと思ったのに、本人は全く危機感もなくヘラヘラしていた、このままだと、この人はろくに消毒もせずに放置するんじゃないかという疑惑が頭をよぎり、咄嗟に体が動いた。


 さっさと抱き上げてソファーに座らせる。心配させないで欲しいというと、謝罪された。そんなことを言わせたいわけじゃ無かったという後悔もあったが、それよりも早く治療して欲しかった。


 薬類はまとめて箱に入れてるようで、教えられた場所へ取りに行くと、ベッドがあって少しドキドキしてしまったのは絶対、一生、内緒にしておきたい。

 あと、ぬいぐるみやキーホルダーなどのおもちゃがたくさん並べてあって、壮観だった。けど「ユア先生」のグッズだと知った今はもっとちゃんと観察しておけば良かったと後悔している。敵を知るのは大事だ。


 戻ると望月さんが顔を顰めていて、僕はかなりビックリして心配したのに、顔を見るなり「ゆあ」は酷かったと思う。


 消毒液を含めせた綿球で砂つぶをかき出している時、少し力が入ってしまったようで、痛がらせてしまった。申し訳なさで絆創膏は極力優しく貼った。


 手のひらを確認すると、汚れなどはなくて、少し赤く腫れた擦り傷だけだったので、薬をどうするか聞いただけなのに、返事が「撮ります」だったのは意味不明だったけど、今改めて思い出すと「ユア先生」のことを考えていたんだろうな。変なことを言ったのに気付いて慌てていたのが可愛かった。


 湿布の冷たいのが好きなのも、面白くて可愛い。やばいな、もう可愛いしか考えられなくなってきてる。


 せっかく大人しく座らせているのに、立ち上がってコーヒーを淹れようとするのを止めると、謝礼金を払おうとしてきたのはビックリした。

 ちょっと混乱してるのか、顔が強張っているように見えたので、まだ帰らないと伝え、ちょっと悩んだけどそっと頭を撫でると、猫みたいに手に頭を押し付けて、気持ち良さそうに目を閉じたのはズルい。ホント帰れなくなる。


 でも急にハッとして、情けないと謝られた。


 僕は望月さんにもっと頼られたいのに、早く大人になりたい、もっと早く生まれたかった。

 隣にいても良いような、対等な存在になりたいと強く願ってしまう。



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