#06 タンクテスト
約3300文字(約7分)
「今からリクオさんの魔力を吸うことであなたを試します
が――」
オリエの口角がくいっ、と上がり、悪戯を企むような笑みに変わる。
「――普通に吸うのと気持ちよく吸うの、どちらがいいですか?」
「き、気持ちよく?」
彼女の笑みがより深くなり、悪役が、まさしく悪を行うときのように変貌する。
リクオが思わず握る力を弱めると、それに応じてオリエはぎゅっ、と力を込め、軽く爪まで立てる。
「普通にやれ、普通にー」
ヤジを飛ばすようなルヒメナの声に、リクオは即座に便乗する。
「普通でお願いします!」
「はい。わかりました」
リクオが答えると同時にオリエの表情が嘘のように切り替わり、あっという間に、いつもの柔和な様子に戻った。
「では参ります」
次の瞬間、リクオの体に衝撃が走った。
ぐらりと傾き、揺れる視界。
急速にピッチを上げる鼓動と、乱れる呼吸。
中止を請おうとするも、「や、あ、ああ……」と喘ぐことしかできない。
オリエが目を大きく開き、リクオを凝視する。緑色の瞳に黄色が混じり、やがて彼女の瞳は、金色の輝きを放ち始める。
「これは……なんと……」オリエは思わず呟く。
リクオは、彼女に触れられている自分の手が熱くなっていくのを感じていた。
やがて熱は別種の感覚を生み出し始める。腕から肩、首までがゾクゾクと痺れ、全身から力が抜けていく。
目に映っているのは、もはや床とオリエの足のみだった。
だが、今オリエが悪い笑みを浮かべているだろうことがリクオにははっきりと分かる。
なんなら舌なめずりをしつつ、よろめく自分を見下ろしているかもしれない。
同時に、はっきり認識できるのは以前にも嗅いだ香り。
蜜の在り処を主張する花のような、甘く誘う香りが強まっていく。
甘い香気は、まるで質量を持っているかのようにリクオの肌を圧迫する。香りが濃密になるほど重量を増すように感じられ、それに従いリクオの思考もぼやけていく。
「おっと、大丈夫ですか?」
両手をぐい、と引かれる感覚に、ハッ、と意識が回復する。
リクオは床に膝を付いた状態で、今にもヨダレを垂らしそうになっていた。
ゴクリと唾を飲み込むと、足に力を入れ、ふらつきながらも立ち上がる。
「あんたねぇ……」ルヒメナが呆れてオリエを睨む。
オリエは「ふふっ」と笑ってごまかすと、「ゼロの状態から二日でこれほどとは……」などと感心を露わにする。
「ゼロの状態って……、やっぱり吸ってたんでしょ!」
「あら!ちょっとつまんだだけです」
ルヒメナの指摘に悪びれもせず、楽しそうに言葉を返す。
オリエはリクオの手を放すと、ルヒメナの方に向き直り、結果を伝える。
「とにかく、テストは合格です」
リクオはほっと胸をなで下ろし、ルヒメナもひとつ頷きを見せる。
「今回の『吸精』で完全に把握しました。タンク適性はかなり高いです。それも、底が見えない程に」
横目でリクオの顔を見ると、独り言を漏らすようにオリエは続ける。
「自制しないと、夢中で吸い尽くしてしまいそうな蠱惑的な深みがあります……」
そこで少し首を傾げ、心配するような目つきに変わる。
「ただ、同時に歪みを感じました。年老いた人に通じる、器の破損、あるいは変形のような……。
普通の人間と別種なのは間違いありません。もしかしたら、わたくし達と同じように変異体なのかもしれませんね」
「へんいたい?」リクオの聞いたことのない言葉だった。
「まだまだリクオさんには余力がありますし、ルヒメナも一度吸ってみてください」
「ええ!? いいよ、私は!」
ルヒメナはなぜか大きく狼狽え、ぶんぶんと両手を振る。
「照れることではありません。リクオさんからの吸精は特別な感覚ですし、早めに経験しておくべきです」
「今はいいって! 今度やるよ!」
顔を真っ赤にしてルヒメナは断固拒否する。
少し離れて立っている黒仮面の女も照れているのか、落ち着かない様子で自分の髪を触ったり、キョロキョロと窓の外に顔を向けたりしている。
「コクリン! 契約書!」
「は、はい!」
ルヒメナが再び契約書を求め、黒仮面の女はうろたえながらも持っていた紙を広げる。
「ルヒメナ……」オリエは困り果てたような顔をして、ため息を吐く。
「では、文言をどうぞ」黒仮面の女は、ただ両手で紙を広げて待っている。
動揺から立ち直りつつルヒメナは、一つ一つの言葉をはっきりと発音した。
「私、ルヒメナは、リクオに受けた恩を、必ず、それ以上を持ってリクオに返すことを、この右腕に誓う」
ルヒメナの声に連動し、ひとりでに紙上へと文字が記載されていく。
「はい。では手の平をこちらに」
文字が刻まれた紙面を裏にして差し出され、ルヒメナがそこへと手形を押すように右手を載せる。
手を離すと黒い手形が刻まれており、黒仮面の女はそれを丸めて紐で結ぶと、リクオへと手渡した。
「これは?」
受け取りながら疑問を口にするリクオに、ルヒメナが満足そうな笑みを浮かべて答える。
「魔術による契約書だよ。今回の場合は誓約書って言った方がいいかもね。
要は、私がこの誓いを破れば右腕を失う、ってこと」
些細なことだとでも言うように、ルヒメナはひらひらと右手を振っている。
「そんな! 結構です!」
「大切に持っててよね。破れたりしたら、効果がなくなっちゃうんだから」
リクオは誓約書に視線を落とし、思いついた質問をぶつける。
「つまり、破けば……」
「ダメだよ! 私の気持ちを踏みにじるみたいなもんじゃない!」
「そんなつもりは! 大切にします……!」
「よし」
(もしかしたらルヒメナさんは、僕が脅迫されてることに気づいてるのかな……)という推察が頭に浮かび、リクオは胸を熱くする。
いや、わかっていなくても、と考え直す。
どちらにせよ自分が弱い立場なのは変わらない。
なのに対等であろうとする誠実さ、未来を守ろうとする優しさをルヒメナは示してくれている。
きっとこの人の力になろう。
リクオの眼差しが決意の色を帯びる。
リクオはルヒメナを、ルヒメナはリクオを見つめ――
「あの~、そろそろ、いいですか?」
黒仮面の女が空気を読まずに声をかける。
隣の男が、彼女の自制を促すためか、その黒衣の袖をクイクイと引いている。
「ああ!そうだね! えーっと……」とルヒメナが返事し、腰後ろに付けた小さなポーチから、小袋を取り出す。
手渡しでそれを受け取ると、「どうもどうも」とペコペコ頭を下げて、彼女は早速袋の中身を覗き込む。
袋に手を突っ込み、じゃらじゃらと音を立てて掴み出したそれは、色とりどりに煌めく宝石、あるいは魔石のようだった。
「おっほー! マジもんだ~」
念願の報酬に我を忘れたのか、彼女の素の人間性がかなり漏れ出ているように見える。
隣の男が今度は、肘でグイグイ押して合図を送る。
女はハッとして、丁寧に頭を下げる。
「し、失礼しました。感謝致します。黒の王女、並びに黒のじょおグエッ」突然、男が襟首を掴んで彼女を後方へ引っ張った。
「黒の、なに……?」目の前のやり取りに戸惑いながら、ルヒメナが首を傾げる。
後ろでゲホゲホとむせている黒仮面の女はほったらかしにして男の方が答える。
「いえ、なんでもありません。それでは、契約書の破棄を――」
疑問は受け付けないとばかりに強引に話を進め、男は懐から紙を取り出すと、それをさっさと破いて見せた。
「ああ、はい……」ルヒメナもポーチから同様の紙を取り出し破く。
ルヒメナが破いた瞬間に、両者が持つ紙の文字と手形が同時に消え、契約書はただの紙切れとなった。
「では我々はこれにて失礼致します」男はくるりと踵を返し、まだむせている女を問答無用で肩に担ぐと、そのまま軽やかな足取りで退室して行った。
「あ、ちょっと、見送るよ――」
あまりの慌ただしさに呆然と見ているだけだったルヒメナが、急いで追いかける。
「僕も行きます」とリクオもその後を追った。
「黒の王女……ですか」
一人残されたオリエが、ゆっくりとした足取りで窓際へと歩む。
窓の外には、ちょうど黒仮面の男が帰るところが見下ろせた。
肩に担がれたままの女は、むせ疲れたのかグッタリ脱力している。
「あの子……、どうしましょうか」
いつの間にか緑色に戻っているオリエの瞳は、冷たく無感情に、黒装束の女へとその焦点を合わせていた。
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