#09 食卓と猫
約3700文字(約7分)
「リクオさん、お食事の用意ができましたよ」
ドアをノックする音に続き、オリエの声が耳に届く。
「はい」とリクオは答えながら、ベルトに付けたポーチの調整を終わらせる。
ドアを開けると、そこにはオリエと、もう一人、長身の男性が立っていた。
短く切り揃えられた白髪に、丁寧に整えられた白い髭。
老人と言っても間違いのない年齢だろうが、その立派な体格と背筋の伸びた立ち姿からは、微塵も衰えを感じさせない精悍さがあった。
彼は、肩から膝下までに至るフード付きの黒いマントを羽織っており、その下には濃紺のジャケットに濃紺のパンツ、足には黒のブーツを履いていた。
軍人が雨の中、あるいは夜に紛れて執行に向かうような装いに見えるが、今は快晴の昼前である。
黒いマントがもたらす、そのアンバランスさは、社会規範から逸脱した部分をも覆い隠しているようで、男が危うい一面も併せ持っているかのように思わせた。
「はじめまして、リクオ殿。私はバロアと申します。リクオ殿の護衛役となります。よろしくお願いします」
低く優しい、少しかすれた声だった。表情もにっこりと柔らかく、温かみのある人柄が伝わってくる。
「はい! よろしくお願いします! ……護衛役?」
リクオがオリエに問うと、
「我々としてはリクオさんを狙われるのが一番怖いですから、護衛をつけることにしました。それと、ある程度は自分の身を自分で守れるように、剣術や魔術も彼に教わってください」
護衛のみならず護身術の指南まで、と感謝し、また頭を下げるリクオだったが、心に不安がよぎる。
(そうか。狙われることも、あるのか……)
敵がいるなら、当然のことではある。だが目まぐるしく変わる状況の中で、そこまで考えは及んでいなかった。
「リクオさん、ご安心ください。バロアは剣の達人でルヒメナの先生でもありますし――」
ヒメも剣術を学んでいるのか、と感心したリクオに、
「わたくしを殺した人間でもあります」
いつもの微笑で、彼女は語った。
リクオの息が詰まる。なんと返せばいいのか、全く思いつかない。
バロアの顔色を窺うが、彼も同様に笑みを浮かべていた。
「そういうことも、ありましたなぁ」バロアは過去を懐かしむが如く、髭を撫でている。
「す、すごいデスネ」
困ったあげく、リクオはぎこちない感想を述べるだけになってしまう。
「まあ、わたくしはその時、全力ではありませんでしたから。人間としてはまあ、まあまあ、ってところですかね」
負けず嫌いなのか、オリエは真の序列を主張するが、リクオは「はぁ……」と、バロアは「ハハハ」と返すのみだった。
そこでリクオは(――あれ?)と、既視感を覚える。バロアの笑い方がまるで、ルヒメナと同じように聞こえたのだ。
「あ、もしかして、二人がルヒメナさんの両親なんですか?」
完全に失言だった。
「ぐっ」とリクオの喉から音が漏れる。
苦しさに気づいたときには、オリエの左手がリクオの喉元をガッシリと掴んでいた。
握力は、息が絶える一歩手前に抑えられているようだが、リクオとしては生きた心地がしない。
護衛役とはなんだったのか、バロアは、困ったなぁ、といった様子でこめかみをポリポリと掻いている。
オリエはグイッとリクオを引き寄せ、顔をリクオの鼻先まで近づけて警告する。
「リクオさん? 今度つまらない冗談を言ったら、この喉を握りつぶして、中身を全部引っ張り出しますからね?」
優しい口調の、残虐な脅しだった。
声が出せないリクオは、わずかに顎を上下させて服従の意志を表す。
「わかっていただけて、なによりです。ではお食事に参りましょう」
◇◇◇
食卓は料理で埋め尽くされていた。
四角い大きなテーブルに椅子が四つ用意され、そのひとつにルヒメナが座っている。
彼女は既に食事を始めていたようで、頬を膨らませてモグモグ咀嚼をしていた。
ルヒメナはリクオたちの姿を認めると、挨拶なのか「んー!」と声を発しつつ、片手を挙げた。
「ルヒメナ……、待てなかったんですか?」
オリエの問いにゴクンと喉を鳴らし、「だって、遅いんだもん。ねー、リック」とテーブルの下を覗き込む。
テーブルの下には、一枚の大皿に料理が盛られており、リックが肉料理にかぶり付いていた。
リックは獣らしい形相で牙を剥き、肉の塊に夢中になっているようだった。
「リクオさん、どうぞ?」
ルヒメナの隣の椅子をオリエが引き、「ありがとうございます」とリクオが席に着く。
その隣にバロアが座り、オリエは回り込んでリクオの対面の席に着いた。
「しかし、すごい量ですな」
バロアが感想を口にする。
料理の多さに驚いたのはリクオだけではなかったらしく、それにルヒメナも同意を示した。
「すごいよねー。リクオってそんなに食べるの?」
「え?」
リクオはフォークを持った状態で固まる。
「はい」とリクオに代わって答えたのは、やはりオリエだった。彼女は食事に手を付ける様子もなく、真っ直ぐにリクオを見つめている。
「…………え?」
かくして、リクオの戦いが始まった。
◇◇◇
食卓にはリクオとオリエ、そして皿が片付けられたいくらかのスペースに、リックがだらしなく寝転がっていた。
ルヒメナとバロアは食後の稽古に行くと言い、既に部屋を後にしている。
リクオも満腹感を覚えて久しいが、未だ食事を終えられずにいた。
「リクオさん? 手が止まっていますよ?」
「……はい」
そう言うオリエは、一切料理を口にしていない。
訊くと、どうやら英霊という存在には食事は必要ないらしかった。
つまり、リクオが食事をとっている間中ずっと、彼女はリクオを、ただただ見つめ続けていた、ということになる。
どうやら彼女はリクオの口元に視線を固定しているようで、リクオがスープを飲んで息をつけば、同じようにゴクリと喉を鳴らして熱い息を吐いたり、肉料理のソースで口元を汚した際には舌なめずりをしたりと、食欲のようなものを表出させていた。
リクオの食事風景を眺めるのがよっぽど楽しいのか、たまに「ふふっ」と上機嫌な声を漏らしたりもしていた。
(た、食べにくすぎる……)
とリクオが皿の料理をスプーンでかき集めていると、その動きにリックが興味を持ったようで、すくっと立ち上がると、リクオの右手に前足をかけた。
「リック? ダメですよ? リクオさんは今、仕事中なんですから……」
「仕事中?」
「はい。よく食べて、よく寝るのが仕事です」
断定だった。
「……そう、ですね」
それはタンクテストの際にルヒメナが言っていた言葉だが、さすがにこれ以上は、とリクオは話題の転換を図る。
「リックは、人間と同じ料理を食べて大丈夫なんですか?」
人間と動物では毒になるものが違う。共通した食べ物や栄養素でも、適切な摂取量はそれぞれなので、食べるものは区別しないといけないはずだと、リクオは知っていた。
しかし、どうもリックは自分たちと同じ料理を食べているようだった。
「大丈夫なようですねぇ。そもそも止めようとしても、すり抜けて勝手に食べてしまうのですが、なにを食べてもピンピンしてますからねぇ」
リクオが右手を動かすと、リックは両前足でしがみつき、右手を止めると頭や首筋をこすりつけ、高い声で「ナァ~」と鳴いた。
その愛らしさにリクオはつい、目を細める。
「元々は普通の猫だったはずなんですが、わたくしが死んだ後に、魔物へと変質し始めたようなんです」
「魔物に?」
「はい。“すり抜け”の能力や、猫にしては長寿なところを考えると、もう魔物と言ってもいいと思います。今もまだ変質中かもしれませんが……」
「魔物なんですか。リックは」
リクオはリックに話しかけるが、相変わらずリックはリクオの右手に絡みついていた。
リクオが指をちょこちょこ動かすと、リックは寝転がりながら指を甘噛みしてくる。ついリクオも夢中になり、リックの相手をしていると、
「はい! そこまでです!」
背後に忍び寄っていたオリエがリックを両手で抱え上げた。
「リックは魔力を込めた手で抱えると、“すり抜け”状態を封じて触れることができるんです」
オリエは頭上までリックを掲げ、勝ち誇る。
だが次の瞬間、リックはオリエの魔手を“すり抜け”て、テーブル上に着地した。
「あら?」と気の抜けた声を出すオリエに、リックは「ナー!」と鬨の声を上げる。
「また腕を上げましたね?リック」
オリエが感嘆している隙に、リックはテーブル上で一番大きな肉の塊をガブリとくわえ、走り出した。
「リック! それはリクオさんのお肉です!」
オリエが注意したときにはもう、リックはテーブルから飛び降り、肉ごと壁をすり抜けていた。
「リクオさん! わたくしはお肉を取り戻してきます! ちゃんと全部、食べてくださいね!?」
オリエが身を翻すと、煙が空気中に溶けて消えるように、彼女の全身がぶわりと消えた。
リクオはテーブルに視線を戻す。
(全部って……)
まだ、テーブルの半分ほどが料理で埋まっている。
そのとき窓の外から、金属と金属がぶつかり合うような、高い音が聞こえてきた。
(ヒメが言ってた稽古かな……?)
と、リクオは、おもむろに両手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
そしてリクオは足音を潜め、こっそりと部屋を抜け出した。
【お知らせ】
投稿のお知らせはツイッターで。
執筆や投稿に関するアレコレはブログで記事にします。
どちらも活動報告からどうぞ。
感想やアドバイス、是非くださーい!