4。あの子は天使です
切るタイミングを失って、ちょっと長めになってしまいました。
私は、育ててくれた祖父母の影響で、幼い頃から漫画やアニメ、ゲームが好きだった。
小学生の頃は、好きなアニメのキャラクターの絵を描いたりして、なかなか上手に描けてたと思う。一緒にお絵描きして遊んでいた友達と絵を交換したりしてた。
中学生になってもそうやって絵を描いていたら、その友達が急に絵を描かなくなった。というか、私と一緒に描いてくれなくなった。
その子がコソコソと私の陰口を言っているのもなんとなく気付いていたけど、心当たりもなくて、悲しくて、私は学校で絵を描かなくなった。
地元の高校に進学して、クラスは違ったけどあの子も同じ学校になった。
高校生になってからメガネを掛けるようになったら、あの子に陰で気持ち悪いオタクだって言われるようになった、なんでそこまで嫌われてるのか理由はわからなかったけど、なるべく気にしないようにしながら、ずっと入りたかった美術部に入部、祖父が弓道の指導者だったのもあり私も中学生の頃からやっていた弓道部にも籍を置いた。
出身中学が違う子たちと仲良くなって、また学校で好きな絵を描いたり、弓道部の試合に出たり楽しく過ごせてた。ちょっと良いなって思う男の子がいたりもした。
卒業後は同県だけど、家から通うには遠すぎる距離の専門学校に進学したので、憧れの一人暮らしを始めた。
学校で親切にしてくれた先輩に合コンに誘われて、人生初の合コンにちょっとワクワクしながら行ったら、あの子がいて、男の子達に私がオタクで根暗で性格も悪いんだって大声で言われ、みんなにクスクス笑われて、恥ずかしくて、途中で逃げるように帰った。
その先輩とはその後から疎遠になった。あとから聞いた話だけど、あの子がわざわざ私を呼ぶように先輩に言ったらしい。
なんでそんな事されるのか、全然分からなくて、泣いたし、悔しかったし、オタクって言われるのが嫌になったけど、好きなものは止められなかったから、好きなことは家でだけ楽しむようになった。
この頃から外見でオタクって思われないように、コンタクトにしたり、流行りの服装にしたり、メイクの練習をした。
別にオタクなのは本当のことだし、好きなものは止められない、でもクスクス笑われたり、コソコソ陰で言われるのが怖くなった。
だからなるべく明るく、漫画とか読みませんよ?アウトドア派ですよ!みたいなキャラで振る舞うように心がけて過ごした。
人生で、最初で最後のあの合コンから男の人とプライベートな話をするのは怖くなってしまった。
臨床実習でお世話になった隣県の歯科医院に就職して、職場のドクターやスタッフはみんな優しくて、仕事も楽しくしてたけど、帰ろうと思えばすぐに家に帰れる距離だった学生時代と違って、気軽に家に帰れなくて少しホームシックになったり、家のことで不安になる時期があった。
その頃に何となく始めたのがこのゲーム『薔薇の鎖〜記憶のカケラに眠る真実〜』だった、ゲームがリリースされてすぐの頃。
スマートフォンのゲームは、正直ほとんどした事なくて、簡単なパズルゲームくらいしかダウンロードしてなかった。
ゲームは基本、テレビゲームや携帯型ゲーム機でしかした事なくて、乙女ゲームというジャンルも初めての体験だった。
なんで始めたのかも覚えてない、多分広告に出て来たのを何となく、本当に何となくダウンロードしてみたんだと思う。だから実を言うとチュートリアルとかも一切覚えてない。
ただ、ユア先生に言われた言葉が、その時の私を励ましてくれて、一瞬で沼に落ちたのは覚えてる。
『寂しくなったら、ココに来れば良い。俺だけはキミをずっとココで待ってるから』
今思うと、そんなセリフで私チョロすぎるって思うけど、何だかスゴく嬉しくて、安心した。
人生で初めてゲームに課金もしたし、リリースされて間もないゲームだったこともあって、グッズが無くて自作した。
ネットで作り方検索してぬいぐるみを作ったり、服も作ってみた。勢いでミシンも買った。プラ板でアクリルキーホルダー作ってみたり、ちょっとした小物を買う時には推しの色である黒を選んだり、とにかく毎日が楽しくなった。
さっき、家のことって言ったけど、私は幼い頃に両親が事故で他界していて、母方の祖父母に育てられた。
祖父は元教員、祖母は元学校司書。
祖母が本なら何でも買ってくれる人だったので、漫画も小説もいろんなものを買ってもらった。祖父は工業高校の教員で物作りや機械が好きだった。ゲームは新しい機械物が好きな祖父の影響で好きになったけど、それ以外の機械は祖母と同じでちっとも得意ではない。
祖父は若い頃から趣味で弓道をしていて、最高位である範士にまでなったような人。退職後は近所の弓道場で指導役をしていて、私も中学生の頃から高校卒業まで続け、冬季段審査で三段まで取ったのはこっそり自慢に思っている。
そんな祖父が体調を崩して入院した時期があり、私が仕事辞めて家に帰るって言ったら祖母に止められて、不安で仕方なくて、寂しくて、ツラかった時期。
私の心配をよそに祖父はすぐにケロッと治って、1週間ぐらいで退院して、今は元通り元気なんだけど、その時は中々帰る時間も取れなくて、電話で元気だって言われても、本当に元気なのか分からないまま、連休で祖父に会いに行くまで毎日不安だった時にあのゲームを始めて、支えてくれたのがユア先生。
不安な私を支えてくれた。ゲームの中のキャラクターだし、たまたま出てきたセリフだったのも分かってる。だけど、それでも私を勇気づけてくれたのは、間違いなくユア先生。
純粋にユア先生を推せなくなったら、私どうすれば良いんだろう…。
胸がギュウっと締め付けられるような不安に襲われる。
「ごめんね、キャラクターに似てるとか、気持ち悪いよね。ホントごめんね、あ、次の歯医者の予約の時は、私じゃない人を担当につけるから、顔見せないようにするから、ちゃんと治療は来てねっ!ごめんね!」
担当しない宣言をした私は、ぬるくなったマグカップを握り締め、俯いていた。
蒼麻くんが立ち上がる気配がする。あぁ、ごめんね。気持ち悪い大人の部屋に来させて、早くお帰り。
私はじっとしたまま、目を閉じる。
マグカップを握っている手が、ふわっと温かいもので包まれた。
「望月さん、どうしてそんなこと言うんですか?担当辞めないでください…」
さも悲しそうな蒼麻くんの声がして、私はハッと顔を上げる。
目の前には、今にも泣いてしまうんじゃないかと心配になる程悲しい顔をした蒼麻くんがいて、私の手を包んでいるのは、蒼麻くんのスラリとした綺麗な手だった。
「え、いや…だって、気持ち悪いでしょ…こんなアラサーでオタクのオバサンに、ゲームキャラに似てるとか言われて…」
私が手を引こうとするが、蒼麻くんにがっちり掴まれていて、びくともしない。何だこの状況?
「どうしてですか?あんなにかっこいい人に似てるって言われて、嬉しかったですよ?」
「それにオタクの何がダメなんですか?夢中になれるほど好きな物があるってことですよね?」
「アラサー?オバサン??誰のことですか?望月さんは若くて綺麗じゃないですか、メガネ姿は初めてみましたけど、メガネかけるといつもより若く見えますよ、お化粧しなくてもすごく可愛いし…」
「わーー!わぁーーーー!!ストップ!ストーーップ!」
私の言葉を否定して、延々と私の存在を爆上げする言葉をツラツラと、一切の恥ずかしげもなく紡いでいく目の前のイケメン高校生はいったいなんなのだ?
「担当辞めないです、よね?」
蒼麻くんは上目遣いで私を見つめている。本当に何なの?
「まず手を…放して欲しい、です」
「辞めないって約束してくれたら、良いですよ?」
蒼麻くん、こんな子だったっけ?ニコッと微笑んでいる蒼麻くんはいつもの笑顔に見えるけど、なんか、圧を感じる。特に手に。だって、どんどん握る力が強くなってる気がするし。
「本当に…?私、蒼麻くん見たらまた『ユア先生そっくり〜、かっこよ〜』って思いながら、横にいるんだよ?絶対気持ち悪いでしょ…」
私は、もうどうにでもなれ!と諦めて、どんよりした顔で本音を告げる。
「何が気持ち悪いのか僕には分からないですけど、カッコイイ人に似てるって思われて、光栄ですよ。だから、辞めないで…」
「わ、分かった…分かったから…放してくださいぃ〜…」
「ちゃんと、僕の担当辞めない、って言ってください」
「うぅう〜、蒼麻くんの担当…辞めません…だから放してぇ〜…」
「約束ですよ!」
我ながらすごく情けない声が出た気がする。蒼麻くんは、私の手をぱっと放してくれた。蒼麻くんの暖かくて大きな手がなくなって、手が寒い。
「蒼麻くん、ごめんね、私なんかに気を遣ってくれてるんでしょ…?」
「え?何でそうなるんですか?僕がそうして欲しいって言ってるんですよ」
じっと見つめてくる蒼麻くんは、真剣で、嘘を言ってる風ではない。
「望月さんが、何でそんなに自分に卑屈な感じになってるのかは分かりませんけど、僕は夢中になれるような好きなものがあって、いつも笑顔で、遅くまで仕事頑張ってて、それはとても凄いと思ってますよ」
キラキラ輝かしい笑顔を向けてくる蒼麻くん、なんか羽の幻覚が見える、後光で輝いてるのが見える!
「ヒェ、イケメンからの全肯定、破壊力やば…」
「何言ってるんですか、もう」
プイッと照れてそっぽを向いてしまった蒼麻くん、子供っぽい仕草や表情はユア先生とは似てない。
「えへへ…」
「…よかった」
私が照れ臭くなってしまい笑って誤魔化すと、蒼麻くんがホッとしたように微笑んだ。
「何が??」
「望月さんにはいつも笑顔でいて欲しいです」
んな!?なんてイケメンなセリフ…!それを顔色ひとつ変えずにサラッと言っちゃうの、ヤバくない?既に女の子いっぱい泣かせてるんじゃない???なんか急に心配になって来ちゃった。
「蒼麻くん、そんなセリフ、ホイホイ女の子に言っちゃダメだよ…?」
「?…言いませんよ?」
きょとんとしてるが、サラッとこんなこと言っちゃうなんて、蒼麻くん、実は相当なタラシなのでは??
「ところで、ゆあ先生ってどんな人なんですか?」
「え、それ本当に聞いちゃうの??永遠に語っちゃうよ??」
蒼麻くんがなんか含みのある笑顔をしている。私はあまり、人の気持ちの裏を読むのは得意じゃない。
「構いませんよ」
「いや、構うでしょ…もうお家帰らないと、ご両親心配しちゃうよ」
「僕、今一人暮らししてるので」
「え!?何で!?」
思わず聞いちゃった、あれ?住所変わってたっけ???思わずカルテを思い出す。
「色々あって去年から、一人暮らしさせてもらってるんです」
あ、これは色々の部分めっちゃ聞きたいけど、聞いちゃいけないヤツだろうな。
「そうなんだ、高校生から一人暮らしってすごいね」
「思った以上に大変ですけど、気が楽で良いですね。と、言うことなので何時間でも語って良いですよ」
「あはは、それでも何時間もはダメでしょ。未成年に深夜徘徊はさせられません。じゃあ、ちょっと蒼麻くんのジャージを今のうちに洗濯して乾燥までさせるから、その間だけ居てもらおうかな?」
「汚れてないですから、洗濯しなくても良いですよ?」
「いやいや、私の気がすまないの」
私が立ちあがろうとすると、また蒼麻くんに頭を押さえられた。
「ちょっ、またすぐ立とうとする。僕、自分でしますよ。洗濯機お借りしても良いですか?」
「もー、大丈夫だよ。片足で行けるのに」
「ダメです。洗濯機借りますね」
「はぁーい。ジャージは洗濯機の上に置いてます、洗剤類は上の棚にあるので好きなだけ入れてくださーい」
蒼麻くんは何かブツブツ言いながら、脱衣所に向かう。脱衣所になんか変なもの置いてないよね…?脱ぎ散らかしても、なかったはず…記憶を辿ってみるが、見られてまずいものは無かった。…はず。え、何もないよね??
戸棚を開ける音や洗濯機を操作する音が聞こえる。
「洗濯機の操作方法わかった??」
「ん?はい、大丈夫でしたよ。じゃあ、どうぞ」
戻って来た蒼麻くんは私の隣に座って、ニコッと微笑む。
サラッと大丈夫って言われたけど、私は新しい家電の操作に慣れるまで時間がかかるタイプなのだ、ゲーム機ならすぐ出来るんだけど、家電系は慣れるまで何度でも、説明書と何時間も睨めっこしてしまうような機械音痴なので、蒼麻くんは初めて触る他人の家の家電を、すぐに操作できたのかとちょっと感心した。
「どうぞって改めて言われると、なんか話しにくいんですけど…」
「じゃあ、僕が質問していくのはどうですか?」
「あぁ、良いかも!何でも聞いて!」
「じゃあ、まずは…」
蒼麻くんはユア先生の情報を根掘り葉掘り聞いてくる。身長、体重、年齢や誕生日、趣味、職業、いつから始めたのか、どんなところが好きなのか、どんなゲームなのかなど、私の下手くそな説明にも楽しそうに相槌を打ちながら、次々と質問してくれるので、私も途中からすごく楽しくなって、夢中でユア先生について語ってしまった。
「それで、僕のどんな所が、ユア先生に似てるんですか?」
「えっとね、髪が…えぇっ!!!?」
思わず勢いでベラベラ言いそうになったが、思いとどまった私、偉い。
「え〜、それ聞いちゃう…?すごい恥ずかしいんだけど…?」
「誰が恥ずかしいんですか?もう望月さんが推しと僕が似てると思ってる、っていうのを僕は知ってるんだから、誰も恥ずかしくないと思いますけど?」
いや、私は恥ずかしいんだよ。
蒼麻くんは膝に頬杖を突いて、私を横から見上げるように微笑む。蒼麻くんのスラリと長い親指が、無駄な肉の無い顎を支え、しなやかな人差し指と中指が滑らかな頬を押し上げている。
「スクショ撮りてぇ…」
「え?」
やば、思わず心の声が漏れてしまった。私は両手で口元を押さえて首を横に振る。蒼麻くんが私の手を剥がそうとしてくる。近い近い!勘弁してください!
「何ですか?ちゃんと教えてくれるまで帰りませんよ」
何だそのやばい脅し、私、未成年誘拐で逮捕されちゃうヤツじゃん。絶対嫌だよ。
「う〜…いやぁ、ゲーム中にそんなポーズに近いユア先生がいたのを思い出して…ついスクショ撮りたいなぁ〜と、心の声が漏れました、はい、すみません」
私はあっさり白状する。
「へぇ、それ画像とか無いんですか?みたいです」
「え!みる??あるよあるよ〜」
私はスマートフォンのギャラリー内にあるユア先生のアルバムフォルダを開き、スイスイとスクロールしていく。
「あった、これこれ」
去年配信されたイベントのストーリー中の画像をスクリーンショットしたものを見せる。画像はスーツ姿のユア先生が一人掛けの高級そうな革張りのソファーに座って、頬杖を突いているシーンだ。
「ふぅん…。こんな感じ…かな?どうです?」
「………!!!」
やば、激似すぎる。私のソファーは2.5人掛けの布張りのソファーだし、蒼麻くんの服装もTシャツなので、全然違うのだけれど、蒼麻くんのポーズや角度はばっちり一致している感じがする。
やばぁ、正面から写真撮りたい…。私は合掌して蒼麻くんを横から拝む。
「ありがとうございます、眼福です」
「そんな拝まないで…。望月さんって、たまに普段使われない単語言いますよね」
「オタクなので、すみません。でも眼福は使うと思うよ」
「日常では聞きませんね」
あらそうですか、知りませんでした。気をつけよう。
「似てました?僕的には髪型しか似てない気がしますけど…」
「髪型はもちろんそっくりなんだけど、顎のラインとか、横顔とか、キリッとした太めの眉毛とか、ちょっと目を伏せてる時とか、すっごく似てるよ!…って、あぁぁあぁ〜!!もう!」
勢いでついベラベラと、言い終わって後悔するのどうにかしたいけど、オタクは喋り出すと止まらない生き物だからな。しょうがない。
蒼麻くんびっくりした顔しちゃってるじゃん。
「ごめんね、勢いで言っちゃった」
「大丈夫です…やっぱり、ちょっと…」
蒼麻くんは俯くように両手で顔を隠してしまった。やっぱり気持ち悪かったよね…。あーもう最悪…
「恥ずかしい、っすね」
指の隙間からコチラを覗き、蒼麻くんが呟くように言った。ハハっと照れ笑いしている蒼麻くんの耳が少し赤い。え?くそかわじゃん。さっきの最悪取り消し。最高です。
ピーッピーッピーッ
脱衣所から洗濯乾燥が完了したブザー音が聞こえてきた。
「あ、洗濯終わったね」
「そうですね、もう1時間も経ったのか…早いな」
蒼麻くんは立ち上がると、脱衣所の洗濯機に向かう。ついでに空になっていた私と自分のマグカップをスッと回収していくスマートさ、この子、絶対モテるでしょ。間違いない。
そしてそのまま何も言わずに、キッチンで小鍋やマグカップを洗い始めた。え?何それ、今時の高校生ってそんな事までしちゃうの、偉すぎる、いや一人暮らししてるとは言ってたけど、それでも普通そんな事サラッとやっちゃう??
驚きで言葉も出ずに、ポカンとしていた。
「洗い終わったのはカゴの中に入れますね、手はこの紙で拭いて良いですか?」
「あ!うん、いいよ!ペーパータオルは好きなだけ使って!洗い物までありがとう」
蒼麻くんがキッチンから声をかけてきて我にかえる。
私は家にいた頃、家事はあまりした事なかった。
祖母が危ないからと、私を台所に立たせてくれなかったし、掃除や洗濯なども私が学校に行っている間に全て終わっていた。正直、自分の部屋の掃除くらいしかしたことない、だから何も言わずに洗い物をサッとしてしまう高校生に驚いた。
私は高校2年生の終わり頃、進学で家を出るかもしれないと考え始めた頃から、祖母に簡単な料理を教えてもらったり、家事の手伝いを始めたくらい。蒼麻くんの行動は、最近始めたというより、もうずっとそうしていたような手際の良さだった。
蒼麻くんはそのまま脱衣所の方へ向かい、洗濯機からジャージを取り出して戻ってきた。
「乾いてた?」
「はい、大丈夫です」
よかった、と呟いて、そういえば今日のことちゃんとお礼言ったっけ?となった。言ったような気もするけど、改めて言っとくか。うん。
「今日はありがとう、蒼麻くんがランニングしてて助かったよ、家まで送ってくれて、話し相手にまでなってくれて、本当の本当にありがとう、怪我が治ったら改めてお礼させてね?」
私は座ったまま深々と頭を下げた。
「いえ、大きな怪我じゃなくて良かったです。それに今日はランニングじゃなくて、ちょっと探し物してて公園通ったんです、本当にあの時間は偶然で、本当に良かった…」
「探し物?」
あの時間帯に偶然だったのか、やっぱり私、今日で運を使い果たしちゃったな。
「はい、その…小さいヌイグルミのキーホルダーなんですけど…」
「ん?それって、もしかしてクロネコっぽいやつ?」
私は職場の駐車場で見つけた小さなぬいぐるみを思い出す。
「!そうです、…覚えてるんですか?」
「ん?今日帰りに駐輪場に落ちてて…ちょっと待ってね」
私はバッグに入れていたハンカチを取り出す。内ポケットに入れていたので、ぬいぐるみはハンカチに包まれたまま無事だったようだ。
「これ?」
「そうです!良かった…」
私がぬいぐるみを渡すと、蒼麻くんは大事そうに両手で包んだ。
「見つかって良かったね」
「…はい」
蒼麻くんがじっとこっちを見ている。なんだ?
「ん?」
「いえ、ありがとうございました。じゃあ、僕帰りますね」
「うん、そういえばココから近いの?」
「走って5分くらいかと…」
「走って…?」
私はあまり走るのが得意では無いので、走って5分がどのくらいの距離かわからない。私がわかるのは会社までの1.5km弱を私が歩いて15分というくらい。
「正確な距離はわからないですけど、1キロくらいだと思います」
会社まで走って5分ちょっとで辿り着く自信無いなぁ…などどうでも良いことを考えてしまう。
「そうかぁ、ご飯は?今から?」
「はい、途中コンビニで買います」
「え?コンビニ?あ、冷蔵庫に今日食べようと思って作り置きしてたおかずあるけど、持ってい…くわけ無いよね、ごめん」
「良いんですか?ぜひ」
「え、逆に良いんですか?私が作ったもので?」
蒼麻くんは私の言葉に被せるように、おかず欲しいと言う。
いやぁ、他人の作ったご飯怖いとか、警戒しようよ、変なもの入ってたらどうするのさ、自分用だし変なものは入ってないけど、提案したのも私だけど、蒼麻くんの口に合わなくて不味いと思われたらどうしようと急に不安になってきた。
「料理は得意じゃ無いので、手料理嬉しいです」
うわぁ、すごいニコニコしてる、やばいこれ…やっぱりダメとか言えないやつ。
「あー、お口に合わなかったら、ゴメンねぇ…冷蔵庫の保存容器、ピンクの蓋と緑の蓋のやつあると思うけど、ピンクがハンバーグで、緑が筑前煮なんだけど…好きな方でも、足りないなら両方でも持って行って良いよ」
もう諦めて、大人しく差し出そう。不味いって言われたら、泣きながら料理教室に行こう。そうしよう。
「え〜、どっちもめっちゃ好きです…え?本当に両方もらっても良いんですか?」
「ん、良いよ。食べ切れる?男子高校生ならいっぱい食べるのかな」
私はバッグから小さめのエコバッグを取り出して、蒼麻くんに渡した。冷蔵庫から取り出した保存容器をエコバッグに入れ、大事そうに抱えた蒼麻くんはニコニコ笑顔だ。かわいいな。
「美味しくなかったら、ほんとゴメン。お腹壊したら慰謝料請求してください」
蒼麻くんはただ微笑むだけで、返事は無かった。心配だわ。
「じゃあ、また」
「はい、気をつけて帰ってね。ありがとう」
私はソファーに座ったまま蒼麻くんがドアを出ていくのを見ていた。ガチャンとドアが閉まり、続けて自動で鍵が閉まる音がした。
しん、と急に部屋が静かになった。
「はぁ〜〜、今日の最後だけで、恐怖と、緊張と、驚きと…あとなんだ?なんか3年分くらい色々いっぺんに体験しちゃった感じだヨォ」
私は寂しさを誤魔化すように独り言を呟く。
「もう寝よ…」
スマートフォンを握りしめ、私はベッドに向かう。普通に歩けないので、ソファーや衝立を支えに、片足飛びで移動。いつも通り電気のタイマーをかけ、布団に潜り込む。
「でも、蒼麻くんといっぱい話せて楽しかったぁ…」
私はニヨニヨしながら、良い気持ちで眠りについた。




