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2。あの子はヒーローです

!注意!

主人公が暴漢に襲われるシーンがあります。

苦手な方は〜〜〜〜まで飛ばしていただくか、次のページに飛ばしてくださいね。

 

 私の家は、職場の歯科医院から歩いて15分、精々1.5kmも無いところにある単身者用の賃貸マンション。

 周りは住宅街で、静かな場所にある。途中にある公園を横切ると少し近道だけど、暗いのであまり通らない。

 家を出て、職場とは反対方向に行くとコンビニや大型スーパーも割と近い場所にあるので、特に不便はしていない、だいたい休みの日に1週間分の食料品を買い込み、後は基本引きこもり生活をしている、必要ならネットスーパーや通販で足りるし。


 その時の私は浮かれていた、仕事の最後に蒼麻くんに会えて、動く推しを補充したという充実感から、1分でも早く家に帰りたいという気持ちから、無意識に薄暗い公園に足を踏み入れてしまった。



 気をつけて、と何度も言われていたのに。



 うふふんふんと鼻息でも歌い出しそうな気分で、もうすぐ公園を抜けるという時、それは起きた。

 元々街灯の数が少なくて暗い、と有名なこの公園の遊歩道の街灯同士の境目にある暗がりに潜んでいた人物に、浮かれて警戒心ゼロ状態の私は、一切気付かなかった。


「きゃっ!!!」


 急に右腕を掴まれ、反対の肩にかけていたバッグが地面に落ちた。

 仕事の道具なども入っていた大きめのバッグはガシャん!と盛大な音をたてて中身が散乱する。


「っち」


 すぐ後ろで舌打ちされた。


「え!?いっ…!んぐっ!!」


 抵抗する間も無く強い力で、遊歩道脇の真っ暗な林の中に引き摺り込まれ、後ろから口を塞がれ、羽交締めにされ、ようやく私は痴漢に遭遇したことを悟った。

 脳内で混乱した思考がグルグルと駆け巡り、殺されるんじゃないかという恐怖にじわじわと心が蝕まれていく。


 どうにか逃げよう、と体を動かした瞬間、耳元で唸るような男の声がした。


「動くんじゃねぇ、ぶっ殺すぞ」


 口を塞いでいる太くてガザついた指に力がこもり、頬に爪が食い込む。



「っ!??」



 痛い、怖い、怖い、嫌だ、なんで、なんで、嫌だ、誰か…!



 声も出せず、恐怖に体が震えるしかできない。



 私を羽交締めにしていた腕がモゾモゾと動き、私のシャツの隙間に入り込もうとする。

 私は無意識に体を捩り、抵抗してしまった。


 ビリッと音をたて、シャツのボタン部分が裂け、下着が露わになる。


「んんんっ!!!!!」


「はっ、色気ねぇ下着つけやがって…でもまぁ、なかなかデカいじゃねぇか…大人しくしてれば、(よが)らせてやるから…」



 下品な言葉が粘つく汚物のように耳に纏わりつき、露わになってしまった素肌を悍ましい虫が蠢くようにガサついた指が撫でていく。


 ゾワッと全身の毛が逆立ち、背中を気持ち悪い汗が流れる、もう私はこのまま強姦されて、口封じに殺されるんだ…と、明日の新聞に載っちゃう、ネットニュースにオタク女子強姦殺人とか書かれるの?などどうでも良いことまで脳内でグルグル渦巻き始め…涙がボロボロこぼれ落ちた。


「う゛う゛う゛っ…」


 男の指の隙間から、私のくぐもった呻き声が漏れた。



「誰かいるんですか?大丈夫ですか?」



 その瞬間、パッと眩しい光に照らされ、若い男の子の声がした。



「クソッ!」


「きゃっ!」



 痴漢は私を突き飛ばし、走って逃げていく。私は突き飛ばされた勢いそのまま転んでしまった、地面の小石や枝などが膝や手に食い込む。


 眩しい光が近付いてきた、光はスマホのライトのようだ。



「大丈夫ですか!?怪我は…あっ!」



 パッとライトが消え、辺りがまた暗くなる。

 すぐそばでカサカサと衣擦れの音がするのはわかるが、遠くで聞こえているような、夢の中のような、頭がぼんやりしている。






 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜






 ふわり、と暖かさのある何かが肩にかけられ、私はノロノロと顔を上げた。



「ユ、あ…せんせ…」


「ん?もう大丈夫ですよ」


 暗くてぼんやりしてるけど、私の目の前にユア先生がいる、推しが助けてくれた、私の推しは私の心を満たすだけじゃなく、ピンチまでも救ってくれた。

 私は安心感から緊張していた心の糸が切れたように、ワァッと声を上げて泣き出してしまった。


 ユア先生にずっと背中を摩ってもらい、少し落ち着いてきた。

 落ち着いてきたことで、私の二次元脳が現実に戻ってきた。この背中を摩ってくれているのはユア先生ではない、ユア先生は現実にはいない、と。


「す、すみません…大丈夫です、ありがとうございます、平気です、すみません」


 私は地べたにへたり込んだままペコペコと頭を下げる。

 ウワー!!恥ずかしい、知らない人にユア先生とか呼んで、泣き顔晒して、背中まで摩ってもらっちまうなんて!


「いえ、立てますか?」


「はい!全然!平気です!…………あれ?」


 私の足はガクガクと震えるだけで、地べたにへたり込んだまま、立ちあがろうとしても動いてくれない。



「あれれ…おかしいな。あ、大丈夫です!もう、平気ですから!どうぞ行ってください!」



 私が恥ずかしさと、気まずさと、混乱と、困惑から、叫ぶように告げると、私の横にしゃがみ込んでいた人物は立ち上がり去っていった。

 ホッとしたのと、寂しさが同時に込み上げ、また暗闇に一人になってしまった事への不安と恐怖が、喉の奥からじわじわと湧いてくるような気がした。


 背後でガチャガチャと何かをする音が聞こえ、私はその人物が完全に去るのを静かに、じっと待つことにした。

 しかしその時は訪れず、その人物は再び私の元に戻ってきた。


 私の横に置いたままにしていたスマートフォンを拾い上げ、ポケットに入れたのがなんとなく気配でわかる。


 あ、私の肩にかけてくれていた物をを回収に来たんだ。そう思った私は慌てて肩にかけてあったものを取ろうとしたが、その前に暖かく、大きな手に阻まれた。


「これ、袖を通して、前を閉めてください…」


「え、いや、でも」


「早く」


「は、ハイっ」


 有無を言わせない雰囲気で、私は大人しくその肩にあったものに袖を通す。

 ジャージ、かな?さらっと着心地のいい生地は柔らかい。


 私が袖を通し終わると、シャッと手早くファスナーを上まできっちり閉められた。



「すみません、ちょっと、触りますよ」


「え?」


 私が理解する前に、私の膝の裏、背中から脇にかけて腕を入れられたかと思ったら、ぐんっと急に視界が高くなった。


「きゃっ」


 私、きゃっ!とか可愛い悲鳴が出るんだなぁと、どうでも良いことを考え、そんなことを考える余裕が出るほど安心してしまっている自分に驚く。


「大丈夫ですか?あの、できれば腕を…僕の首に回してもらって良いですか?」


「あ…えっと、はい…」


 私は困惑しつつも言う通りに、縮こめていた腕を伸ばし、恐る恐るその人の首に腕を回した。

 私がちゃんと腕を回したのを確認すると、その人は私を抱えている腕を少し動かし、体勢を整えるように私を抱き直す。


 私は今、人生初のお姫様抱っこをされている。

 それを理解した途端、恥ずかしさで顔が爆発しそうなくらい熱くなった。


 あったかい、良い匂いする、すごい、高い、やばい、やばい、やばい!


 触れ合っている腕や体から相手の体温を感じられ、呼吸するたびに爽やかな柑橘のような匂いがする。


 なんでこんなことになっているんだ???見知らぬ若い男の子(の雰囲気がある)に人生初のお姫様抱っこをされて、どこかに運ばれている。どこに??え、どうして???え?いいの??ダメでしょ!?なんだか余計に混乱してきた。


 思考がグチャグチャで煩い、私の脳内で何人もの小さな私が、やいのやいの言い合いをしているようだ。


「ま…、モチヅキ、さん」


「え?」


 その人物はゆっくり歩き出しながら、私の名前を呼んだ。


 私は、突然名前を呼ばれたことに驚いて、人生初のお姫様抱っこによる恥ずかしさから俯けていた顔をあげ、やっとその人物の顔を見た。

 公園出口の街灯に斜めから照らされたその人物の顔は、毎日私に癒しを与えてくれているユア先生そのものだった。


「ゆ、ユアせんせ…?」


「え?」


「え?」


 相手から困惑した声がして、私はハッと我にかえる。

 ユア先生が現実にいるはずないのだ。さっきもそう思ったはずなのに、改めて見たこの人はユア先生に見えてしまった。

 私は首に回していた腕を片方外し、目元を押さえた。あ、コンタクトが片方無くなってる…。


「あ、ごめんなさい、その、コンタクトが…」


「ああ、いや、大丈夫です。僕、久城です。久城蒼麻」


 口の中で、クジョウソウマ…クジョウソウマ…と2回呟いて、心臓がドキンと跳ねた。


「え、蒼麻くん?ハッピーに来てくれる、久城蒼麻くん?」


 ハッピーと言うのは職場の歯科医院のことだ。ハッピーデンタルクリニック。私が入社した頃の院名はハッピー歯科医院だったなぁ。


「はい、さっきはお世話になりました」


「いえいえ、お疲れ様でした?」


 おぉう、まじか…私を助けてくれたのは、まさかの蒼麻くんだった。

 コンタクトが片方無くなり視力がガタ落ちの状態では、コンタクトを装着して、視力が完全な状態の私が激似だと思っている蒼麻くんを、ユア先生と見間違えてもおかしくない。私悪くない。


「あの、このまま望月さんの家まで送っていこうと思っているんですが…良いですか?」


「え!?」


「家に旦那さんがいらっしゃるなら、その、電話してお迎え来てもらいますか?」


 蒼麻くんは私を抱き上げたまま、街灯の下で立ち止まる。


「えっと、その、独身なので…」


「そうなんですね、じゃあ、その…彼氏さんとか」


「…えっと…いない、です」


「ん?」


 私がボソボソと言うので聞き取れなかったのか、蒼麻くんが私の顔に耳を寄せる。

 ふわっと香る柑橘の良い匂いが近くなり、私は顔が熱くなるのを感じた。

 彼氏いない歴=年齢のアラサーの喪女に、お姫様抱っこだけでも心臓がやばいのに、推しに激似くんからの「ん?」は刺激が強すぎます。供給過多です…!


「彼氏とか…居ないですぅ…」


 絞り出した声に、蒼麻くんがフッと笑ったような気がした。

 うぅ、恥ずかしい。


「じゃあ、またしっかり掴まっててください」


「…はい」


 蒼麻くんはまたゆっくりと歩き出す。私も蒼麻くんも喋らないので、蒼麻くんの足音だけが静かな住宅街に響く。


 私は小柄な方だけど、痩せている訳ではないので体重はそれなりにある。しかし蒼麻くんは、全然重さを感じさせないような安定感のある腕と足取り、人生最高の姫抱っこ(そもそも人生初なので比べる対象などないんだがな)私の推し激似くんすごっ、一生推します。


「もう着きますよ」


 蒼麻くんの声でハッとして顔を上げると、確かに私のマンションのすぐそばだった。

 そこでふと気づいた、なんで蒼麻くんは私がここに住んでることを知ってるんだろう?と


 私が不思議そうにしているのに気づいたのか、不安そうにしていると思ったのか、蒼麻くんはハッとしたような顔で言い訳のように早口で告げる。


「僕、ランニングが日課なんですけど!その、偶然!何度か!ランニング中に望月さんがここに入って行くのを見かけたので、ここに住んでるんだと思って!ほんと!家知ってるとか、すみません!」


 私のマンションは住宅地の端っこ、公園を横切らなければ大きな明るい通りもあるような立地。あの公園は、夜の遊歩道こそ薄暗いと有名だが、遊具は充実しているし、テニスコートやランニングコース、ベンチや清潔なトイレ、広い駐車場もあり、明るい時間帯は子供連れやウォーキングをしている人など、結構人がいる人気の公園だ。


 蒼麻くんが必死に言い訳するのが可愛くて、ついクスッと笑ってしまう。


「ううん、謝らないで!送ってくれてありがとう、私、ここに住んでるんだよ〜」


 蒼麻くんはホッとしたように息を吐くと、また歩き出す。エントランスまでこのまま連れて行く気のようだ。だんだん明るくなって、ぼんやりながらも自分の姿がはっきり見えてくると恥ずかしさがぶり返してきた。


「そ、蒼麻くん!もう!ここで!いいよ!ありがとう!」


 恥ずかしさから、言葉が単語でしか出てこない。余計恥ずかしい。もっと余裕のある大人で居たいのに。


「そうですか?」


 私をそっと下ろして、立たせてくれた蒼麻くんは、何故か少ししょんぼりしているように見えた。あ、私にジャージを貸したから寒いのかも!絶対そうだと悟った私は


「あ、ジャージありがとう!すぐ返すから!」


 私がファスナーを下ろそうと手をかけた瞬間、蒼麻くんが慌てたように私の手を押さえた。


「だめです!」


「え?」


 その勢いに私はポカンとしてしまう。


「あ!いや…その、部屋までは着ててください。大丈夫ですから」


「えっと…わかった、じゃあゴメンね、洗濯して返すから」


「そのままでも良いですよ」


「いやいや、そう言う訳にはいかないよぉ、明日すぐ使うならすぐ洗濯して乾燥機かけるよ!」


「いえ、急がなくて大丈夫ですよ。はい、これ、多分散らばってたのは全部入れたと思います。」


 私は、蒼麻くんが肩にかけて持ってきてくれていたバッグを受け取ると、エントランスのオートロックを解錠するために鍵を取り出した。


「本当にありがとう、蒼麻くんのおかげで助かったよ」


「いえ、無事でよかったです」


 私はじゃあね、と蒼麻くんに小さく手を振って一歩踏み出した。


「あっ」


 その途端、ズキズキッと左の足首に激痛が走り、私は倒れ掛かる。


「大丈夫ですか!?」


 蒼麻くんが咄嗟に支えてくれ、私は転ばずに済んだが、正直痛すぎて歩ける気がしない。


「あはは、大丈夫…ちょっと捻っちゃってたのかも?」


 先ほど公園で痴漢に突き飛ばされた時だろうか?興奮と、ここまで歩く事なく抱かれていた事で、足首の痛みには気づかなかった。


「救急車呼びましょう!」


 蒼麻くんが叫ぶようにしてスマホを取り出したので、慌てて止める


「待って待って!大丈夫だから!湿布貼ってれば大丈夫そう!部屋にあるから!」


「でも…」


 心配そうに顔を歪める蒼麻くんに罪悪感を感じながらも、ここで救急車など呼ばれたくない。

 住宅街に救急車が来ると大変なのだ、大勢の野次馬が集まるし、噂が大袈裟に広まる。


「大丈夫、ね?」


 私は笑顔を作り、蒼麻くんを宥めるように彼の腕を撫でる。


「じゃあ、せめて部屋まで送らせてください」


「え!いや、大丈夫だよ?」


「ダメです、救急車か、タクシーで病院か、部屋まで送る。選んでください」


 ひぇぇ、蒼麻くんの有無を言わせない、絶対という態度が凄い。


「あー…じゃあ、部屋までお願いします」


「はい、また抱き上げて良いですか?」


 蒼麻くんの満足そうな返事に続く提案に、私は思わず声が出た


「え!?」


「歩けない、ですよね?」


「いやぁ、お姫様抱っこは…正気だと恥ずかしい、ので…」


 私がゴニョゴニョ言い訳をしていると、ため息をつかれた。


「はぁ、ここに居てもしょうがないですから…僕の肩…腕に掴まってください」


 蒼麻くんが私を見下ろし、肩を腕に言い直した。いや、そこまで小さくないでしょ!確かに肩に掴まるのは高すぎるかもだけど!


「むぅ、よろしくお願いします」


 私は蒼麻くんの腕に掴まらせてもらい、エントランスのオートロックを解除する。


 痛む左足に負担がかからないように、蒼麻くんが上手に支えてくれているのが分かる、なんとスマートな介助。ありがたや。


 普段は運動を兼ねて階段を使うが、今日は大人しくエレベーターに乗り込む。


「何階ですか?」


「3階です」


 蒼麻くんが階数と閉扉ボタンを押してくれる。

 扉の上に表示されている階数のランプが、1から2、2から3へ変わって行くのを二人で見つめている。なんかつい見ちゃうよね。


「一番奥の部屋です」


「はい、了解です」


 蒼麻くんは私を支えてゆっくり歩いてくれている


「ありがとう、散らかってるけど…コーヒー飲んでいく?」


「え!?」


「あ、ジュースの方が良いよね?貰い物なんだけど、未開封のジュースがあったはず…」


「いや、コーヒーで大丈夫です」


 そう?と言いながら私は部屋の鍵を開ける。

 ホットミルクをいっぱい入れてカフェオレにしよう…そんなことを考えながら私は蒼麻くんと共にドアをくぐった。




無事にお家に帰ってきたねぇ。よかったよかった。

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