オレンジ色のアライグマ
「そうですね」
カロリーナはルートヴィヒを肯定する返事をしながらも、ツンと澄まして歩く速度を速めた。
後ろから追い抜かされたルートヴィヒが、困惑を含んだ笑顔を浮かべながらも、はぐれてしまってはいけないとカロリーナを引き留めている。
振り返ったカロリーナはこれでもかというほど、眉間にシワを寄せてルートヴィヒを睨んでいた。
王族に対してあまりにも不敬な態度になぜかわたしが冷や汗ダラダラだ。
さすが王族ではないけど王を名乗ることが赦されているピュハマー家だ。
いや、ルートヴィヒも先程話していたが、家族のような関係を築いてきたからこそかもしれない。
護衛のアルトゥールも全く動じていないところをみると、いつものことなのかもしれない。
実際、貴族の中でも平民の中でも、カロリーナ・ピュハマーが時期王妃だという噂が絶えない。並んでいる二人を見ていたらただの噂だとは言い切れない。
カロリーナが落ち着いて再び進み始めても何故かわたしの足は動こうとしなかった。
なんでこんなに足取りが重たくなるのか自分でも分からぬまま、三人の姿がジワジワと離れて行ってしまう。
そういえば、ルートヴィヒは橋に出ると言っていたけれど、今のところ橋どころか水の気配も感じない。
そう思って慌てて辺りを見回すと、いつの間にか三人の姿が見えなくなっていた。
「カロリーナ様?」
思わず出てしまった呼び掛けに反応はない。
「イヴィ!ラヴィ!」
続けて二人の妖精の名前を声を張り上げて呼んでみるけどこれも反応はない。
わたしは急に感じた静寂に震えながらもどこかに誰かの痕跡がないかと注意深く辺りを観察した。
ふと、その視界の端にオニユリのような鮮やかなオレンジ色が目に止まった。
それは木立の奥をのっそりと動いていた。
(アライグマ!理事長の契約妖精よ)
(茉莉衣?)
完全にひとりぼっちになってしまったのだと思っていたから、たとえ姿が無くても話し相手がいることにホッとした。
茉莉衣はアライグマだと言ったけど、本物よりも遥かに大きい体躯でノソノソと歩いている姿は尻尾の長い熊のようだ。
実物では有り得ない色なのと、茉莉衣によって理事長の契約妖精と知らされていなければ身体が竦んで動けなかったかもしれない。
(二周目以降のイベントよ)
(え?)
一度攻略対象の誰かとエンディングを迎えた後にもう一度はじめからゲームをすると、理事長が攻略出来るようになるらしい。
茉莉衣は、新節式の祝辞でモブなのに声優が当てられているなんて勘違いしたけれど、ちゃっかり攻略対象だったと言っている。
入学試験で理事長の契約妖精に着いていくと理事長とのフラグが立つ。
学園内では滅多に出会わない理事長の場合、いくつかのイベントでフラグを立てて行く事で好感度が上がっていく。
だから、ここで着いていかなければ理事長とのルートは無くなってしまう。
もちろんフラグの一つに過ぎないから、着いていくという選択をしても、必ずしも理事長エンディングを迎えるわけでは無い。
ゲームの話は、モブだとか声優だとかフラグだとか分からない言葉が多くてあまり理解出来なかったけど、その中で唯一理解出来た内容について質問する。
(着いていったらどこへ行くの?)
(妖精樹まで案内してくれるよ)
冒険パートはミニゲームやバトルで、それが苦手な茉莉衣はそれらを回避出来るのでよく着いて行っていたそうだ。
このイベントはミニゲームが回避出来るので何度も見たけど、理事長とのイベントは冒険パートであることが多くて、ミカさんに任せて約束のお風呂や睡眠の時間に当ててしまったので、スチルは見たけど実は中盤以降の理事長ルートのイベントも告白もほとんど見ていないらしい。
相変わらず未知な用語が羅列されるが、わたしはそれらを聞き流した。
ただでさえ、ここ数年で貴族のお勉強を詰め込まれたのに茉莉衣の言葉まで学ぶ余裕はない。
理事長……カール・シューストレム侯爵。
伯父であるセルベル男爵には政略結婚を言われているけど、要はセルベル家の利になれば誰だっていいはずだ。
茉莉衣の言う攻略対象は少なくともわたしにそれなりの好感を持ってくれる可能性のある人達になるだろう。
そちらの方がまったくの政略結婚よりも幸せになれるかもしれない……なんて打算的なことを考えてしまった。
けれど、王族のルートヴィヒとミカル、公爵家で祀王のレオナルド、侯爵家のエルンストとカールと、格上過ぎて溜め息が出る。
それから、爵位はセルベルと同格の男爵家のアルトゥールとエリック先生……。
よくよく考えてみれば、是が非でもこの方達と婚姻関係を結ぶ必要はない。
元平民のわたしは既に警戒されて友達が作りにくいだろうけれど、彼等と仲良くなれれば自然と交友関係が拡がっていく筈だ。
セルベル男爵が見付けた婚姻相手がその交友関係の中に入っていれば、今のままよりも良い関係を築けるような気がする。
全くの指標が無い状態よりも随分と恵まれていると考えれば、段々と学園生活が楽しみになってきた。
(あっ!ほらアライグマ見失っちゃうよ)
着いていけば障害無く妖精樹まで行けると聞いて、みんなとはぐれてしまった焦りが消えた。おかげで余計なことを考え込んでしまっていた。
茉莉衣の指摘通り、先程よりも遠退いたオレンジ色の跡を慌てて追っていく。
わたしが着いていく意志を見せたからか、アライグマは時折立ち止まって振り返るを繰り返し、見失わないようにしてくれた。
(妖精樹だ)
淡い金色の光に包まれたひときわ大きな木が見えた。
懐かしい気持ちに胸が熱くなり、幼き日の記憶が蘇る。
あの時はルートヴィヒとミカルに促されて触れた妖精樹だったけど、今は手を引いてくれる人はいない。
それでも、導かれるようにわたしは両手を妖精樹に当てた。
「……お願いを叶えてくれてありがとうございます」
自然と感謝の気持ちが込み上げて、口に出して妖精樹に伝える。
一人になりたくないと祈ったあの日からずっとわたしの側にはイヴィとラヴィがいた。
二人とはこの森ではぐれてしまったけど、試験が終わればまた会えると信じている。
茉莉衣のゲームの記憶から、少なくとも卒業するまでは側に居るだろう。
(願わくばこの先もずっと一緒に居てくれますように)
フルフルと妖精樹の幹が揺れた感触が両手に伝わってくる。それからゆっくりと一枚の葉が淡い光と共にユラユラと落ちて来た。
わたしはそれを両手で受け取ると、そういえば入学試験だった事をすっかり忘れていた。
いつの間にか近くに来ていたのか、オレンジのアライグマが着いてこいと言わんばかりに尻尾を揺らしながら数歩進んでわたしを振り返る。
ばっちりと目が合ったので、わたしは「ありがとう」と声を掛けた。
アライグマは目を細めてなんだか嬉しそうだ。
視界の中でテンポを変えること無く揺れている尻尾を見ているとまるでメトロノームみたいで、なんとなく歌を口ずさんだ。
わたしの声が聞こえているからだろう、アライグマはここへ案内してくれた時のように何度も立ち止まることは無く時折耳をピクピク動かしてわたしが着いてきている事を確認しながら歩いている。
楽しそうに尻尾を揺らしながら歩くアライグマの後ろを歌いながら着いていくわたし、そして、気が付けばあちらからもこちらからもフヨフヨと妖精達が集まってきていた。
球体の光の中にちらほらと動物の姿をした妖精達の姿も見える。
まるで妖精達と行進しているような状態にわたしは気持ちが昂ぶり、悩み事も何もかも忘れてただただ楽しくなっていた。