ある晴れた昼下がり
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華凛梛の綺麗に手入れされた指先はアライグマのマークを指している。
わたしはよく知らなかったけど、どうやらこのマークはゲーム機の種類を示していたらしい。
そういえば、ちょっと前に翔馬が全然手に入らない、と嘆いていたゲーム機がラクーンという名前だった気がする。
華凛梛の説明によると、ラクーンは昨年発売されたゲーム機で、販売元がゲーム業界に新規参入した小さな企業だという事もあって生産が全然追い付いておらず、最早幻のゲーム機と呼ばれるくらい手に入りにくいそうだ。
ゲーム機本体が珍しいのだから、ツインクル・アイランド……略してツイアイのプレイ人口はそう多くは無いという。
華凛梛も公式サイトと運良く遊ぶ事が出来た人のSNSを閲覧したくらいしか情報を持っていないらしい。
大抵の場合、新作のソフトは上位にシェアのある複数のゲーム機で販売される事が多いのだけど、どういう理由か知らないがツイアイはラクーンでのみでしか販売されていないようだ。
「ツイアイもいずれやってみたいとは思っていたのよね……」
ちなみに華凛梛が気になるキャラクターはメインの攻略対象である第三王子……ではなくその護衛騎士らしい。
アイスブルーの長髪をポニーテールにして意志の強そうな太目の眉と一重まぶたの流し目がストイックな雰囲気を醸し出して、セクシーなのだそうだ。
「茉莉衣は、なぜこのゲームを選んだのかしら?」
「……イラストが好みだったから」
完全にパッケージ買いだった。
ゲームの事はあまりよく知らないので、見た目の印象だけで決めた。
表面は白背景で大樹と二つの妖精っぽいシルエットが描かれている。
シンプルでメルヘンチックなシルエットと『ツインクル・アイランド〜誓いは妖精樹の下で〜』というグラデーションのかかったタイトル、後はラクーンを示すオレンジ色がベースのアライグマのアイコンが描かれている。
タイトルに『妖精樹』とあるから、真ん中の大樹がきっとそれなんだろう。
裏面は、上部には目にも鮮やかな六人の個性的な男の子達の美麗なイラストとキャストや概要が書かれており、下部はプレイ人数や必要容量、発売元の会社名、注意事項などが記載されている。
わたしがいかにも王子様っぽいと思った金髪の少年がメインの攻略対象で名前を『ルートヴィヒ』という。華凛梛曰く、彼が第三王子らしい。
そのルートヴィヒの水色髪の護衛騎士が『アルトゥール』という名前だ。
折角、華凛梛もこのゲームをやってみたいと思っていたというのにゲーム機が無いとは本当に残念だけれど仕方ない。
自分の考えが至らなかった事を反省しながら、カバンの中から財布を取り出し、札入れの中にあるレシートを引っ張り出した。
「レシートあるから返品して……」
「待って!」
返品出来るかどうかは店員さんに聞いてみなければわからないけど、まだ封を開けていないしおそらく大丈夫だろう、と立ち上がるわたしを華凛梛が慌てて引き止めた。
「うちには無いけど、心当たりがあるわ」
華凛梛はニッコリと微笑んでいる。
生来の吊り目のせいで傍から見ると何か企んでいそうな不敵な笑みに見えてしまう事を本人は気付いていない。
初見なら怖がる人もいたりするのだが、それなりに付き合いが長いわたしは、大人しく座り直して続きを待った。
華凛梛はお手伝いさんを呼び出すと、わたしの着替えを用意するように指示を出す。
そういえばまだ制服のままだったが、身長は全国平均くらいで一五八センチなので、モデルのように長身で一七〇センチを越えている華凛梛の服を借りたとしても縦はブカブカ、横は胸はスカスカでそれ以外はパツンパツンになっちゃうだろう。
あたしよりちょっとだけ身長が高いお手伝いさんは、治宮邸に住み込みで働くアラサー女性で柴さんと言うらしい。
新品の服を購入してくれようとする華凛梛にひたすらあがらっていたわたしの為に、自分のお下がりの服を用意してくれた。
オフホワイトのニットにグリーンの膝丈スカート、ライトグレーのカーディガン。
おまけに、くせ毛が邪魔にならない様にただ二つに分けて結んだだけの髪型も、綺麗に編み込んでからスカートと同じグリーンの細いリボンで結んでくれる。
普段のわたしより大人っぽくてフェミニンな格好でなんだかドキドキする。
更に華凛梛がいくつか言い付けると、柴さんは頭を下げて退室していった。
「ミカちゃんちに行こう」
「ミカちゃん?」
学校の交友関係では聞いたことのない名前にわたしが首を傾げると、華凛梛は再びニヤリとした笑いを浮かべて一人で満足気に納得していた。
「そのミカちゃんっていう人の家にはラクーンがあるの?」
「間違いなくあるはずよ」
「はず……?いきなり押しかけたら迷惑じゃない?」
「柴に連絡するよう伝えたから大丈夫よ」
推測を含んだような言い回しなのに、華凛梛は自信満々だ。
「華凛梛はミカちゃんにラクーンを見せてもらったことあるの?」
「それより茉莉衣も電話が必要よ」
「え?」
「おうちの人にしばらく泊まると伝えて」
「あっ」
華凛梛に指摘されて確かにゲームが出来なくても泊めて欲しいのは変わらないことを思い出した。
家に帰れば隣の家の翔馬や同じ家に住んでいる操ちゃんを避け続けるのは難しいだろう。
いずれ帰るにしても、もう少し気持ちの整理をする時間が欲しい。
華凛梛に促されるがままに伯母さんに電話して、春休みだししばらく友達の家に泊めてもらうと伝えた。
伯母さんも初めは何日も泊まったら先方にご迷惑がかかると渋っていたが、華凛梛が電話を代わって『治宮』を名乗るとあっという間に許可をもぎ取ってしまった。
「それじゃあ、ミカちゃんちに行きましょう」
折角購入した乙女ゲームに興味はあるものの、それ以上に見知らぬ人の家へ行くことに気後れを感じる。
押し問答の挙句、華凛梛の押しの強さに負けて、運転手付きの黒塗りの高級車の中に押し込まれていた。
見送りで頭を下げている柴さんのつむじを見つめながら、どうしてこうなったんだ、とただただ戸惑うばかりだ。
なんとなく頭の中で、馬車に揺られて売られていく子牛の歌を流しながら、快適過ぎて余り揺れを感じない車の座席に身を沈めた。
***
なんの偶然か目的地は昔住んでいた家の近くで何度も前を通った事がある場所だった。
豪奢なシャンデリアと毛足の長い絨毯のあるエントランス―――ここはホテルではなく、マンションである。
だから目の前にいる品の良い年配の紳士はホテルマンではなくコンシェルジュさんだ。
ヒールを履いた華凛梛と並ぶと同じくらいの背丈のロマンスグレーのおじさまだ。
どうやら華凛梛はミカちゃんのお部屋に上がった事は無いけど、このマンションには来た事があったらしくコンシェルジュさんとは初対面ではないようだった。
お手伝いの柴さんもだけど大人に恭しくされるのにまったく慣れていないわたしは、今日一日で何度も落ち着かない気分にさせられている。
「確認しますので少々お待ち下さい」
こんな女子高生風情でもロビーにあるソファーへと丁寧に案内してお辞儀してくれたコンシェルジュさんの背中をぼんやりと見送る。
「茉莉衣ってもしかして熟年好き?」
「違うよ!お仕事大変だなぁって思ってただけ」
ずっと姿勢の良い背中を目で追っていたせいか、華凛梛から非ぬ誤解を受けて慌てて否定した。
正直なところ自分の好みのタイプなんて考えた事が無かった。
今まではそれが翔馬なのだと思っていたけど、今は分からなくなってしまっている。
「来たわ」
エレベーターが到着するチンという音に反応して華凛梛がエレベーターホールに視線を向ける。
わたしもつられてそちらの方を見るがそれらしい人物は見当たらなかった。