その一歩は上がるのか下がるのか-2
「……それで私に話を聞いて欲しいと?私に何を言えと?」
連れてこられたのは学園の図書室。
そこに居るのは長い黒髪の理知的な女生徒だった。
窓際の椅子に少しだけ気怠げに座り、手には一冊の本を持っている。
彼女は読書を中断しなければいけない事に溜息をつきながら俺達を見る。
読んでいたのであろう本に綺麗な栞を挟んだ後、こちらへ向いた視線は胡乱げだ。
「そう言わんでくれリフィル。こいつは俺の可愛がってる後輩でな、手遅れになる前に何とかしたいのだ……頼む!」
聞いた事がある。
最近、先輩が懇意にしている相談役が居ると。
余人では気づけぬ視点から色々な事柄に的確なアドバイスをくれると評判であるその女生徒は“図書室の魔女”と呼ばれているのだとか。
先輩だけではなく魔女のアドバイスに助けられたと言う人が増えているのだと聞いた事があった。
話の流れから考えれば先輩は俺の婚約破棄計画を魔女に手直しして貰おうと考えているのだろう。
俺の計画は完璧だとは思う。
しかし、その完璧な計画で補えていない所を見つける事ができるとなれば、それはこの魔女しか居ないと先輩は考えた訳だ。
「何度も言うように私ができるのは私が感じた事をそのまま伝えるという事だけです。何やら最近、妙な噂が聞こえてくるせいで勘違いしてませんか?」
「それで良い!それで良いのだ!こいつの話を聞いてありのままに思った事を伝えてくれ!」
エクサス先輩がリフィルと呼ぶ魔女に頭を下げて頼み込む。
その姿に俺は少しだけ驚いてしまう。
先輩はまさしく王者の風格を持つ男だ。
当然、目上の者に対して頭を垂れる事はある。
大貴族と言えど上には上が居るわけだし、先輩は教官などにも敬意を払っているからだ。
しかし、自分と同年代。
それも女に対してこのように頼み込む姿を俺は見た事がなかった。
それほどまでに俺の計画を成就させようとしてくれているのだと思うと胸に熱いものが込み上げてくる。
「あなたはそれで良いのですか?」
「先輩がここまでしてくれているのだ……嫌と言えるものか!俺が立てた婚約破棄の計画!それを貴女に採点してもらおう!」
俺は魔女に対してそう宣言した。
熱い宣言とは対極の魔女の冷たい眼差しが俺に刺さるが怯みはしない。
「はぁ……では、どうぞ」
こちらの着座を促す魔女。
そして、溜息を吐きながら魔女は懐から小さなメモ帳とペンを取り出し俺の話を聞く姿勢を取る。
そうして俺は先輩に話したよりも少しだけ詳しい内容を魔女に伝える事にしたのだった。
◇
「まず、俺の誕生パーティーで大々的に婚約破棄を宣言します。これは周囲の人間を味方につけるためです。俺の誕生パーティーですから。基本的に顔見知りや実家の繋がりがある者達が多いはずですから俺の賛同者で周りを固めます」
何と言っても味方を一人でも多く作る。
これが重要だと考えた。
戦いは数。
こちらに不利な立場で戦うというのは愚の骨頂。
彼女は口がよく回るのであくまでこちらの有利な場所で戦いを始めるのだ。
「次いで彼女が俺に今まで行ってきた悪逆非道を晒して糾弾します。これによって中立を保とうとする者も少なくなるはずです。俺が日常的にされていた事を聞いて義憤に駆られなければ男ではありません!」
これによって俺の正当性を主張する。
婚約破棄をするのは彼女の素行が悪いのだからこれは当然の行いなのだと。
俺のプライドをズタズタに引き裂き続ける彼女の行為、周囲に知られていないその本性を暴き糾弾する。
「後は流れに身を任せれば問題ないでしょう。彼女がこれで少しは自分の行いを悔いてくれれば婚約継続を考えても良いですがね」
完璧。
完璧すぎる計画だ。
なぜ今までこうしようと思わなかったのか不思議に思ってしまうほどだった。
唯々諾々と家の言う事に従おうとしていたかつての自分の馬鹿さ加減に今更ながら呆れるばかり。
魔女は目を瞑り、頭の中で俺の計画を反芻しているのか微動だにしない。
それはそうだろうと思う。
ここまで練りに練られている計画。
先輩から頼まれた手前、何か意見を言わなければいけないのだろうが言うことが無い。
そういう事だと思う。
たっぷりと時間をかけた後に目を開いた魔女が先輩へと体を向けて口を開く。
「………………何か言う事は?」
「すまん……俺も何故にここまで暴走しているかわからないのだ……」
◇
「言いたい事は星の数ほどありますが、確認を幾つか」
「なんですか?」
「まずあなたの婚約者が行った悪逆非道とやらの内容です」
確かに、それは重要な要素である。
俺が婚約破棄を考えるに至ったのは彼女の行いがあったからだ。
何も単純に気に入らないから婚約破棄をすると言っているわけではないのだから。
「そうですね、まず彼女は俺のやる事なす事全てが気に入らないのか一々口出しをしてくるのです。その中には男としての誇りを踏みにじるものもありました。例えば俺が軍事訓練で下級生に怪我をさせてしまった時です。軽く怪我をさせただけだというのに今すぐに謝罪に行けと言ってきたのです」
「怪我をさせたのは良くない事では?」
「それが軟弱な考えなのです。訓練は本気でやらなければ意味がない。その過程で怪我をさせてしまう事など日常茶飯事!だというのに、彼女はわざわざ謝罪するようにと言ってきて、拒否した俺を保健室へと引き摺って行ったのです」
俺の言葉を聞いた魔女が目線を先輩へと向ける。
「こいつの言うことは事実だ。訓練で怪我をする事は多い、その度に仰々しい謝罪をする必要は無いだろう」
「先輩はわかってらっしゃる」
「だが、それが不必要な怪我であれば話は別だ。あの時はお前は興奮していて訓練終了の合図が聞こえずに不意打ち気味に怪我をさせてしまっていたな」
「うっ……!しかし、それは油断をしたあいつが悪いのであって……実戦では終了の合図など……」
「悪いのはお前だ。百歩譲れば訓練終了とともに気を抜きすぎた相手にも非があったと言えるかもしれん。それでもお前が悪くないという事にはならん」
魔女が冷徹な目で俺を見る。
その視線は全てを見通そうとする魔眼のようで体に寒気が走る。
「問題はそこではありません!重要なのは彼女が俺に謝罪を強要したという事です!男としてのプライドという物がわかっていない!頭を下げるという事がどれほどの物かという事が!軽々しく頭を下げるなど貴族として、何よりも男としてあるまじき行為であると!俺も怪我をした事はありますが相手から殊更に謝罪をされた事などありません!」
「……と仰ってますが?」
「私に話を振らないでくれ……」
魔女がいくら聡明であり、先輩が重宝している相談役だとしても所詮は女だ。
男には女では理解できない物があるのだ。
こればかりはわかれと言ってわかる物ではないだろうから仕方ないかもしれない。
「彼女の蛮行はまだあります。私は将来は軍に身を置く事になる者だというのに無理矢理に勉学を教えるという名目で拘束をしてくるのです。勉学などそれしかできぬ者が行えば良いでしょう。領地経営などは家の者に任せれば良い。戦場に身を置く者に必要な事柄ではありません!だというのに少しでも手を抜こう物なら厳しく非難してくる。確かに彼女は頭が良いのでしょうが、それを私に求めてくるのは筋違いというものです!」
適材適所というものがある。
できない事、適性がない事に割く時間の何と勿体ない事か。
私は軍に身を捧げるのだ。
そのような些事に使う時間など無い。
「わかっていないのです。女には入り込む事ができない世界がある事を。そこでは必要のない物を学ぶということが無駄だという事を」
「……と仰ってますが?」
「私は苦手な座学にも励んでいる!そのような目で見ないでくれ……」
私はその後も幾つもの例を魔女に話した。
その度に魔女と先輩の表情は暗く淀んでいった。
そうなってしまうほどの仕打ちを彼女は私に繰り返していたのだ。
「婚約者の方の行動はわかりました。あとは、そうですね……この話を知っている者は私達の他には誰がいますか?」
「居ません。そもそもはもっとも信頼の置ける……何よりも婚約という呪縛から解放されるという偉業を成し遂げた先輩にしか話す気はなかったのですから!」
魔女に内容を話しているのも俺にとっては少しだけだが不本意な事ではあった。
先輩の勧めでなければ相談など絶対にしなかっただろうと思う。
「俺もエクサス先輩のように自由になる。そのための婚約破棄です。聞けば先輩の元婚約者も碌な女ではなかったという話。陰気陰鬱でセンスが悪く口汚く弁だけは立つ。腹黒く周囲の人間を貶める事しか考えていない。そのような悪女から脱した先輩に俺は続きます!」
「……………………と仰ってますが?」
「俺が言ったわけではない!俺は決してそんな事は言っていない!本当だ!信じてくれ!そんな事を言うわけがないだろう!」
何故か先輩がこれまでにないほど焦っていた。
人伝に聞く先輩の元婚約者も中々に酷かったとは言え既に関係は絶たれている。
だとしても元婚約者。
心優しい先輩は事実であったとしても心が痛むのかもしれない。
この器の大きさこそ俺には真似できない所だ。
「はぁ……まぁ良いです。それでは私見を述べさせてもらいますね」
◇
「色々と思う所はありますが一番は“何故大多数の目がある場所で婚約破棄を宣言”する必要があるのかという事ですね」
「……理由は先程説明しましたが彼女は周りからはとても評判が良い。周囲の目を覚まさせて、こちらの味方に付ける必要があるのです」
「いえ、それは必要ありません」
魔女は静かに語る。
私を見つめる目は冷たく、そこには呆れの感情が多分に含まれているように思えた。
「あなたが虐げられていたとしても、彼女が本性を隠している悪女だとしても、それを周囲の人に知らしめる必要はありません」
「……」
「貴族の婚約はあくまで両家での契約。その他の人間は第三者であり言ってしまえば無関係な他人です。そこを味方に付けたとしても婚約破棄はできません」
「しかし!そうでもしなければ両親も私の主張を認めはしない!」
「それも違います。認めはしない“と思う”ですよね。あなたはこの話を私達以外にはしていないのですから。ご両親がどういった反応をするのかもまだわからないはずです。だというのにあなたは一足飛びに話を進めようとしています」
魔女の言葉に俺は反論ができない。
両親ともに彼女の事を気に入っているのだから私が何を言っても取り合ってはくれないのは間違いが無いはずだ。
初めからわかりきっているのだから必要は無いと俺は思った。
だが、それを確かめてはいない。
「ご両親に一言告げるだけです。更に言うならば当事者である相手方にも先に話をするべきです。それだけで無用なトラブルを防げます。何故それをしないのですか?」
「それは……そんな事を言っても受け入れられるはずが……」
「受け入れられるはずがない“と思う”。だから自分の中だけで話を進める。何故そこに違和感を覚えないのです。婚約を無かった事にしたいと考えたのであれば、まず最初に行うのは当事者同士での話し合いですよ」
魔女の言葉は続く。
完璧だと思っていた俺の計画。
それはそもそもスタート時点からして間違っていると。
「もしも、話し合いで解決ができないような何かがあった場合、それこそ無理矢理に話を進めるべきではないんです。婚約には何かしら家同士の事情があるはずですから」
「家の事情など俺には関係がありません!」
「それならば単純に婚約に従わなければ良いだけではありませんか?例えば家督を捨てて家を出れば良い。あなたがそうしないのは家から出奔する気が無いからです」
魔女の言葉は一々正しく聞こえる。
婚約は当事者同士だけではなく家同士の契約でもある。
それはわかる。
わかってはいても納得はできない事柄だと俺は感じて行動に移そうとした。
理不尽を強いてきたのは実家の方なのだから俺が好き勝手したって良いはずだと思った。
それがあまりに浅い考えだと魔女が俺に突きつけてくる。
自分に取って都合の良い事しか見ていないと。
「こんなやり方で婚約破棄をしたとして、相手側の家が納得すると思っているのですか?あなたの行動は実家に多額の賠償、負債を背負わせる可能性があるものだという認識が無いように見えます」
「くっ……」
「実家の言う事は聞かない。実家にかかる迷惑なんて知らない。自分のしたいようにする。でも、家からは出たくない。相手は泣き寝入りするはずだ。何というか……あまりに幼稚です」
言われてみて初めて気づく。
俺は自分の事しか考えていなかった。
実家がどうなるかは考えていなかった。
相手がどういう反応をするかなんて考えていなかった。
俺は下唇を噛む事しかできない。
「そもそも誕生パーティーに来た婚約者に対して一方的に婚約破棄を宣言。こんな事をして周りがあなたの味方に付くと本当に思っているのですか?」
「当然です!私がされた数々の仕打ちをあなたも聞いたでしょう!」
「それを聞いた上でですよ。断言しますが、不興を買うのはあなたです。賛同者など出る事はありません。冷静にそして客観的に考えてみてください。あなたが呼ばれたパーティーで同様の事が起こったらどう思いますか?主賓である男性が婚約破棄だ!などと喚き散らす姿を想像してみてください」
和気藹々と歓談するパーティーの出席者たち。
楽しく過ごす時間。
そこに主賓が現れて唐突に婚約を破棄すると宣言し女性を罵倒する。
その姿は想像するだに醜い物であった。
地獄絵図だ。
そんな事を始めた者に対して好意的な感情が向くはずがない。
何も言えなくなってしまった俺に魔女の言葉は続く。
「色々言いましたが最終的に私が感じたのは、あなたは別に婚約破棄がしたい訳ではないのでは?という事です」
「…………」
「あなたは婚約者を貶めたいだけに見えます。彼女に何かしら傷をつけてやりたい、彼女よりも優位に立ちたい。そうして選んだ手段が婚約破棄だったというだけ。私個人としての意見を述べるならば是非婚約を破棄してあげて下さい。あなたのような男性から一人の女性が解放される。それはとても素晴らしい事でしょうから」