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Raccoon はじまりは乙女ゲームで  作者: 加藤爽子
四章 マリー、学園生活の始まり
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学園案内 3

 下町で暮らしていた頃は踵なんて殆ど無い木靴だった。

 お金が無くてサイズの合わない靴の中に布を詰めて無理矢理履いて靴擦れやタコが出来ていたりしていた。

 オーダーメイドで作られる貴族の靴とどちらが良いかと言われれば履き心地は断然貴族の靴だけど、それでも起きてしまったまた違う足の痛みに、歩き方のコツが違うのかとどこか冷静に考える自分がいる。

 しかしながら、今日はいっぱい歩く事が予想出来ていたので、なるべく踵の低い靴を選んだつもりだった。

 痛みを意識し始めると逆に今までどう歩いていたのかさえも分からなくなって、尚更ぎこちない歩き方になってしまっていた。


「手を」

「……えっ?」


 突然、前を歩いていたエルンストが右隣に来てわたしの右手をとると彼の軽く曲げた左腕に掛けさせる。

 気が付けば彼と腕を組んでいる状態で思わず顔を見上げると、黄色の片目だけを器用にパチリと瞑ってウインクしてきた。


(前……見てたよね?)


 まるで背中に目が付いているみたいだ。

 なんて、突拍子も無いことを考えてしまう。


「ほら、もっと体を預けて」


 エルンストにそう囁かれても、どうしたらいいか分からない。

 翔馬(しょうま)は外で手を繋いだり腕を組んだりするのを嫌がっていた。

 ただ一緒に歩いているだけでもご近所さんに冷やかしの目で見られてしまった時にはとても不機嫌になっていたから、腕を組むどころか手を繋ぐこともほとんどしてくれなかった。

 ましてや——。


(付き合ってもいない男性に寄り添うのは、はしたないよね?)


 貴族の端くれのマリー・セルベルとしての記憶と日本の女子高生の春日(かすが)茉莉衣(まりい)としての記憶を合わせても、こういう時の正解が分からない。

 既にエルンストと腕を組んでしまった体勢でカチンと固まったように立ち竦んでしまって、今から手を離すのも不自然なようにも思える。

 わたしは無意識のうちにゲームではナビゲーターだったカロリーナに助けを求める視線を向けてしまっていた。


「わたくし神聖魔法が使えますので治しますね」

(そうだ!回復魔法があった!)


 わたしにそう声を掛けてくれたのは、救いを求めたカロリーナではなく、カーリンだった。

 彼女は癒しを乞うために指を組み合わせて祈りを捧げようとした。


「おやめなさい。些細な傷で奇跡を願うおつもりですか?」


 しかし、カロリーナの制止によりその祈りが紡がれる事はなかった。

 硬い声が怒っているように聞こえてカーリンと一緒にビクッと肩が震えてしまう。


「確かに神は小さな傷でも治してくれるかもしれません。しかし、何度も些細なお願いを繰り返すと貴女の声は神に届かなくなってしまいます。それに傷病者も今回治して貰えたのだから次も簡単に治して貰えると気軽に考えてしまう事もあります。それは、その人自身の成長の妨げにもなります」


 カロリーナは、神聖魔法に目覚めると一番最初にそう教えられた筈だと続けた。

 ゲームでちょっとでも体力が減ると気になって回復させていた茉莉衣には耳が痛くなる話だ。

 でも、確かに毎回魔法に頼っていたら免疫なんて付きそうにない。

 神聖魔法による回復に慣れきった人がそれが出来ない環境になった場合、普通よりももっと痛みや不安を感じるようになってしまうだろう。カロリーナの言うことももっともだった。

 下町で育ってきたわたしは、木靴の痛みも寒い日のあかぎれの痛みも……手荒に掴まれた痛みや殴られる痛みも知っている。

 あの時はただただ痛みが過ぎ去るのを祈るしか出来なかった。

 六年程セルベル家で過ごしているうちに、わたしも痛みのほとんどない生活に慣れてしまっていたのだ。

 寒さと空腹と痛みと不安に耐えていた昔を思えば全然大した痛みではないクセに、まともに歩くことも出来ないなんて随分と甘ったれになってしまったものだ。慣れというのは恐ろしい。


「力の使い所を見誤ってはなりません」

「……申し訳ありませんでした」


 カロリーナに叱責されてカーリンは頭を下げた。


「お気遣いありがとうございます。カーリン様」

「いえ、お役に立てず本当に申し訳ありません」


 カーリンの気持ちは嬉しかったので御礼を言って大丈夫だと伝えた。

 問題はエルンストだ。今もなおわたしの手を取って支えてくれているが、変な噂にならないだろうか。

 正直、足の痛みは増す一方だ。支えになってくれるのは助かるのだけど、一時的な甘えで致命的な噂にならないかが心配だ。

 誰とでも親しく接しているエルンストならどんな噂でも上手くあしらってくれる気もするけれど、わたしなんかと噂になるのも申し訳ない。


「……シュティーナ、代わってくれ」


 なかなか一步が踏み出せないわたしに、エルンストは妹のシュティーナを呼び付けた。

 四歳も年下だけど、わたしより十センチは背が高いシュティーナはエルンストと入れ替わっても、問題なくわたしを支えてくれた。

 どうやらエルンストにわたしの戸惑いは筒抜けだったようだ。

 シュティーナなら、噂になったとしても女性だから致命的にはならないだろう、という気遣いを感じた。


「あ、りがとう、ございます」


 家庭教師によく怒られるけど、わたしは感情を隠すのが本当に下手らしい。エルンストにわたしの逡巡を悟られてしまっていることに動揺して御礼すらもつっかえながらになってしまった。


「私は騎士を目指しています。幼い頃からずっと鍛えておりますから、遠慮せずに頼ってください」

「シュティーナ様……」


 安心させるようにわたしの手に触れた彼女の掌には剣を握るもの特有の皮膚の硬さを感じた。騎士を目指しているというのも嘘ではなさそうだ。

 シュティーナは近くで見てもエルンストを少し幼くしたような少年に見える。

 今でも歳の割には大人っぽいが、あと三年もすればもっと幼さがなくなって、少女達の疑似恋愛のお相手として人気になりそうだ。

 ようやく落ち着いてきたわたしはシュティーナの手を借りて歩き始めた。


「シュティーナ様はいつから騎士になりたいと思ったのですか?」

「ぼんやりと思い始めたのが三歳で、決意したのはカーリンと知り合った頃だから確か…………」

「四歳のお誕生日会ですね」

「そうだったね」

「でも、わたくしと知り合った時には既に騎士を目指しているようでしたから、もう少し前なのではありませんか?」

「いや、間違いない。カーリンに会って騎士になる決意を固めたんだ」


 わたしの何気ない質問にシュティーナとカーリンが当時の思い出話を始めた。

 シュティーナのお誕生日会でカーリンがいじめにあったところを助けたのが切っ掛けだったそうだ。

 十歳という年齢の割には落ち着いた雰囲気の二人はお互い目を合わせて微笑み合っている。

 今の二人の間には穏やかな空気が流れていて幼馴染みとして良い関係を築いてきたのだろう。

 シュティーナが男の子だったらお似合いの二人だったに違いない。


「あの時、女の子は()()()私が護ってあげなければって思ったんだ」

「みんな、なのですか?カーリン様を、ではなく?」


 勝手に恋人同士のような甘い空気を妄想していたら、それを否定するような言葉が聞こえて、思わず聞き返してしまった。


「そうだ。カーリンもエルサもマデリーネも……女の子はみんなだ」


 にっこりと微笑みながらシュティーナは、カーリン以外は知らない名前を列挙してそれで騎士を目指すようになったと明言した。

 自分も女の子なのに護られる側ではなく、護る側になろうとするシュティーナは少々変わり者なのかもしれない。


(それを許すベンディクス侯爵も凄いわね)


 貴族の女性は、程度の差はあれどお家の為の政略結婚の駒になるものだと思っていたけれど、そうでもないのかもしれない。


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