選択肢がない
アルトゥール・ラベリ様はわたしと同じ男爵家……と言っても、ラベリ家は王領の一部地域の代官を任されており、更には彼の母がルートヴィヒ殿下の乳母でもあるので、王家からの信頼度は一介の宮廷貴族であるセルベル家とは全く違う。
今日は護衛任務で付いてきている為か、何の感情も浮かべずただ静かに殿下の後ろで控えていた。
涼やかな髪色や長身なのも相まって近寄りがたい雰囲気が増している。ラベリ様が無口、無表情、無愛想の氷の騎士様と噂されているのも納得だ。
(ラベリ……なんだ)
ゲームではほとんど家名が出てこず覚えていなかった茉莉衣はいまいち馴染めないようだ。
茉莉衣の中ではカロリーナやアルトゥールというふうに名前を呼び捨てしていて、敬称があるのはエリック先生だけだった。
(でも、わたしも最初は王子とかこだわっていたかも)
最後にプレイした時は迷わずルートヴィヒを選択したけど、一番最初は王子様にわざわざ来てもらうなんて……って抵抗があったのを思い出した。
茉莉衣の思考に引き摺られてルートヴィヒ殿下を呼び捨てにしてしまった事に気付いたけど、何だかそれがしっくりきている自分に驚いた。
もしも頭の中を覗かれたら不敬でアルトゥールに取り押さえられてしまうかもしれない。
駄目だ……思考が引き摺られている。今さらりとラベリ様のお名前を呼び捨てにしてしまった。
(アルトゥールのクールな姿、懐かしい)
ゲームではアルトゥールと仲良くなっていくと、このクールな仮面が剥がれてしまうので、華凛梛はとても残念がっていた……というか『詐欺だ』と騒いでいた。
頭に浮かんだアルトゥールのスチルは、ニカッと笑う快活な笑顔。目の前の澄ました姿からは想像もつかない。
(結局、三日三晩掛けて全員のエンディング観たからね)
スチルはまだ全部埋まっていないけど、隠しキャラ含め全員のエンディングには辿り着いたと茉莉衣が得意気だ。
あれから、ミカさんと約束した通りちゃんと食事や睡眠、お風呂の時間を華凛梛と交代で……時にはミカさんにも代わってもらって……三日間寝る間も惜しんでフル稼働でプレイし続けたのだ。
それくらいそれぞれのキャラクターの背景が気になってしまった。
翔馬への当てつけで浮気しようと乙女ゲームに手を出したのに、翔馬よりもむしろ前回攻略した彼に対して新しい彼を攻略する事にとても申し訳ない気分になった。
一番最後にエンディングへと辿り着いたのがルートヴィヒで、その達成感に包まれながらそのまま三人とも泥のように眠ってしまった。その先の茉莉衣の記憶は朧気だ。
一行は森の中を進んでいてそっちに集中しなきゃと思うのに、茉莉衣が話しかけてくるので会話の切りどころが分からない。
(だからさ、わたしはルートヴィヒと友達になるの諦めなくてもいいと思うけど……)
茉莉衣の中でルートヴィヒ殿下ルートの記憶が新しいからか、簡単に今引かれた“はじめまして”を乗り越えるのは難しくないと思っているようだ。
(…………そうね)
なんだか本当に仲良くなれそうな気がしてきたので、質が悪い。
押し寄せる茉莉衣の記憶に、もっとちゃんと整理する時間が欲しいけど、妖精樹の森へ入る許可を取り直したり、わたしより遥かに上位な身分の王子様や公爵令嬢様に出直して欲しいと申し出たり、なんて出来るはずもない。
何よりも妖精樹の葉を貰いそびれて入学出来ないという事態だけは避けなければならなかった。
そもそも学園側もどうして身分差のある方を元平民のわたしなんかに紹介したのかと言えば、わたしにもセルベル家にも貴族社会に伝手が無さ過ぎたとしか言いようが無い。
(え?反対じゃないの?伝手が無いならわざわざ公爵家の令嬢が案内人になる方が変じゃない?)
そんな茉莉衣の疑問が伝わってくるけど、何も矛盾した話では無い。
セルベル男爵家は貴族社会に影響を与える様な家ではないし、領地も持っておらず爵位を継ぐ嫡男もいる。だから領地も爵位も得る事はないわたしと縁を持つメリットがほとんど無いのだ。
それでもセルベル男爵がわたしを養女にしたのは、イヴィとラヴィとの契約があったからだ。
ここが妖精王国だからこそ、妖精との契約は重視される。
妖精は、ほとんどの場合光る玉のような姿をしており、人や動物などを模している妖精はそれだけ自我も強くて契約に縛られる事を好まない。
ましてや人の言葉を話す妖精は非常に珍しい。それなのに二人も契約しているわたしは本当に稀なのだ。
セルベル男爵は、お母さんの代わりに政略結婚をしてセルベル家の役に立て、と最初からわたしに伝えていた。
しかし、現状はなかなかセルベル男爵の思惑通りには行っていない。
サーリスト王国では刻紋の儀式で葉紋を手にして初めて貴族の仲間入りを果たす。
その理屈でいけば卒業前の子息令嬢すべてが実はわたしと同じ平民という身分になるけど、やはり育った環境が違うのでわたしとの交流は危険だと判断されたのだろう。
それにわたしの母が卒業目前で駆け落ちして貴族にはならなかったという事実もあって、学園へ入学もしていない今の時点でわたしを受け入れてもらうのは難しかった。
一方、カロリーナ様の生家であるピュハマー公爵家は、島国であるサーリスト王国の国教、海洋神トラバイスタとその眷属神で絆の神レウナの二柱を祀っている祭祀の一族だ。
サーリスト王国の建国前から神様の愛し子として選ばれている祀王は、必ずピュハマー家の血筋より生まれている。
王家より歴史が古く、しかも“王”を冠する称号を名乗る事が許されているのだから、ある意味、王家と同等かそれ以上の特別待遇の家門なのだ。
ピュハマー家は代々信仰心に厚く神の覚えが良い為、強い神力を持ち強力な神聖魔法を使える者が多い。
何よりも神に仕えることを第一にしているから、この妖精王国内にあって、契約妖精の有無をあまり重要視していない稀有な一族なのだ。
だからこそわたしが上級妖精を連れていようとも、あるいは、妖精と契約していなかったとしても、政治的駆け引きの要因にはならない。
入学試験の案内人は現在学園に所属している人に限られている。
その中でセルベル家と婚姻など見るからにあり得ない身分差の人達じゃないと既成事実として見られる可能性があった。
となると自然と選択肢は、ルートヴィヒ、ミカル、レオナルド、カロリーナ……と万が一セルベル家と噂になってもやすやすと握り潰せる方々に絞られてくるのだ。
その結果、殿下、殿下、祀王様と大変恐れ多い選択肢になってしまった。
消去法で……いやむしろ、カロリーナがわたしと同性だからまず邪推される心配がない適任者だったのだ。
本来なら学生同士であるべきだけど、もし断られていたらきっとエリック先生が案内人になっていただろう。
茉莉衣の記憶によるとゲームの攻略対象は、王子様二人に公爵家の祀王様、商人貴族のエルンストも次期侯爵様と過半数以上が明らかに身分の高い方々ばかりだ。
同じ男爵位の子息であるアルトゥールは、王子の乳兄弟というアドバンテージがあるから学園を卒業して正式に護衛騎士に任命されれば、陞爵は間違いない。
となると一番身の丈に合っているのは既にモッテンセン男爵であるエリック先生になる。入り婿で夫人は事故死という曰く付きだけど。
セルベル男爵に政略結婚の駒となる事を約束している為か、いつの間にか茉莉衣が提示してきた攻略対象を真剣に吟味してしまっている自分に苦笑した。
あくまでも入学試験のサポートとしての選択肢で、人生のパートナーは彼らしか選択肢が無いなんてことはあり得ない。
ルートヴィヒ殿下やミカル殿下にあの時のお礼を言えるくらいには仲良くなれたらいい。
後は出来るだけ高成績で学園を卒業して自分の価値を示し、セルベル男爵が納得する伴侶を見付ければいい。
母のように駆け落ちなんて論外だからわたしは恋を知らなくていい。
わたしにはイヴィとラヴィという家族が居るからそれで十分だ。