#02 異世界介護!
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テーブルいっぱいに料理が並んでいた。窓から入る陽光に、食器やスープがキラキラ輝いている。リクオは夢中で口に運ぶ。右手でわしづかみにしたパンにかぶりつき、左手に持ったスープをすする。ステーキにフォークをぶっ刺して食いちぎり、箸で白飯をかっ込む。夢のような食卓。夢に見た料理たち。
(もっと食べたい。もっともっと――)
なのに体が後ろに引っ張られる。その感覚はぐんぐん強くなり――
「あら、おはようございます」オリエがいた。
しかも目の前である。鼻と鼻が触れそうな程に顔を近づけ、両手でリクオの頬に触れている。
何事か、と混乱するリクオの意思に反して、彼のお腹が、ぐうぅぅ、と空腹を主張する。
オリエはくすっ、と笑うと体を起こす。
「お料理をお持ちしましたよ~」と、腹具合はわかっていますと言わんばかりに微笑んでいる。
なぜ顔を接近させていたのかという疑問はありつつも、リクオの視線はベッド脇の鍋に吸い寄せられる。鍋からは湯気が立ち上っており、食欲を誘う香りが部屋に充満している。
部屋の感じはリクオが倒れた所と同様だったが、この部屋の中央にはベッドが一つと、その脇にサイドテーブル、壁際に背もたれのついた木製の椅子が置いてあるだけだった。
(あれ? 体が……)
リクオは上体を起こそうとするが、動かない。首を少し回したり、腕を少し持ち上げることくらいなら、なんとかできるが、どうしてもうまく力が入らないのだ。肉体を酷使したのは自分の判断によるものだが、まさかここまで消耗しているとは思わなかった。
「ご無理はなさらないでください。かなり弱っているようですから」オリエは、サイドテーブルに置かれた鍋から器にスープをよそっている。
しかし鍋も器もサイズが大きく、食器は一人分のみ。リクオは(あれ?)と疑問を抱く。
(まさか、自分一人にこれだけの量を……?)
いくら腹が減っているとはいえ限度がある。せっかく用意してくれたものを残すのは忍びないが、これに報いることができるだろうか。などと心配していると、オリエは器とスプーンをサイドテーブルに起き、掛け布団を腰あたりまで捲ってベッドに右膝をかける。
「えっ」
思わず声を出してしまうリクオの首の後ろに右手を滑り込ませ、一息で彼の上体を起こす。そのまま背中側に右膝を深く滑り込ませ、次いで左脚もベッドに上げる。
すると、リクオの肩を片手で抱きながら、ペタリとベッドに座り込む格好になった。彼女の右脚はリクオの背中と、そして左脚は彼の左太股と軽く触れている。
不意に彼女の左脚が目に入ると、リクオは不覚にも体をこわばらせてしまう。オリエの脚が太股まで露わになっているのだ。
白のロングワンピースかに見えた彼女の衣装は、実はチャイナドレスのように、しかも腰近くまで達する深いスリットが入った大胆なものだったのだ。
また、くすり、とオリエが笑ったような気がしたが、リクオはそれを確認できずに目を逸らしてしまう。
「わたくしがお世話しますね。ご安心ください」と、オリエが耳元で優しく語りかける。
「……はい」リクオは意を決して甘えることにした。
仕方のないことだった。体は動かないし、この食欲に嘘はつけない。なにより、回復するためにも食べないといけないのだ。
ただ同時に、リクオを襲うこの気恥ずかしさだけはどうしようもなかった。
「はい、あ~ん」
しかしオリエは容赦なくリクオを辱める。
まるで赤ちゃん。まるで痛々しいラブラブカップル。
リクオは(ええい!)と腹を括り、言われるがままに口を開ける。
(これは……!)
その白いスープは、ジャガイモのポタージュのような味と舌触りだった。ざらざらした重みのある濃厚スープに、細かく切られた緑や白、オレンジ色の野菜がたくさん入っている。どの野菜も舌を押しつけるだけで簡単に潰せるほど柔らかく煮込まれており、その度に溢れる旨みとスープとの調和に、リクオは感極まった。
(こんなにおいしいもの、食べたことない……)
思わず涙が零れる。
「あらあら、そんなにおいしかったでちゅか~?」
完全に赤ちゃん扱いになった。
だがそんなオリエの悪ふざけでさえ、今は全く気にならない。
それよりももっと食べたい。リクオは夢中でスープを食した。
オリエもその後はふざけずに、彼のペースに合わせて何度も何度もスプーンを運んだ。
ゲホッ、ゲホッ――
飲み込むのを急ぎすぎたのか、リクオはむせ、噴き出してしまう。
「あらあら、大丈夫ですか?」オリエは器をサイドテーブルに戻し、背中を優しく撫でる。
自分のシャツと布団、オリエの胸元を汚してしまい、
「すみ、ません……!」と、まだケホケホと咳き込みつつも謝る。
特に自身のシャツの汚れがひどく、それを見つめるオリエがなにやら思案顔になっている。
「うーん、……脱いじゃいましょうか?」
「へ?」
リクオの答えを待たずして、オリエは彼のシャツを脱がしにかかる。まだ体に力の入らないリクオはなされるがまま、するすると上半身裸にされた。
背中にオリエの右脚が当たる。恐らく右側にもスリットが入っているのだろう、肌と肌が直接触れている感覚がして、そちらに意識が行ってしまう。
そして食事への集中力が途切れたことで思い出す。自身の置かれた、恥ずべき状況を。
頬は涙に濡れ、口元をスープで汚したガリガリの男。
(……情けない)と、また泣きたい気分になったが、リクオは最後の矜持でなんとか堪えた。
「どうせ洗っちゃいますから、拭いちゃいましょうね~」
彼女は、リクオの脱いだシャツでその口元を拭くと、
「あと少しですから、食べきってしまいましょう。はい、あ~ん」と変わらぬ調子で介護を再開した。
「これくらい食べれば大丈夫でしょう」とオリエが満足した頃、リクオはとうに満腹になっていた。迷惑をかけたオリエの善意に対し、断ることができなかったのだ。
リクオはふぅー、と息を吐く。視線を降ろせば自分の腹がぽっこりと、見るからに膨らんでいるのが分かる。
「よく食べましたねー。後はたーっぷり眠りましょうねー」ゆっくりした口調と動作でリクオを寝かせ、布団を掛ける。
「あの、ありがとうございます。おいしかったです」
本当にありがたい。本当においしかった。間違いなく、今まで食べた中で一番の料理だった。
こんなに良くしてもらっていいのだろうか。もしかしたら自分は、彼女たちが求めていた人物像とは違うかも知れないのに。だって自分は――
ふと、彼女の胸元に目が行く。
「それと、汚してしまって――」
言葉の途中でオリエはリクオの頬に両手を添えた。そのまま顔を近づける。
急激な眠気がリクオを襲う。重く閉じていく瞼を止められない。
「すみま、せ……」
「はい。いいんですよ」オリエの囁き声がぼんやり響く。
眠りゆく中で、リクオはなるほど、と得心する。
(ああそうか、睡眠と覚醒。それから、もしかしたらあの夢も、この人の……)