逃げた魚と逃した漁師-3
私達の婚約は無事解消される事となった。
いい歳になった二人がプライベートな接触を一切していなかったのだから、どちらの両親もこんな事になるんじゃないかとは思っていたらしい。
特に賠償的な話なども無く、これからは良い友人になりましょう、お互いの家も今まで通りに仲良くしましょう。
これだけで終わる話だった。
人の口に戸は立てられない。
学園の中にも私達が婚約を解消したという話は広まっていった。
私も色々な人から聞かれ、その度にその噂は真実だと肯定していた。
学園一の貴公子の身がフリーになった事により、彼に密かに想いを寄せていた娘もおおっぴらに想いを寄せていた娘も浮足立ち、激しい争奪戦が行われているらしい。
一方の私は特に人気があるわけでもないのでそんな事はなく、今まで陰口を叩かれる原因になっていた婚約者が居なくなった事により喉に刺さった小骨が無くなったかのような晴れやかな生活を送る事ができるようになる。
「でな、この娘なんだが……一見優しそうだし料理とかは凄く美味いし好意を寄せてくれるのは嬉しいんだが、なんというか少し怪しい雰囲気を感じてしまってな……」
はずだった……のだが、何故か婚約を解消した元婚約者が私に相談をしに来る日々となってしまっていた。
「直感は大切ですね。あの娘自体にどういう思いがあるかはわかりませんが周辺状況だけを考えれば避けるべきです。実家の事業が傾きかけているのでしょう。後ろ盾だった公爵が失脚しましたし競合が力を付けてますからね。実家が新しい後ろ盾を欲しがっているという事情はあるはずです。勿論、純粋にあなたの事を好きだという気持ちがあるかもしれませんが、そこは私には判断できませんね」
あの二人での婚約解消会議から両家の話し合いの調整、事前に擦り合わせておくべき意見の交換、そして実際の話し合いの場などで私達はよく顔を合わせては話す機会が増えた。
それによって私達のお互いに対する苦手意識は徐々に薄くなっていった。
別れるための行動をした結果、お互いの事を以前とは比べ物にならないくらい知ったのだから何がどうなるかわからないものだ。
実際に彼と話してみれば裏表の無さと直情的な素直さは好意を持って見る事ができた。
感情のままに動くその行動原理を理解はできないが、そこまで嫌な物ではなかったなと今になって考える事がある。
大型犬みたいなものだな、これはと。
「何度もすまん!しかし、お前は本当に頼りになる!俺では思いつかない考え方や物の見方でアドバイスをくれる!本当に感謝するぞ!」
「はいはい、変な女に引っ掛からないように気をつけるんですね。男は狼かもしれませんが女は狐ですから」
彼は色々な物事をわざわざ私に聞きに来るようになった。
今回は恋愛相談だったが、それ以外の事も遠慮も何もなく私の前に現れては相談してくるのだ。
放課後の図書室。
私の憩いの場所はいつからか彼専用の相談室になってしまっていた。
彼いわく、忖度せずに忌憚のない意見をまっすぐにぶつけてくれるし、自分では考えられない評価の仕方をしてくれるので参考になるのだそうだ。
密談ではなく、図書室で堂々と私に話しかけてくるのでその姿は色々な人が目撃しており、そのせいで婚約破棄が嘘だと囁かれたりもしている。
そんな私達を不思議そうに見ていた一人である後輩が声をかけてくる。
「あの~……なんか……エクサス先輩とリフィル先輩って婚約解消したって聞いてましたけど、二人とも凄く仲良いんですね」
私達は前よりも仲が良くなっているのは間違いない。
彼の言動を理解できないと思っていたし、今も理解できないと思う事ばかりだが、それも彼の魅力なんだなと自然に思うことができた。
それは彼も同様だったようで、私の後輩へと力強く返すのだ。
「うむ!今になって思うがリフィルは魅力的な女性だ!頭も良い!頼りになる!私が気づかない事を気づかせてくれる!何よりも私に意見をはっきり言う姿は美しい!正直に言って婚約解消は勿体ない事をしてしまったかもしれん!」
大きな声で笑う彼の言葉に私は苦笑を返す。
私達はお互いの事を知らなかったし、知ろうとしなかった。
幼い頃に決められた婚約者という立場は呪いのようなもので、その呪いにかかった状態でしかお互いを見る事ができていなかった。
いつか一緒になるのだから、お互いがお互いの全てを理解しあえなければならないと思った。
そしてそれが無理だと思ってしまった時に関わらない事で問題を先送りにした。
しかし、そのフィルターを外してみればそこに居るのは何て事はない普通の人同士だったという事。
それなら理解できないのは当たり前で、理解できないなりに受け入れていくなんていうのは当然のこと。
そうして見れば彼の魅力もわかるという物だった。
大きな声で感謝の言葉を告げる彼に対して軽く手をふってやる。
私のテリトリーである図書室から元気よく飛び出していく彼の背中を見るのは一体何度目になっただろうか。
婚約者ではなくなり今では彼の相談役みたいになってしまっているわけだが、そんな関係になってからのほうが彼の姿がはっきりと見えた。
図書室に静寂が戻る。
窓の外を見る。
日は高く、校庭には声を上げながら遊んでいる男子の姿。
図書室に視線を戻せば静かに本へと視線を落とす物静かな私の仲間達。
これが本来の姿、彼が来る時だけ少しだけ騒がしくなるだけだ。
「どうなんですか~?リフィル先輩も勿体ないって思ってるんじゃないですかぁ~?」
彼が去って行った後に後輩がからかうように言ってくる。
その言葉を少しだけ真剣に考えてみる。
彼は将来有望で真面目で実直。
顔は私の好みとは違うが整っているのは間違いがないし、体も鍛えられている。
私と婚約しているというだけで他の女性に迫られても頑なに断っていたりと義理堅く一途だし、当初思っていたように頭が固いわけでもない。
多少の強引さはあるけれど、自分とは違う意見を聞き入れる度量もある。
ああ見えて意外と人の事を良く見ているのか気を使う事も一応できる。
婚約解消に協力してくれたお礼にとプレゼントされたのは私の趣味嗜好を考えてくれたのだろうがアクセサリーなどではなく本の栞だった。
主張しすぎないくらいの品の良さを感じるそれはとてもセンスが良くて、私も柄にもなく声を上げて喜んでしまった。
「ふ~む……考えれば考えるほど逃した魚は大きかったのかもしれませんね」
お気に入りとなった彼からの贈り物の栞をじっと見ながらしみじみと呟く。
しかし、それは仕方のない事。
逃してみなければこの魚の大きさがわからなかったのだから。
先程の言葉を素直に受け取るのならば彼も私の事を大きな魚と思ってくれているのだろうか。
逃げた魚はどちらで、逃した漁師はどちらなのか、そんな事を考えて微笑してしまう。
距離を空けて見て初めてわかる事もある。
私と彼は婚約という呪縛から解放されたからこそ良好な関係になれた。
今はそれで充分。
それに全てが終わってしまったわけではない。
「逃した魚は大きいかもしれませんが、もしかしたらもっと大きくなって戻って来てくれる可能性もあると思いませんか?」
彼と私が仲睦まじく暮らしていく。
そんな未来もありえるのだから。
円満に別れる話があっても良いじゃないと書いた話でした。