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Raccoon はじまりは乙女ゲームで  作者: 加藤爽子
一章 茉莉衣、飛び出す
1/19

春休みの始まりに

 小高い丘のてっぺんにそのバス停はあった。

 丘の斜面は住宅地になっていて、このバス停は丁度折り返し地点になっている。

 そこでバスを降りて坂を下ること歩いて三分。

 大小二つのアイボリーの箱をくっつけたような家がわたしの住処だ。

 折り返して発車したバスと共に坂を吹き下ろした風は未だ冷たかったが、今日終業式を終え春休みを迎えたわたしは、寒さなんて全く気にならないくらい浮かれていた。

 麓では既にチラホラと咲き始めている桜も、丘の上にあるこの住宅地ではもう少し時間がかかりそうで薄ピンク色の蕾に綻びはまだ見えないけれど、じっと咲く時を待っているこの慎ましい姿でさえも心が弾んでくる。


「ただいま」


 白い門の横には『春日(かすが)』という表札が掲げられており、その先にあるささやかな庭を抜けて家に入ろうとドアを開けたわたしは、そこでカチンと固まってしまった。

 視線の先……玄関(かまち)を上ったすぐのところで二つの人影がピッタリと寄り添っていた為だ。

 わたしの帰宅を告げる声に慌てて離れた二人だったが、唇と唇にはツーっと銀色の糸が未練がましく繋がっていて―――プツンという音が聞こえてきそうな勢いで消えた。

 そこに居たのは、姉の(みさお)ちゃんとお隣の家に住む翔馬(しょうま)だった。

 一拍遅れて顔がかぁーっと熱くなる。

 それが恥ずかしいのか、腹が立ったのか、哀しいのか、わたし自身にもよくわからなかった。


「っ!茉莉衣(まりい)


 振り返った翔馬が驚いた声でわたしの名前を呼んだ。


(よりによってなんで……)


 まさか(操ちゃん)彼氏(翔馬)が玄関先でキスしているなんて思いもしていなかった。

 さっきまでのウキウキとしていた気持ちがスゥーと引いていく。


「うっ、浮気者っ!」

「そんなんじゃねーから!!」


 わたしの上擦った声を掻き消すように、彼氏である筈の翔馬が、否定の言葉を口にする。


「そうそう。マリにキスを嫌がられたってショーマが凹んでたから、試してあげてただけだし」


 操という名前の割には貞操観念も倫理観もユルユルの発言をした操ちゃんは、ヘラヘラと笑いながら翔馬の味方をした。


(だって、なんか…………ぬめっとして怖かった……)


 翔馬と初めてキスをしたのは数ヶ月前のクリスマス、翔馬の部屋でだった。

 ミント系の香りがして翔馬ってリップ塗るんだ、と思ったのもつかの間、翔馬の舌が緩く閉じていたわたしの唇の隙間から差し込まれて本当にびっくりしたのだ。

 翔馬に嫌われたくない一心で逃げたくなる気持ちを抑えながらも受け入れていたけど、どうやらそんなわたしの戸惑いは伝わってしまっていたらしい。

 凹んでいたと聞けば翔馬に申し訳ない気分になってしまうが、だからといって他の誰かとキスしちゃうのは許せる事では無かった。


「別に悪くなかったわよ?」


 ましてや、操ちゃんに『悪くない』なんてお墨付きをもらってしまって、気分は最悪だ。


「……わ、わたしも、浮気、するから」

「おい、このバカ!浮気じゃねぇって言ってるだろっ!」


 自分でも思いもしなかった言葉が口をついて出て、驚きながらも身を翻して玄関を飛び出したわたしの背中を、翔馬の怒声が追ってきた。でも追ってきたのは声だけで本人が追ってきた気配はなかった。

 それなのに『別れよう』と言われなかった事にホッとしてしまった自分がなおさら悔しくて、先程下ってきたばかりの坂を一気に駆け上がった。


(次のバスまで十二分……まだ本数のある時間帯で良かった)


 殆どが丘の住人しかお客のいない路線のため、通勤・通学の時間帯以外は極端に本数が少なくなるのだ。

 時刻表を指で辿りながら確認を終えると、誰もいないバス停の待合のベンチにドサッと座ってお行儀悪く膝を伸ばしたまま背もたれに体を預ける。自然と上を向く視線には、まだ固い桜の蕾がボンヤリと映った。

 ここまで全力で走ってきたのでドクドクと脈打つ心臓とは反対に、心も目もなんだかカラカラに乾いているようだった。


 中江(なかえ)翔馬は、春日家のお隣さんでわたしとは同い年の男の子だ。

 翔馬とは別々の中学・高校へと進学したけど、中江家にはよくお邪魔させてもらっていた。

 二歳年上の春日操を姉と呼んではいるが実のところは従姉になる。

 わたしの本当の両親は、わたしが小学六年生の二月に交通事故で二人揃って亡くなってしまったのだ。

 一人残されたわたしを母の兄だった伯父が引き取ってくれて、わたしは春日家の次女(養女)になったのだ。

 幸か不幸か操ちゃんは姉妹だといっても通用するくらいわたしと顔立ちが似通っていて、両親が生きている頃から頻繁に交流があったから、とても親近感があった。

 だから最初はわたしも家族としてすぐに馴染めると軽く考えていた。

 でも、それは決して簡単なことでは無かった。

 伯父の家の学区内にある小学校の先生も生徒もほとんどは操ちゃんが一人っ子だということを知っていたし、ご近所さんもそうだ。

 春日家に引き取られたわたしは、二月から卒業式までのたった一ヶ月未満なのに、事情を知っている人々に同情されて、事情を知らない人々には今までどこで暮らしていたのかと詮索され、更には操ちゃんと比較されて……何度も繰り返される同じ様な質問に答えるのが辛くなってしまって学区外の中学に進学したのだ。

 操ちゃんが既に卒業していた小学校へ行っただけでも色々言われて辟易したのに、二歳年上の操ちゃんが在籍している中学校へ行く勇気が持てなかった。

 そもそも、両親が亡くなる前は小中高一貫の私立燿誠(ようせい)学院に通っていて、すでに内部進学試験にも受かっていたし、中等部の制服や鞄も購入済みだった。

 二十分だった通学時間は二時間近くになるけどなんとか通える距離だったから、伯父さんと伯母さんに頼み込んでこれまで居た学校に進学させてもらったのだ。

 高二も終わった今、振り返ると結構な学費が掛かってしまうセレブ校にも拘わらず、伯父夫婦はよく了承してくれたと思う。

 もちろん、それだけの遺産を残してくれた両親のお陰でもあった。

 翔馬はわたしが一ヶ月だけ在学した公立小学校へ一緒に登下校をしてくれた。

 それに、新しい家で居心地の悪さを感じ始めていたところ「晩御飯までオレの家に居れば?」と居場所をくれたのだ。

 腫れ物に触るような伯父さんも、お母さんの代わりになろうと気負っている伯母さんも、友達にわたしの事を聞かれてありのままに「親が事故で亡くなったから妹になったの」と答える操ちゃんも、誰も悪くはない。

 むしろ、優しくしてくれて恵まれているのだと頭では分かってはいるのだ。

 だけど、春日家という家族に割り込んでしまった感はどうしても拭えなかった。

 例えば、リビングに飾ってある、操ちゃんが幼い頃の家族旅行の写真。三人共楽しさが溢れている笑顔だ。

 でもわたしが春日家に来てから、こんな風に三人共が揃って心置きなく笑っているところは見たことが無かった。

 気遣ってくれているのは分かっているけど、わたしがこの家族から何の憂いもない笑顔を奪ってしまった、という罪悪感がいつまで経っても頭の片隅から離れなかった。

 そんな時に「うちに居れば?」と言ってくれた翔馬の何気ない一言は、彼にとって大した事ではなかったかもしれないけれど、わたしにとってどんなに大きな救いになったことか。

 翔馬はわたしに気遣いなんてしなかった。

 わたしが宿題をしている時に、翔馬はゲームをしていたりして、ただ同じ空間に居るだけで毎回一緒に遊ぶわけでもない。

 初めのうちはわたしも翔馬の好きな格ゲーやレースゲームをさせてもらったりもしたけれど、トロくさいプレイが翔馬をイライラさせてしまうだけだったので、次第にゲーム機に触れることも無くなり、自然とそれぞれが好きな事をして過ごすよう落ち着いていった。

 わたしにはその距離感が心地良かったのだ。

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