#07 恩
約3800文字(約8分)
「ちょっと! 待ってって!」
黒仮面の女が頭を持ち上げると、駆け寄るルヒメナの姿が目に入った。
「降ろして」
怒りを孕んだ女の声にも動じず、男は「手短にな」とだけ返す。
軽々とした動作で肩から降ろされると、彼女は右足を上げ、ドスンと踵で彼の足を踏みつける。
そのままグリグリと踏みにじるが、男は全くの無反応。やがて彼女は「チッ」と舌打ちして彼に背を向けた。
「大丈夫?」駆けつけたルヒメナが心配する。
「なんでもありません」
男の端的な返答に、「そ、そう?」とルヒメナは苦笑する。
「呼び止めてごめんね。ちゃんとお礼が言いたくて」
リクオも追いつき、乱れた息のまま三人の様子を窺う。
「召喚ありがとう。助かったよ」
頭を下げるルヒメナに、リクオも続く。
「ありがとうございます」
「いえいえ、これだけ報酬もらえりゃあねぇ」
得意げに語り、小袋を取り出してジャラジャラと揺する。
「で?結局、どうやって介入したの? あんたも召喚士なわけ?」
仮面の女による直球の質問に、和やかな雰囲気が停止する。
頭を上げたルヒメナとリクオの顔に、それぞれ別種の困惑が浮かんだ。
「あ」と気の抜けた声を出し、彼女は仮面の口部分を抑える。
「ま、まずかった? あれ?」
男の顔を見上げるが、呆れているのか助けるつもりがないのか、全くの無反応だった。もしかしたら、先ほど足を踏んづけたことを怒っているのかもしれない。
「介入って?」ルヒメナがリクオに疑問を投げかける。
誓約までして自分を守ってくれたルヒメナに、もはや隠すつもりはなかった。
ただ、できれば自分から切り出したかったと惜しみつつ、リクオは白状する。
「ルヒメナさん、僕は彼女の召喚術に介入してここに来たんです」
「ええっ!? 召喚術に介入って……、そんなことできるの?」
見るからに驚愕し、ルヒメナはリクオに詰め寄る。
「えーっと、そういう能力にしたんです」
「したんです!?」今度は仮面の女が声を上げ、リクオに詰め寄る。
「したんですってなに! 変えたってこと!? そんな訳わかんない能力を、狙って修得!?」
二人の接近にリクオは思わず後ずさりし、困ったような笑みを浮かべる。
「確かにわからんな」
一人冷静な男の声に、三人の視線が集中する。
「そんな奇抜な大能力を修得できる割に、自衛の術がなさそうなのも訳わからん。しかも異世界に飛び込もうって奴が」
再びリクオが注目される。
お礼を言うために追いかけた訳じゃない。
ルヒメナにだって、目的を伝えるべきだ。対等になろうとしてくれた彼女に、フェアでありたい。
リクオは意を決し、自身がこの世界を目指した目的を告げる。
「早く、こっちに来たかったんです。妹を捜すために」
リクオの目つきが真剣味を帯び、黒仮面の男へ向かう。
「心当たりはありませんか? 最近この世界に召喚された、日本人の女の子を」
「……悪いが、ないな。こっちは顔で判別できないんだ。日本人っぽい顔も多いからな。こっちの言葉を流暢に話されでもしたら、まず気づけないだろうな」
男の返答に落ち込む様子もなく、今度は黒仮面の女の方を見据える。
「じゃあ、召喚術で呼び出させるというのは可能ですか?」
リクオの表現に違和感を覚えた男が口を挟む。
「呼び出させる……? 変な――」
「ちょっと待った!」
男の抱いた疑問を、女が手で制する。
「――もちろん可能だよ! ただし、報酬次第だけどねぇ~」
「いや待て、その前に――」
仮面の男が彼女を諫めようと、肩に手を置いた瞬間、
ざわり――
まるで、大気が脈打ったかのような、強烈な気配が四人を襲った。
◆◆◆
静かになった部屋。オリエは窓から外を眺めている。
窓からは、ルヒメナが黒装束の二人に追いつくところが見えた。
「なにか、気になることでも?」
オリエの背後から、落ち着きのある、年経た男の声がした。
だが老人のような弱さはなく、芯の通った、規律を重んじる軍人のような印象がある。
「あの女……、あれほどの召喚術を使えるなら、その逆も使えるかもしれません」
オリエは窓に手をぴたりと付け、振り向かずに話す。窓ガラスには、彼女の悩ましげな表情が映っている。
「逆……、転移術ですか?」
窓へと寄り添うオリエの後ろ姿は、思い人との別れを惜しむような、憂いを帯びたものに見えた。
「今は使えなくても、将来的に使えるようになるのなら、最も危険な“種”かもしれませんよねぇ」
口調は穏やかながらも、同意を求める語尾の表現に、どこか尖った、小さな棘のようなものを感じさせた。
「……黒の教団なら、案ずることもないでしょう」
「彼女らの黒装束は偽装です。わたくしのことを知ってはいるようでしたが、それにしては反応がなさ過ぎました」
窓にオリエの爪が当たる。
「あの女、ルヒメナのことを黒の王女と呼んだんですよ?」
男は黙り込む。彼の返答を待たずして、オリエは続ける。
「それに、召喚や転移の術は、血の力が大きいと聞いたこともあります。もし彼女が“血縁者”なら、今のうちに――」
「いけません。オリエ殿」
毅然とした声だった。
「いけません……。いけません……?」
言葉の意味が全くわからないといった様子で繰り返し呟き、ゆっくりとオリエが振り返る。
「止めるおつもりですか? 今のわたくしを? 止められるとでも?」
オリエの瞳が金色の輝きを放っていた。
男には、彼女の体から魔力が漏れ出したのが気配でわかった。次いで、甘い香りが漂い始める。
魔力の気配はどんどん強まり、やがて、彼女の周囲に層となり渦巻くのが見て取れた。
通常、目には映らない魔力も、あまりに濃度が高いと光を反射する。そしてそれは、大能力者にしか許されない力の顕現、その証明だった。
「彼らには恩があります」
男の声音は調子を変えない。常人であれば失神してもおかしくないような魔力の圧に晒されながら、畏れも抗いもせず、ただ確固とした透徹さを示していた。
「恩! これは! おもしろいことを言いますねぇ!」
唐突にオリエは大笑する。身に纏う殺人的な魔力もそれにつられ、ゆらゆらと波打っている。
「確かに! 確かに“恩”はあります。そして、“恩”には“恩返し”をしないといけませんねぇ!」
楽しそうに両手を広げ、高らかに語るオリエだったが、最後に付け足した言葉だけは、悪魔の笑みから放たれた。
「――必ず報います。あなたにもね」
◆◆◆
「なにっ!? なんなの!?」
仮面の女が恐慌に陥り、縮こまって右へ左へと面を向ける。
リクオも方々へと注意を払い、怯えを顕わにする。
黒仮面の男はただちに体勢を低くし、すぐに動ける構えを取っていた。彼の仮面は、屋敷の方向に固定されている。
その中でルヒメナだけが、事もなげに振り返る。
「ん? オリエだ」
その言葉が決め手になったのか、仮面の男は即座に動いた。
「俺たちはこれで失礼する!」
「えっ――グエッ」
戸惑う女にタックルをするように肩をぶつけ、そのまま彼女を担ぐと、男は森の中へと疾走した。
彼が背を向けて走り出した途端、彼らの黒装束が瞬く間に色を変えた。黒一色から、緑や茶色、黒と白がまだらになった迷彩色となり、たちまち森の中へと姿を消した。
「はぁ~、忙しい二人だねぇ」
ルヒメナがため息を漏らす。
「今の、オリエさんなんですか?」
「うん。そうだねー。たぶんまた、ケンカしたんだと思う。今回はリクオから吸精したばっかりだから、強烈だったんだろうね」
はて、とリクオは首を傾げる。
猫のリックとでもケンカをしたのだろうか。それにしては余りにも凄まじい気配だったが。
◇◇◇
肩に女性を担いだ仮面の男が、草木をかき分け山を下りていく。
先ほどまで咳き込んでいた女性は復調したのか、足をばたつかせ、拳で男の尻を叩き、仕上げに怒鳴りつける。
「降ろせー!」
男は斜面に右足でブレーキをかけ、強引に勢いを削いだところで大木へと跳躍。
足と腕、体を木の幹にぶつけて受け身をとり、男はその場に着地した。
「なによ!商談チャンスだったじゃない!」
膝を付き、男は女を地面に立たせる。二人は衣服のみならず仮面まで迷彩柄になっており、少し離れれば人間の目には判別できないほどに森へ溶け込んでいた。
「危険だ」
男は来た道を注視し、警戒を続けている。
「さっきの気配? オリエって言ってたけど……」
「それももちろんだが、その前の『黒の王女』って発言だな。あの場で殺されてもおかしくなかった」
「確かにちょっと、迂闊だったけど。……殺されるって、あんたでもヤバいの?」
「……無理だな。逃げ切る自信はあるが、真っ向勝負じゃ手も足も出ないだろう」
「それは、ごめん……」
怒ったような態度を取っていた女が、途端に肩を落として小さくなる。
「リクオが言ってた『呼び出させる』って言い方も気になるな。なにか、不穏なものを感じる」
「言われてみれば、まあ『呼び出す』とか『呼びかける』で良さそうなもんよね」女は顎に手を当てて同意する。
「妹を始末するために追ってきたのかもな……」
「そもそも、妹ですらないかもよ?」
「確かに」軽く笑いながら男は頷く。
「とにかく、これ以上関わらなければ問題ないだろう。あとは約束を守って終わりだ。金は充分稼いだ」
今後の方針を伝えながら男は、女の背中と足に手を回し、両手で抱え上げる。
女は男の首に手を回し、揺れに備えて密着する。
「契約外だけど、約束は守るのね」
「黒の女王に目を付けられるのは勘弁だからな。最後に恩を売っておこう」
男は再び、山を駆け下り始めた。
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・傍点が思ったようにいかなかったので、修正しました。
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・個人用メモ
呼び出させる。――「・」
呼び出させる。――「●」
呼び出させる。――「⚫」
呼び出“させる”。