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おはよう僕、おはよう世界。

作者: 悠木 亮


 意味のないものを切り捨ててきた。

 無駄なものを省いて生きてきた。


 それは誰かにそうしろと言われたわけでもないし、何かきっかけがあったわけでもない。

 生来の性質の問題だろうか、自然とそういう生き方になっていっただけなのだ。


 友達がいなくとも生きていける。

 恋人だって必要かと言われれば全くもって必要じゃないし、お金だってそうだ。

 (もっとも、お金に関してはまだ両親の庇護のもとで生活しているからそう言えるだけなのだが)


 そうやって、不必要で無駄なものをどんどん捨てていって、趣味と言える趣味もない僕に残ったものは家でする食事と睡眠くらいなものだった。

 だから、今この世界で起きてる目に見えない敵との争いは、僕にとってはそれほど苦痛ではなかった。


 ただ、困ったことといえば唯一外に出る必要のあった大学が、オンラインで受けられるようになってしまったことで新しい無駄を見つけてしまったということだ。


 すでに4月と5月の授業をオンラインで受けてしまった僕の体は、月曜日つまり今日から再開される登校に拒絶反応を示していて、席に座って教室で本日最後の授業を受けている今でも真剣にもう抜け出して帰ってしまおうかと悩んでしまっている。


「──さん。須藤さん」


 急に耳に入ってきた僕の名前に驚いて、声のする方を見ると、隣の席の女の子が前方を机の下で指差しながら「ま、え!」とヒソヒソ声を発していた。


「須藤! おーい、須藤圭人はいないのか〜」

 

「あっ、はい!」


 どうやら先生が僕を指名していたらしく、咄嗟にした返事は動揺で声が上ずってしまった。恥ずかしさを燃料に顔が燃えるように熱くなる。


「いるならすぐ返事しろ」

 

「すみません」


 呆れ顔で「まぁいいや」と小声で言った後、講師は続けた。


「じゃあ須藤、君に聞く。『おはよう』とはなんだ? どのように使う?」


「え…… 、朝に会った人に使う言葉ではないですかね?」


 僕の答えを聞くと、先生はさっき見せたよりもあからさまに呆れ顔をした。


「はぁ〜、つまらない答えだなぁ須藤。文学部に通う学生ならもう少しマシなことを言ってくれよなぁ。じゃあ次は――」


 また顔が熱くなる。


 勝手に人の考え方聞いといて、勝手に貶して。

 なんだよマシなことって。そんなに言うなら、他の人の答えを聞いてみようじゃないか。

 文学部に通う学生ならさぞ素晴らしい回答を出してくれるのだろう。


 若干の苛つきを覚えながら、他の生徒の意見に耳を傾ける。


「おはよう。そうですね……例えば、はじめてのモノとの邂逅でしょうか」


「芸能の業界では、昼夜問わず、おはようを使うと聞きます。なので朝だけでは不十分でしょう」


「産声」


 などなど、いろんな意見が出るくるが、どれも僕の回答よりかは優れているようで先生の満足気な顔がその証拠だった。


 ……全く面白くない。


 *****


 結局、僕の後の数人に聞いたところで授業終了を告げるチャイムが鳴った。


「じゃあ、今日はここまでな。来週は焦点化について説明するからな」


 やれやれ、やっと終わった。来週の講義は休んでやろう。そうしよう。


 そもそも、文学を学んで何になるのだろうか。好きな作家がいるわけでもないのに、文学を学んでる理由はなんだっただろうか。


 そんなことを考えながら、机の上に広がったルーズリーフとプリント、シャープペンシルを片付けていると、「須藤さん、須藤さん」とまた僕の名前が呼ばれた。

 声の主は、さっき先生に呼ばれていることを教えてくれた女の子だった。


 一体なんの用があるというのか。きっと、僕を馬鹿にするために違いない。


「なに」


 思ったよりも冷たい声が出て、自分でも驚く。


「私もね、須藤さんと同じ答えだったの。だから、先生に指名されてたのが私だったら、私も同じようにみんなの前で先生に叱られてたかも」


 彼女は続ける。

 

「だから、ごめんね。なんか君に悪い気がしちゃって」


「えっ」


 恐らく10000人がいたら9999人は予想すらしないようなセリフを吐かれて、真っ白になった頭でとっさに言った。


「あっ……ありがとう、ございます」


「お礼を言われることなんてしてないって、わたし」


 そう言ってふふっと笑う彼女の顔は、マスクのせいで口元が見えなかったけれど。

 思考が停止して、ほとんど何が起きてるか分からなかったけれど。


 細まった目に僕の心が奪われたことは確かに分かった。



 *****



 あの授業から2日が経った。昨日は朝から何も手がつかず、学校も休んだ。

 母には熱っぽいからと説明した。彼女のことを考えると顔が熱くなってしまうので、あながち間違いではないと言える。


 そして今日、僕は学校に行ったフリをして公園でブランコに揺られていた。


 学校をサボるなんて初めてのことで、どこで何をしても地に足がついてないような感じがして居心地が悪かった。

 ならいっそ地に足をつけるのを辞めてしまおうと思い、公園のブランコに乗って足を浮かして揺れているというわけだ。


 それから時間も忘れて、空を見上げてゆらゆらゆらと揺れながら、あの日の感情の整理をして、これまでの自分を思い返していた。


 そうやって、あれこれと思考を巡らしているうちに1つの結論にたどり着いた。


 ……そうか。無駄こそが文学で無駄こそが人生なんだ。蛇足な描写は作家性で、不必要な行動がその人の個性なんだ。


 彼女がした僕への謝罪。

 それは今までの僕にとっては無駄としか感じない行為だった。

 だが、その不必要な謝罪によって僕はあの時救われたし、僕のような無駄で不必要なことを省いてきた人間にはできないことだと言い切れる。


 だから、それができる彼女を尊敬したし、美しいと思った。心惹かれた。


 他人にとっては無意味だと思えるものを、自分の世界で意味のあるものに変えられるのが作家なのか。

 

 そういえば、ちょうど1年前の大学2年生のこの時期に、暇を持て余した僕は小説を書いてみようと思ったことがある。

 自分も文学部の端くれ、それなりのものが書けるような気がしていた。


 しかし、結果はどうだろう。出来上がったものは今まで課題として書いてきたレポートと何も変わらない。

 駄作も駄作、およそ文学と言えるものではない。

 それは二度と変な気を起こさせないようにするには十分なもので、何故そうなってしまったのかなど考えもしなかった。


 けれど、今わかった。

 作家は自分の経験したことしか書けないと聞いたことがある。

 ならば、無意味で無駄なものを片付けてしまった人生のミニマリストに文学など分かるわけないし、書けるわけもないのは当然のことだ。

 何1つ経験してきていないんだから。


 だが、彼女によって僕は変わった。変えられてしまった。


 僕の目には公園の木も、花も、草も全てが、世界が意味づいている。

 

 今ならきっと書くことができる。


 家に帰ったら、紙とペンを出してこの出来事を描こう。

 この世界で小さな僕に起こった大きな出来事を。

 今まで、意味を持たせなかった歩みを、意味のあるものに変えてみよう。


 あの子のおかげで、僕は初めて自分自身と、世界と向き合あった気がした。



 

 おはよう僕、おはよう世界。

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