#15 霊体と侵入者
約5700文字(約11分)
「おはようございます。リクオさん」
部屋から出ると、オリエがこちらへと歩いてくるところだった。
「おはようございます」リクオもペコリと頭を下げる。
「ちょうどリクオさんを起こしに来たところです。リクオさん、大分健康的な顔つきになりましたね」
優しく微笑みかけるオリエの言葉に、リクオは思わず自分の頬に触れた。
見た目の変化を気にしてはいなかったが、体調の回復は確かに自覚できる。
「皆さんのお陰です。本当にありがとうございます」
「いえいえ。それよりも今回のことで、どれだけ吸精してもよく食べてよく寝れば回復すると分かったのは大きな収穫でしたねぇ」
「……はい」
昨晩も吸精によって気絶したのだということを思い出し、リクオは少し気後れして答えた。
「あの、昨日はあの後……」
「はい。二人とも、わたくしが介抱しました」
「え?ヒメもですか?」
「ルヒメナには刺激が強すぎたみたいですね。今は元気すぎるくらいですが」
「刺激……」
「そのことで二人にお話があります。ルヒメナの所へ参りましょうか」
オリエに続き、リクオも歩き出す。
「……オリエさん、ありがとうございました」リクオはオリエの背中に礼を告げる。
「お気になさらないでください。もうリクオさんの裸は見慣れましたから」
◇◇◇
裏庭ではルヒメナが一人、剣を振るっていた。
イメージの中で斬り合っているのか、その動きは明確に戦闘を想定したものだった。
鋭く踏み込み剣を突き入れ、右へと回避して防御の構え。相手の得物を払いのけ、空いた腹部に素早く斬り込む。
風切り音と足運びの音が、小気味好く連続する。
いつから稽古を続けているのか、彼女は既に汗だくになっていた。
そしてなにより、威圧感がある。
その感覚は、彼女が纏う魔力によるものだろうと、リクオは肌でヒリヒリと感じていた。
区切りがついたのか、ルヒメナは剣を納めるとリクオの方へと歩み寄る。
「おはようリクオ! 昨日は……、ごめんね」
元気な挨拶から、気恥ずかしそうな謝罪。
くるりと変わる声音と表情、彼女らしい素直さに、リクオも自然と笑顔になった。
「いえ、大丈夫です。体調はむしろバッチリなので」
「そうなの? よかったー」
「ヒメは大丈夫ですか?」
「うん。私もバッチリ! でも、勝手に魔力が抜けてく感覚があるんだよね。だからなんか、もったいない感じがしちゃうのよ」
「わたくしも同じです。どれだけ魔力を吸っても、だいたい三日も経てば完全に抜けてしまいます。
それから、吸精した魔力量が多いほど、その拡散が速まってしまいますねぇ」と、オリエが自身の性質について語る。
「へー、そうなんだ。バロアから吸精したときはそうでもないんだけど……」
「バロアの場合は吸精量が少なく、直後に魔力を使うから今まで実感がなかったのだと思います」
「なるほどねー。でもどうせなら、大暴れしたいなぁ……」
ルヒメナは自身の手のひらを見つめ、握ったり開いたりしている。
唇を尖らせた面持ちは、ありありと彼女の不満を表していた。
「さて!わたくしからお二人にお話があります」
オリエが両手をパン、と鳴らして話題を変える。
「まずはルヒメナ?」
「……はい」
笑顔のままのオリエと対照的に、ルヒメナは覿面に表情を曇らせた。
「当分、わたくしが同席しない場合の吸精を禁じます。それと、粘膜接触による吸精も禁じます。これは、リクオさんを守るためです」
「……はい」
項垂れるルヒメナを横目に見ながら、リクオは率直な疑問を口にする。
「粘膜接触ってなんですか?」
「な、なんでもない!なんでもない!」
両手を振り否定するルヒメナの耳が、みるみる赤く染まっていく。
「それからリクオさん?」
オリエが体ごとリクオの方を向き、頭を下げる。
「申し訳ございません。わたくしからも謝罪します」
「いえ、そんな……」
「わたくしが付いていればこんなことには……。まさか、こんなにだらしない娘だとは思っていませんでした」
いつものルヒメナならすぐさま言い返しそうな表現だったが、今回はルヒメナ自身にも自責の念があるのか彼女は黙ったままだった。
「リクオさんはこれから、常に魔装を纏うようにしてください」
「常に?」
「はい。魔装のトレーニングにもなりますし、吸精の際の抵抗力にもなります。特に、ルヒメナからの吸精時は必須です。いいですね?」
オリエの言葉にルヒメナが「なによ。自分はいいわけ?」と弱々しい声で抗議するが、オリエはそれを黙殺して続ける。
「吸精は、粘膜接触や肌と肌の直接的な接触、それらの面積によっても強まります。だからリクオさん? ルヒメナから誘惑されても、魔装を解いてはいけませんよ?」
「誘惑なんてしないよ! オリエじゃあるまいし!」
ルヒメナは今度こそ強く抗議するが、今や顔のみならず首まで赤く染まっており、目は少し潤んでいた。
「あら?でもルヒメナ、昨日は粘膜接触をしたでしょう? だってリクオさんの背中があなたのよだれで――」
「わー!!」
突然ルヒメナが叫び声を上げ「あー!もういい! わかったよ! 禁止禁止!」と彼女は続けざまにまくし立てた。
ルヒメナは喚きながらドタドタ歩き「お風呂入ってくるから!」と言い残すと、そのまま屋敷へと入っていった。
見送るリクオはポカーンとし、オリエは楽しげに笑っている。
「あ、そうそう、確かめたいことがあったのですが――」と、不意にオリエはリクオの肩へと手を伸ばす。
反射的にリクオは身構えてしまう。
その際の魔力の揺らぎを感じたのか、オリエは伸ばしかけた手を途中で止めた。
「リクオさん? 今、もしかして魔装を纏いましたか?」
「あ……、はい」
「うーん、それは良い心がけなんですが、……少し傷つきます」
「……すみません、つい」
「“つい”ですか、ふふふふ……」
「あははは……」
ぎこちなく笑い合う二人だったが、そこにはどこか温度差があった。
「改めましてリクオさん? 吸精であなたの調子を確かめたいのですが、いいですか?」
「はい。もちろんです……」
「今だけ、魔装は解いてくださいね?」
リクオは両手を差し出し、オリエはその手を取る。
「……かなり回復していますね。これなら、毎日吸精するという運用もできるかもしれません」
「毎日……」
「その前に一度、全快した時の容量を見てみたいですねぇ。リクオさんがどれほどの魔力量を蓄えられるのか、楽しみです」
オリエの笑顔にリクオはつい匂いを探るが、どうやら今回は悪戯するつもりはないらしい。
「しかし、やはりなにか抵抗があります」
「抵抗?」
「リクオさん、吸精から身を守るような能力を構成しましたか?」
「いえ、そんなことは……」
「だとすれば、無意識に体得しつつあるのかもしれません」
「無意識に……?」
「無意識での能力獲得は、そう珍しいものでもありません。ですが、その能力が強まると困ります。吸精には無防備な方が、我々にとってもリクオさんにとっても良いはずですから」
「あー……」
後悔するような声を漏らしてしまったリクオに、「経験がおありなんですか?」と、オリエが水を向けた。
「はい……。ここに来る前は、妹を縛る能力を持っていたんですが、それも元々は無意識に生まれたもので……」
「妹を、縛る……?」
「あっ、いや――」
「ふふっ、素敵な関係だったのですね」
「違うんです!」
「いいえリクオさん。恥ずかしがることはありません! 実はわたくしも縛るのが大っ好きなんです!」とオリエは、繋いだ両手をぶんぶん振って熱弁した。
特に意外でもないオリエの告白に、リクオは(イメージ通りです)と心の中だけで答える。
そして自身の主張をきっぱりと突き付けた。
「いえ、僕は別に好きな訳じゃありません」
オリエはリクオの目をじっ、と見つめる。
しばらく無言で視線を絡ませると、彼女はようやく話を進めた。
「……とにかく、吸精への抵抗に関してはリクオさんに任せます。我々がどうにかできるものでもありませんしね」
「そうですね。わかりました」
「ではお食事にしましょうか。もうお昼ですから、お腹も空いているでしょう」
「はい」と返しつつ、(そんなに寝ちゃってたのか)とリクオは内心驚いた。
体調は悪くないものの、やはり失神するほどの吸精から回復するには時間を要したらしい。
オリエの言葉に空腹感を強く自覚したリクオは、今にも鳴りそうな腹をさすると、彼女と共に食堂へ向かった。
◇◇◇
食卓に着いたリクオの前に並べられた料理は、大盛りのスパゲッティ料理が一皿に、大小のパンが入ったかご。そして、ここに来てから最初に食べた白いスープの三品で、なんとか食べ切れそうな量だった。
「実は昨日、ちょっとはりきって作りすぎてしまい、食料の貯えをかなり消費してしまったんです」
オリエは苦笑交じりに語ったが、適切な量の食事はありがたい。
リクオは一口頬張り「おいしいです」と正面に座ったオリエに笑顔を向けた。
「おかわりが欲しければ仰ってくださいね? まだ、すぐになくなってしまう訳ではありませんから」
「いえ、量はこれくらいで大丈夫です」
思いのほか嬉しそうなオリエを見るに、彼女はそもそも料理を振る舞うことが好きなのかもしれない。
「バロアさんは食料の買い出しに行ってるんですか?」
今日は目覚めてから彼の姿を見ていないリクオは、正面からニコニコ見つめるオリエに尋ねてみた。
「いえ、バロアは体調を崩して休んでいるんです」
「大丈夫なんですか?」
「まあ、よくあることです。バロアが休んでいる間はわたくしがリクオさんを護りますので、ご安心ください。と言っても、結界内に立ち入る者がいれば、ですが」
(結界が張ってあるのか……)
結界についても興味があるが、リクオはバロアに関する質問を重ねた。
「バロアさんは、どこか悪いんですか?」
「はい。バロアは霊体を損傷しておりまして、たまに寝込むことがあるんです」
「霊体を? 大丈夫なんですか?」
「本人はいつも『調子を崩しただけ』と言うのですが、実際のところ危険な状態だと思います」
――『霊体とは――』
過去の情景がふと、リクオの脳裏に呼び起こされた。
白い部屋。隣で寝転ぶ、まだ幼い妹。目の前に立ち授業を進める女の先生。
三人ともが白のシャツとズボンを身に着け、床に座ったリクオは先生を見上げている。
先生は後ろで束ねた髪を揺らし、ホワイトボードに文字を書きながら霊体について教授する。
――『霊体とは、身体と同形に宿る魔力の器のことです。魔力を生むものであるとか、魔力が宿るもの、魂と表現されることもあります』
妹が興味なく絵本を開いているように、リクオも授業に興味はなかった。
それもそのはず、授業の時間は毎日設定されている割に内容が多くなく、同じ内容が何度も繰り返されているからだった。
――『霊体を損傷すれば身体に影響が出るのは免れません。損傷によっては、死に繋がるものです』
先生の言葉に合わせてリクオの唇が動く。
もうリクオは、一言一句を覚えていた。
先生の視線がこちらを過ぎる。だが、彼女は妹を咎めない。
先生も同様に、自分たちに興味がないのだろう。
「リクオさん――」と、オリエの呼びかけがリクオを現在へと引き戻した。
「魔力の割になにも知らない子だと不思議に思っていたのですが、霊体については知っているんですねぇ」
「はい。えっと……、霊体については勉強もトレーニングもしてましたから……」
リクオの回答はオリエを納得させるものではなかったらしく、彼女は首を傾げる。
「勉強はわからなくもないですが、霊体のトレーニング、ですか? 初めて聞きました。どういうことをするんですか?」
「具体的には、自分の霊体をより強く感じ取ることとか、霊体の状態を正しく認識して、正常値を高める練習とか……」
「霊体の、正常値……?」
数秒黙ったオリエは、溜め息をついた。
「わたくしには全くわかりません。ただ、わたくしがリクオさんに感じた、“器”への違和感は、その辺に関係あるのかもしれませんねぇ……」
「はあ……」とリクオも首を捻る。
オリエはリクオを見つめ、思案する。
(異常に強い魔力に、霊体の知識。なのに魔術に関しては基礎的な知識すら無い……)
強い魔力を持った者を育成する場合、どのような人材を目指すにせよ、まず教えるべきは“魔力の扱い方”のはずである。
異世界であれ、その優先順位が変わるとは思えない。
だとすれば、とオリエの思考は推移する。
(どうも、人を育てるというよりも別の目的があるような……。
条件に合う人間を作ろうとしていた?
いや、条件に適う人間かどうか選別していた、でしょうか……。
それなら魔術の知識を優先しない説明にもなりますね。
つまり、わたくしのような変異体ではなく、作られた変異体、といった所でしょうか……)
頬杖をつき考え込むオリエの視界の中で、リクオもどこかへ意識を奪われているのか、ぼんやりと呆けている。
「ほらほらリクオさん、手が止まってますよ?」
「ああ、はい……」
「食べ終わったら、食器はそのまま置いておいてください。一休みしたら、ちゃんと運動もするんですよ?」
「はい」
「わたくしは、バロアの様子を見てきます」
テーブルを離れたオリエは、思い出したように足を止め、振り返った。
「あ、そうそうリクオさん。“粘膜接触による吸精”について知りたくなったら、わたくしに訊いてくださいね? できれば二人きりのときに」
「わかりました」
「あと、好きな縛り方についても是非、お話ししましょうね?」
「わかりました」
素知らぬ顔で即答したリクオだったが、オリエの笑みから漏れ出している加虐性を見て取った彼は、決して訊くまいと心に誓ったのだった。
◇◇◇
夜。
リクオが眠っているベッド脇に、音もなく人影が現れた。
人影は、すやすや眠るリクオを見下ろし静止する。
危険が迫っていることをまだ知らないその寝息は安らかで、いかにも無防備だった。
じっくりと寝顔を眺めたあと、やがて人影は腰を折り、枕元へと顔を寄せた。
「……リクオさん、起きてください。侵入者です」
優しい声はオリエだった。
彼女は、時が来たことをリクオへと告げた。
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