#05 運命の朝
約3600文字(約7分)
ドアがノックされる。
「はい」
扉がゆっくりと開かれ、現れたオリエが軽く頭を下げる。
「失礼します。おはようございますリクオさん。よく眠れましたか?」
「……はい」
本気で訊いているのか、それともからかっているのか判断がつかず、リクオはぎこちなく答える。
「靴を用意しましたので、どうぞお使いください」
オリエは、ランプと一足の靴をそれぞれ手に持っており、ベッド脇に靴を置いた。
布と皮を縫製して作られたような靴は、リクオの足にぴったりだった。
「サイズは大丈夫ですか?」
「はい。大丈夫です。ありがとうございます」
恐らく眠っている間に測っていたのだろう、と思いながらリクオは感謝を伝える。
「では、参りましょうか」
部屋の外、暗い通路をオリエに続いて進む。
光源はオリエの持つランプ以外になく、空気はひんやりとしている。
左右には扉が等間隔で並んでいるが、どれも現在では使われていないような、廃れた印象があった。
通路の突き当たりを曲がると階段が現れた。階段の先にあったのは、一つの扉。
オリエが扉を押し開けると、リクオは眩しさに目を細める。
扉の先は、大きな屋敷の一部だと直感でわかるくらいの、立派な廊下になっていた。
右にはドアが並び、左に並んだ窓からは陽光がいっぱいに差し込んでいる。
窓の外には、木々の緑と快晴の青が見え、世界を超えても変わらぬ自然の姿に、リクオは少し安心感を覚える。
案内されたのは、二階の部屋だった。
そこに至るまで、屋敷内にも窓の外にも人の姿は見当たらず、物音ひとつしなかった。
「ここです」
オリエが扉を開き、リクオを招く。
中は、来客用の大広間のようになっていた。壁際にソファーが並び、それぞれに簡単な机が添えられているだけで、ダンスパーティーでも開けそうな空間がある。
その中央に、ルヒメナと黒装束の二人が立っていた。
「おはようリクオ!」
ルヒメナの鮮やかな声と笑顔が、この快晴の朝と同じく輝いて見えた。
この時リクオは、少し損をしたような気持ちを覚える。
もし自分が不安のない未来を持っていたら、きっと心から、この輝く朝と鮮やかな笑顔に感動したことだろう、と。
黒仮面の男は軽く手を挙げ、女性の方は会釈を見せる。
「おはようございます」三人へ頭を下げ、リクオは覚悟を決める。
(どんな未来であれ、生き残る。きっとここに、この世界に妹はいるんだ)
ぐっ、と両手を握りしめ、頭を上げる。
すると、今度はルヒメナが頭を下げていた。
「ごめんなさい!」
「へ?」
一気にリクオの気が抜けてしまう。
ルヒメナが顔を上げると、眉尻を下げた、申し訳なさそうな表情になっていた。
「まずは謝らせて? 強引に呼び出して、ごめんなさい」
「いえ!」強引と言うならお互い様だ。
(ルヒメナさんは詳しいことを聞いてないのか?)リクオは内心驚く。
しかしここで自分の事情を話していいものか、と隣のオリエを横目で見やると、彼女は言葉はなしに、いつもの微笑を返すのみだった。
リクオはそれを『余計なことは言わなくていい』と読み取り、口をつぐむ。
「ほんとは召喚前に話ができるはずだったんだけど……。手違いがあったみたいで……」
真摯な謝罪にリクオの胸が痛む。
「気にしないでください。呼び出して貰って、嬉しく思ってますので」
「う、嬉しい!? 嬉しいってどういう……」
ルヒメナが困惑を見せ、オリエも首をかしげたのが分かる。
だがリクオはこれでいいのだと信じる。前進するのだ、と。
「まあ、いっか。……うん、よかった!」
ルヒメナは両手を合わせると、話に区切りを付ける。
「じゃあここからは、私たちの事情を説明するね!」
「はい」
「えっと……、実は私とオリエ、サキュバスなの」
「サキュバス……」
(本で読んだことがある。夢魔とか淫魔とか、そう呼ばれてて……、確か悪魔だったような……)
そして納得する。オリエの能力は、まさしくサキュバスの力だったのだ。
「最初から話すと、まず私が盗賊に追われて困ってたの。サキュバス狩りをしてる盗賊団で、ピンク髪のサキュバスは価値が高いらしくて」
ルヒメナは自身の髪を触り、続ける。
「この世界には英霊召喚、っていう魔術があってね? まあ、守護霊みたいな存在を呼び出すことなんだけど……」
(『この世界』ってことは、介入したこと以外は聞いてるのか……?)リクオは注意深くルヒメナの言葉を拾う。
「英霊を呼び出して助けて貰おう、と思ったんだけど、出てきたのが頭ピンクのサキュバスで……」
「ルヒメナ? 頭ピンクっていうのはやめましょうね?」ニコニコとオリエが注意する。
「しかも、私の母親らしくて」
「母親!?」思わずリクオは声を漏らす。
「あら、母親と言っても、わたくしが殺されたのは今のルヒメナより8歳くらい上なだけですから、8歳差であればもう、姉妹のようなものです」
なにか不満でもあるのか、すらすらとオリエは語る。
『英霊』や『殺された』というワードに疑問を持ちつつも、リクオは先を促すようにルヒメナへと視線を戻す。
「助けを求めてたのに同じピンクのサキュバスが来たんじゃあ、余計に追われるでしょ?」
「なるほど」
「でもそこで考えを変えたの」
ルヒメナの目つきが鋭くなる。
「もう逃げるのはやめて、自分たちの力で追い払おう、って」
「はい」リクオも話の流れが掴めてきた。
「だからタンク役が必要になったの。私とオリエ、二人ともサキュバスだし、タンク役がいるだけで二人ともパワーアップできるから」
(タンク役で、パワーアップ……?)
リクオがかつてプレイしていたゲームにも『タンク』という役割があった。
だがそれは、味方の盾となり壁となる存在のことで、決して“パワーアップ”という言葉とは結びつかない。
疑問が浮かぶと同時に、頭の別の部分では既に答えが出ていた。
サキュバス、タンク、パワーアップ。導き出すのに、推理はいらない。
「もしリクオに協力してくれる意思があるなら、これからタンクとしての素質をテストする。
それに合格すれば、住む場所とか食事もだし、給料も払う。その代わり、私たちに魔力を提供してもらう。
つまり、よく食べてよく寝るのが仕事!」
両手を広げ「素敵でしょ?」とアピールするルヒメナ。
彼女の語る『タンク役』とはつまり、器のこと。サキュバスに魔力を提供するための、魔力容器。
「リクオが断るなら、どこかの街で当分暮らせるお金を払ってもいいし、行くところがないなら、ここで使用人として雇ってもいい。
でも元の世界に戻すっていうのは、今はできない。転移術っていう、別の魔術が必要になるから……」
元の世界に戻る気はないが、ここで雇ってもらうのと街に住むというのは、どちらも魅力的に思えた。
しかしオリエの脅迫により、選ぶ方は元から決まっているのだ。
「協力したいです」
「ありがとうリクオ……」
お礼を言うと、ルヒメナは少し困ったような、照れたような顔を見せる。
「リクオ、あのね……」
「はい」
「もしリクオが私たちを助けてくれたら、同じくらい、私もリクオを助けるからね」
「……はい」
リクオには意味が分からなかった。ルヒメナがなにを伝えたいのか。
同じようにオリエも困惑していた。
「コクリン」ルヒメナが黒装束二人の方を向く。
「はい」
女性の方が返事をすると、彼女は懐から筒状に丸められた紙を取り出した。
(あれ? コクリンって、二人とも?)リクオの頭に疑問符が浮かぶ。
「ルヒメナ? 契約なら必要ありません。昨日も言いましたが、リクオさんは既に困っている状況なのです。
助け合うのはもちろんですが、契約を交わすほどでは……」
「違うよオリエ。未来の話だよ」
きっぱりとした口調で、彼女はオリエの言葉を撥ね退けた。
次にオリエは、リクオへ語りかける。
「契約書までは必要ないですよねぇ?」
「はい。必要ありません」
『契約書』がどういう意味を持つのか、リクオにはわからなかった。だがそれを知るまでもなく、オリエには逆らえない。
断りながらリクオの視線は、ルヒメナに釘づけになっていた。彼女の言った『未来』という言葉が、彼女自身と重なる気がしたからだ。
ルヒメナの笑顔や声の印象、選ぶ言葉と真摯な態度に、『未来』という言葉はとても相応しく、似合っているように思えた。
「そう? う~ん……。まあ、リクオが言うならいいけど……」
思惑と違ったのか、ルヒメナは腕を組んで口をへの字に曲げている。
「うん!」考えに折り合いがついたのか、キリッとルヒメナは表情を切り替える。
「よし、じゃあタンクテスト、やろう!」
恐らく合格する、とは言われているが、やはり試されるというのは緊張する。リクオは自分の心拍数が上がるのを感じた。
オリエがリクオの目の前へと歩み、向かい合う。そして両手を差し出し手のひらを見せ、「手を」と求める。
リクオが彼女の手に自身の手を重ねると、オリエによって軽く握られる。柔らかく滑らかなオリエの手を、リクオも同じくらいの力で握り返す。
「心の準備はいいですか?」
「……はい!」
【次回予告:#06 タンクテスト】
「今からリクオさんの魔力を吸うことであなたを試しますが――」
オリエの口角がくいっ、と上がり、悪戯を企むような笑みに変わる。
「――普通に吸うのと気持ちよく吸うの、どちらがいいですか?」
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