マリーの歌
もしも、華凛梛様が最北の国の言葉を理解出来ていれば、マリーに父親について確認しなくても済んだだろうに……とても残念だ。
華凛梛様の世界の言葉はどれもサーリスト王国語に聞こえるのに、こちらの言葉はサーリスト王国語のみしか伝わらないのは何故なのか。
いや、もしかしたら、今は使われていない言葉なのが駄目なのかもしれない。皇国語や帝国語など現存する国の言葉なら伝わるかもしれないし、文字だったら古語でも読める可能性もある。
今は残念ながら伝えられた翻訳を鵜呑みにするしかないけれど、異国の旋律からは楽しげな雰囲気が伝わってくる。
マリーが澄んだ声で明るく歌うのに合わせて、薄紫色の髪が揺れていて、まるで春に咲く丘一面のスミレの花のようで微笑ましい。
彼女の歌声によってわたくしの中の酷く澱んだ部分が洗い流されているような心地がして、あの時、妖精樹の森でマリーを精界へ連れて行こうとした妖精達の気持ちも分かるような気がした。
「ありがとう。とてもいい歌ですわね」
わたくしが最後まで歌い終えたマリーにそう伝えると彼女は照れた笑みを浮かべ、喉を潤す為にカップに残ったすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干していた。
今はまだ指摘するつもりは無いが、貴族令嬢のマナーについては色々と教え甲斐がありそうだ。
わたくしは、紅茶のおかわりを頼むためにイヴィに防音の魔法を解いて欲しいとお願いした。
「オイラとそこの桃色のにミルクをくれ」
イヴィの要望により、新しい紅茶と共にミルクも持ってきて貰えるように伝える。
やっぱりクッキーや紅茶よりもミルクの方が魔力の回復に良いらしい。
「回復が必要ならミルクよりも魔力回復のポーションの方がいいのではありませんか?」
「わざわざあんな不味いの飲むの人間くらいだろ」
「アチシもあれキライ」
純粋に魔力回復の効果を求めるならポーションの方がいいのでは、と思ったけれどイヴィとラヴィは嫌悪感を丸出しにして拒否している。
ポーションは滅茶苦茶に不味いという代物ではないが、薄ピンク掛かった乳白色の液体は甘味の中に酸味と苦味となんとも言えない鉄っぽい雑味を含んでおり、ポーション自体にとろみがあるのも相まって舌や喉に膜を張り、口の中がビリビリと痺れるような感覚が長く残るのだ。
(お薬だと思えば問題なく飲めるお味ですけど、確かに美味しくはないですわ)
それに妖精は魔力が欠乏したなら精界に帰ってしまえばいいので、わざわざ魔力回復のポーションを飲む必要もないのだろう。
運ばれてきたミルクを美味しそうに飲んでいるイヴィとラヴィを見ていると、魔力に問題が無いのであればポーションの必要はないかと思い直した。
「マリーはこの歌が故郷を見付けた旅人の歌だと言っておりましたけど、確かその翻訳はお父様がされたのですよね?」
わたくしがそう話しかけると、イヴィは再び防音の魔法を掛けたようだった。
契約者のマリーの指示もないのに独断で魔法を使う妖精はやはり珍しい。
もちろんイヴィが勝手に魔法を使っているのでマリーから魔力を受け取ったりもしていない。
なんだかわたくしの知識の根底が揺らいでしまっていて、もう一度、妖精学の講義を受講する必要を感じてきた。
マリーが講義に出席するのであれば、共に出席して受講するのもいいかもしれない。
そうすればマリーとの交流も深まるし一石二鳥だ。
でも、華凛梛様は妖精学の授業でルートヴィヒとイベントが起こると言っていた。わたくしがいては邪魔にならないだろうか。
「はい。でも、父はわたしが二歳の時に旅に出てしまったので、正確には父の翻訳だと母から聞いただけになります」
思考に耽っているとマリーの回答が聞こえてきたので、わたくしは慌てて彼女に意識を戻した。
「お父様に連絡を取ることは?」
マリーは静かに首を横に振った。
その寂し気な様子にわたくしの胸もチリチリと痛くなる。
「…………そう。お父様のお名前は分かるかしら?」
「イヴァンです。今はセルベルのご当主様が探してくれています」
「見付かるといいわね……その時は是非お話してみたいわ」
「そうですね、是非」
そういって気丈にもにっこりと微笑んだマリーに、逆にしんみりとしてわたくしの目は潤んでしまう。
伯父であるセルベル男爵を“ご当主様”と呼んでいる事実に、彼女がまだセルベル家の一員になりきれていないと感じた。
それでも、場を明るくする微笑みが出来る彼女にわたくしは頭が下がる思いだった。
すぐに涙が溢れてくるわたくしとは大違いだ。
今も目頭に力を入れて堪えながら口を引き結ぶ。
彼女の境遇を考えると泣きそうになるけれど、わたくしが泣くのはお門違いだ。
そうやって自分を宥めながら何か他の話題を、と考える。
「それにしてもラヴィさんはよく食べますわね。その小さな体のどこに入っていらっしゃるの?」
ラヴィからすれば身長の半分くらいの大きさのクッキーがみるみるとなくなっていく。今は五枚目を手に取ったところだ。
両手でクッキーを抱えてカリカリと齧る姿はまるでリスのようだった。
あまりの食べっぷりに見ているこちらがお腹いっぱいになってしまいそう。
反対に防音の魔法を使った為、魔力補給が必要な筈のイヴィが食べたのは最初の一枚のみで、後はちびちびとミルクを飲んでいた。
「おなかいっぱい」
「食いしん坊な子豚め」
五枚目を完食して満足気なラヴィに、イヴィは悪態をついてはいるがどこか楽しそうだ。
ニヤニヤと意地の悪い顔でラヴィのプクリと膨れたお腹を突いている。
「カロリーナ様、申し訳ありません」
マリーは再び妖精達の奔放な振舞いを詫びた。
元来妖精は自由な生き物なのだ。たまたま会話が可能だから常識を期待してしまうのだろう。
「使った魔力に対しての対価としてお譲りしましたから。イヴィさんは一枚で良かったかしら?もう少し持ってきてもらいますか?」
「いや充分だ」
「アチシももう食べられない」
イヴィとラヴィは揃って首を横に振った。
それを合図にしてこの場はお開きにすることにした。
「明日は学舎内を案内しますわ」
「はい。よろしくお願いします」
帰りの馬車の中でマリーをセルベル邸まで送り届ける道中に、改めて明日の約束をした。
大聖堂からの帰路はどうしても王城の近くを通ることになるのだが、今夜は夜会がある為いつもよりも行き交う馬車が多い。
参加は葉紋があることと必ずパートナーが必要となる。パートナーは身内か婚約者ならば葉紋が無くても参加可能だ。
わたくしも一年前に四歳年上の兄のパートナーとして参加している。
まさか来年卒業のミカルよりも早く夜会に参加する事になるなんて思っていなかったから、あの時は大騒ぎだったと感慨深い。
今年は兄に婚約者が出来たので晴れてお役御免となったのだ。
それを考えると、マリーもいつ夜会に参加する事になるかは分からない。
願わくばそのお相手がルートヴィヒでありますように―ー―ー。
「わたくし、マリーの事を気に入っているのね」
セルベル邸からの帰り、一人になってさっきまでの喧騒が嘘だったかのような静まり返った馬車の中でわたくしは無意識に言葉にだしていた。
マリーとは入学試験の時と今日のたった二日しか話した事が無いのにも関わらず、彼女の側は何故か安心する。
相変わらず何度も泣きそうになってしまったが、反対に何度も顔が緩んでしまう事もあった。
『主人公補正ってやつかしら?好感度が上がりやすいのかもね』
「主人公補正に、好感度……ですか?」
『あー、……彼女は誰からも好かれやすいって意味よ』
「分かるような気がします」
マリーと二匹の妖精のやり取りを思い出して自然にクスクスと笑い声が出て来た。
入学試験の際は、学園側に頼まれて案内人になっただけだったけど、今は自らの意志でマリー達と一緒に居たい、と心から思う。
三章完結です。
まだ入学一日目……ようやく序章が終わったかもしれない。
年末に向けてしばらく更新をお休みさせて頂きます。
早ければ十二月、遅くても一月には更新再開する予定ですので、よろしくお願いします。