彼女はとても大きい
電車に揺られながら、今日も彼女の事を想う。
いつもと違うのは、それが大学へ向かう電車ではなく、実家へ帰る電車だということだ。やっと彼女に会える。四ヶ月ぶりだろうか。
俺は、大学の夏季休業を機会に、地元にいる好きなひとに会いに行くことにした。
俺の実家があるのは、ど田舎である。
大学でできた友人のうち、俺の故郷を知っている人は一人もいないかった。
都心を離れるにつれ、電車に乗る人は少なくなっていく。それと同時に、期待と愛しさで胸がいっぱいになってくる。
そういえば、俺が何ヶ月もいない間、彼女はどうしていたのだろうか。今度携帯電話を買ってあげようかな。いや、でも彼女に使いこなせるんだろうか……。
駅でローカル線に乗り換えると、一気に人の数が減った。電車は一面若草色に色づいた水田地帯を走り抜ける。
冷房の効いた電車の中にいても日差しの暑さを肌に感じる。
「懐かしいな……」
自然と声が漏れてしまった。
高校には自宅からバスで通っていた。時間はかかったが、その頃は家に実家にいたので、いつでも彼女に会うことができた。しかし、都会の大学に通うことになってからはそれも叶わなくなってしまっていた。
窓の外ののどかな景色を眺めていると、安心感が湧いてくる。もう頭のどこかでは家に帰ってきたような気になっているのかもしれない。
『次は、雨ノ森、雨ノ森〜』
席を立って、電車を降りる。さっきよりいっそう強い日差しを感じ、思わず目をつむった。
「持ってきてよかったな」
リュックサックから帽子を取り出して頭にかぶると、少しはましになった。
「うわっ、十一時五分!? あと一時間はあるじゃんか!」
現在時刻、十時十二分。バスが来るまでにあと一時間もある。仕方なく待合室で待つことにした。この辺りは何度か来たことがあるが、近くのコンビニまで二十分以上はかかる。消耗する体力を考えれば、待っていたほうがまだいい。
「昼飯、持ってくればよかったな」
親に電話をかけ、予定よりも遅くなる旨を伝えた。珍しく父が電話に出た。
『バスの時間くらいちゃんと確認しろよー』
「確認しようがないだろ。ネットにも載ってないんだから」
『はっはっは! それもそうだな!』
父は大笑いしていたが、こっちにしてみれば笑い事ではない。まあ、元気そうで何よりだ。
軽くため息をついた後、持ってきた小説を読みながら時間をつぶすことにした。
ディーゼルエンジンの重い音とともに、バスが目の前に止まった。このバスに乗るのも久しぶりだ。
バスに乗り込んでも、乗客は俺一人しかいなかった。
バスはゆっくりと動き出し、やがて一つ山を越えると俺の目的地に到着した。
『お待たせいたしました。雨ノ森、雨ノ森です。お降りのお客様は――』
運賃を払ってバスを降りたところに、父が車を停めて待っていた。
「潤! 久しぶりだな! 大学はどうだ? 彼女できたか?」
「父さん、久しぶり。残念ながらそんなのいないよ」
「そうか! 顔は悪くないんだがな、何がいけないんだろうな!」
「余計なお世話だよ」
開口一番そんなことを聞いてくるが、これがうちの父親である。乗り込むと、父はそのまま車を走らせて実家に向かう。
「昼飯は食ったのか?」
「いや、まだだよ」
「じゃ、うちで一緒に食べよう。今日は冷やし中華だ」
「お、いいね」
そんな他愛ない会話をしているうちに、家に着いた。
昔ながらの和風建築といった感じの平屋で、田舎なので無駄に広い敷地を持っている。おそらくかつては地方の地主か何かの屋敷だったのだろう。
「おかえりなさい、潤。ごはんできてるわよ」
「ただいまー。お、うまそう! いただきまー」
「先に手を洗って来なさい」
「はーい」
「まったく、ちっとも変わってないな!」
そういう両親も、もう六十代だというのに相変わらず若々しい印象を受ける。やはり体を動かす機会が多いからだろうか。
洗面所で手を洗ってきてからいつも座っていた席に座り、昼食を食べ始めた。
「潤、もっとゆっくり食べたら? 麺はどこにも逃げないわよ」
「いや、むぐ……ちょっと、ね……もぐもぐ」
「またあそこに行くのか? まあ止めはしないが、気をつけろよ」
家から少し離れたところに、俺が小さい頃から頻繁に通っている場所があった。
「大丈夫、大丈夫。もう何度も行ったことあるし…………ごちそうさまでしたっ!」
「早っ! 車にも気をつけろよー」
「いってらっしゃーい」
家を飛び出して、物置で埃を被っていた自転車を引っ張り出す。
「まだまだ現役だな」
しっかり手入れをしていたお陰か、錆も少なく動作不良もなさそうだ。
「さあ、今行くからな!」
自転車を走らせること十分程度、俺の目の前には鬱蒼とした森が広がっていた。ここから先は自転車を降りて歩く。
辛うじてそれと分かるくらいまで苔むした石の鳥居が静かに、しかし力強く佇んでいる。
きっとここは何かの神様を祀っていたのだろうが、俺が小さい頃始めてきたときにはもうこんな有様だった。もう真ん中に書いてある字も読めない。
俺は作法に則って一礼して鳥居をくぐる。
「うわっ、前よりもかなりすごいな……」
石の階段が奥まで続いているが、横から木や草がせり出してきて、道が分かりづらくなっていた。
更に奥に進むと、ひときわ巨大な木が見えてきた。
かつてはしっかりと巻かれていたであろう注連縄はほとんどがぼろぼろになって地面に散らばっている。
日光は木々の葉に遮られ、所々差し込む光が荘厳な雰囲気を醸し出している。
「おーい、アメー! 俺だよ! 潤だよー!」
『んぅー…………? むにゃ…………なにー?』
「寝ぼけてるのか? アメ、帰ってきたよ」
『んぅー? じゅん…………潤?!』
その途端、大木の幹の近くの空間がぐにゃりと歪んで人の形を作った。端整な顔立ちに、地面につくほど長くて真っ白な髪。瞳の色は透き通ったレモン色が近いと思う。
そして何より――――。
「潤! なんで潤が、ってあれ? 潤? どこー?」
「下だよ、しーた」
「ええっと……あ、いたー!」
「おっと、頼むから潰さないでくれよ」
「大丈夫、大丈夫! 潰したりなんてしないよー」
そう、彼女はデカい。とんでもなくデカい。
胸が、とかそういう話ではなく、身体が大きいのだ。もちろん必然的に胸も大きいわけだが。
俺も別に背が低いわけではないが、彼女にしてみれば手のひらサイズだ。
彼女は優しい手付きで俺を包み込むと、目の前まで持ち上げてくれた。
「久しぶり、アメ」
「そう? そんなに久しぶりでもないと思うけど……」
「そりゃあ、アメにとってはそうかもだけど……」
人よりも遥かに長い寿命を持つらしい彼女にしてみれば、数ヶ月なんて数十分間と同じくらいなのかもしれない。
「うーそ、うそだよ! 私だって、寂しかったよ……」
「そ、そう? 来た甲斐があったな」
そんな彼女の様子にドキッとしてしまう。そんなことを言われたら本気にしてしまうというものだ。
高校生の頃、緊張しながらも彼女に告白をしたことがある。その時は、『私も潤のことすきだよー』という感じで返されてしまった。
彼女は、おそらく人間ではないのだろう。
色々と調べてみたが、日本の妖怪であるダイダラボッチが一番近いのではないかと思う。こんなに可愛い感じだとは思わなかったが。
ゆえに、彼女は恋愛に疎いのだ。そもそも霊や妖怪の類にそういう概念があるのかもわからない。
彼女の「すき」は、人間社会で言うところの人としてという意味だと思う。
多分俺はその時失恋したのだろう。しかし、彼女との関係が変わることはなかった。
俺はそれからもこの不思議な場所を何度も訪れた。
「ねえ、あの……今日はあれ、あるの?」
「もちろんあるよ」
俺はしっかり握っていたクーラーボックスを彼女の手のひらの上で開け、中からプラスチック容器を取り出した。
有名な、牛皮を使った大福のような形のアイスクリームである。
「はい、口開けてー」
「あーー」
なぜ声を出すのかはわからないが、そんなところも可愛らしく見える。
俺はそのアイスを一個ずつ彼女の口の中に落としてやった。
うっとりした表情で大事そうにゆっくりと咀嚼する彼女を見ていると、俺まで幸せな気分になってくる。
「んーーおいしかったあ! ありがとう!」
そう言って満面の笑みを浮かべる。
彼女はアイスが好きなわけではなく、和菓子――特に餡を使ったもの――が大好物なのだ。
彼女はとくに食事をしなくても生きていけるらしいが、楽しみのために食べ物を食べることもある。
「アメ、ちょっと聞いてもいいか?」
「? どうしたの?」
お読みくださりありがとうございます!