その一歩は上がるのか下がるのか-1
イルド・ワシンには婚約者が居る。
口煩く、何をしても俺の保護者面している彼女に辟易し始めたのはいつからだったろうか。
俺を立てるような事は無く、どんな時でも俺の行動に駄目出しをしてくる。
俺は確かにあまり頭が良くない。
だからこそ、そこ以外の長所を伸ばすために体を鍛えに鍛えた。
昔は小さかった体躯も今では成長した。
でも、それは彼女からすれば美点にはならないのだろう。
なにかにつけて彼女は俺を小さな子供のように扱うのだ。
そのような扱いに俺は不満が溜まっていった。
俺は彼女と幼い頃から家の事情で婚約を結んでいた。
それなりに大きな貴族同士が幼い頃に婚約するというのは何も珍しい事ではない。
だが、俺はいつからか婚約というのは理不尽だと感じていた。
当人たちの意思や感情など考慮に入れずに親の都合で子供の人生を縛る。
結婚など人生に於いて大きな出来事を当事者の了承無しに決めているのだ。
こんな事は許されてはいけない。
成長した俺はそう考え始めていた。
「婚約破棄をしようと考えている?イルド……お前本気か?」
目の前に居るのは学園でとてもお世話になっている先輩だ。
エクサス・カリニオンと言えば学園一の貴公子と名高い人。
俺はこの先輩をとても尊敬している。
王家にも繋がるという高貴な生まれに相応しい能力の高さ。
誰も目を逸らす事ができない自信に満ち溢れた姿。
そして、何よりも自分の信念を貫き通す意思の強さ。
それを証明している出来事がつい先日にあった。
「はい。俺もエクサス先輩を見習って理不尽に抗おうと思います」
何を隠そう先輩は先日、自身の婚約を破棄したのだ。
それを聞いた時は立ち上がり「すげーすげー」と賞賛を連呼してしまった。
先輩は自身に降り掛かった婚約という名の理不尽極まりない呪縛を自身の力で断ち切ったのだ。
流石は俺が憧れ、尊敬する人だと感動に打ち震えた。
「いや、俺を見習うとかそういうのは……」
「俺も先輩と同じなんです……親に勝手に決められた婚約者が居るんです。でも、俺と彼女は根本的に合わないと思うんです。彼女と相性が良いなら俺だって文句は言わないですよ。でも、違うんです」
力強く拳を握り熱く語る。
エクサス先輩の元婚約者は噂に聞く限りでは地味で陰気陰鬱な女であり、はっきり言って貴公子である先輩の隣に立つのに相応しくはない者だったという事だ。
人間には相性という物がある。
並び立ち、支え合うにはどうしたって相性が良くないといけない。
きっと先輩もそう考えて自分の運命に逆らったのだろうと思う。
「お前な……よく考えたのか?」
興奮している俺を先輩は微妙な表情で見つめる。
先輩なら俺の肩を叩いて応援してくれるだろうと想像していたが思っていた反応と違ったと言わざるをえない。
だが、その反応も仕方の無い事だ。
婚約破棄というのは中々できる事ではない。
そもそも両親が決めた事に反旗を翻すというのは貴族としてはとてもむずかしい事だ。
貴族の親は親としての立場よりも当主としての立場を重んじる場合が多い。
その顔に泥を塗ると言っても過言ではない行いだからだ。
だからこそ、それを成し遂げた先輩に俺は尊敬の念が強まったわけだが。
「はい!もう段取りも考えています!今度、俺の誕生パーティーがあるんです。そこに当然婚約者も来るんですけど、そこで婚約破棄を宣言してやるんです!公衆の面前でやる事で既成事実を作って、そのまま話を進めるんです!」
肝としてはやはり多数の目に止まる所で婚約破棄を宣言するという所だ。
これは先輩も使った手であり恐らくは王道。
先輩の場合はパーティー会場ではなかったという事だが、これは相手が違うので仕方がない。
先輩の婚約者は評判が悪い女だったようだが俺は違う。
俺の婚約者は外面が良いので一歩間違えれば俺が悪者になってしまう。
戦う場所を自分に有利な条件とするのは常套手段だ。
俺の家が主催するパーティー会場で宣言する事によりこちらの正当性、そして相手の悪辣さを世に知らしめる。
そして、自身の退路を断つ事によって自らを鼓舞する。
そう、俺はもう止まる事は無い。
自由へ向かって走り出した俺を止める事など誰もできはしないのだ。
「イルド、お前の決意はわかった」
先輩が額に手を当て天を仰ぐ。
肩を落とすのは俺の決意の固さに止めても無駄だと理解してくれたからだろう。
後輩思いの先輩としては茨の道へ進もうとする俺の事を止めたいと思っているのだろう。
「だが、その前にちょっとだけ人に会って話を聞いたほうが良い」
誰と会って何を話すというのだろう?
だが、なんと言っても先輩の言う事だ。
もしかしたら、先輩も婚約破棄をする前に色々な人に相談をしてから走り出したのかもしれない。
何も考えずに突っ走るなとは教官からもよく言われる俺の悪癖。
今回の件に関してはそうならないように練りに練った計画があるわけだが、それでも少しだけ不安だったのは本音だ。
だからこそ、一番信頼が置けて何よりも先駆者である先輩に事前に打ち明けたのだから。
「ちょっと付いてこい。うってつけの人物が居るからな」