#14 老夫婦
約3300文字(約7分)
既に事切れたレカードと、金髪少女、両者の体が地面へと沈んでいく。
足下から順にするすると影の中に入っていき、そのまま音も無く姿を消した。
「グスタとかいいましたか。まあ、どうせなら利用しましょうか」
二人の体が完全に沈んで間もなく、シェストの目の前、その地面から飛び出すように、再び少女だけが現れる。
手に剣は持っておらず、体は彼の方へと向いている。
「血は……、ついていませんね? 綺麗に片付いてなによりですが……」
シェストがその場にしゃがみ、黒のタイツを履いた少女の足に触れる。
「少し、細すぎますかね……。前のタイプに戻しましょうか……」
すりすりと少女のふくらはぎを撫でながら、シェストは独り言を呟く。
道行く男がふと、路地に目をやる。
「ん? なにか今……」
しかしそこにあった二つの人影は、男の視線が到達する前に姿を消し、そこにはもう何の痕跡も残っていなかった。
◇◇◇
夜の湖畔。老人二人がたき火を囲んでいる。
近くには馬車が止められ、そこから少し離れた所に馬が二頭、木に繋がれている。
辺りに他の明かりはなく、街道からも逸れているそこは、夜になれば訪れる人はいないだろう場所だった。
老人二人は男女で、共に黒のローブを纏い、頭もそのフードで隠している。
彼らは食事をとりながら、なにやら会話をしているようだった。
唐突に、近くの茂みが葉を鳴らし、枝が踏み折られる。
音を立てて現れたのは、五人の男。
それぞれが剣やナイフを手にし、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべている。
「なんか用かい?」しゃがれた声で、老夫が声をかける。
「いやぁ、この辺は盗賊がうろついているので、注意喚起に参りました」
五人は半円状に広がり、老人二人を囲む。
「あんたらだろ?」
今度は老婦が口を開いたが、その声は異様に若々しい。
男たちは少し呆気に取られた後、揃って笑い出した。
「なんだ? 声だけは若いじゃねえか!」
老婦はカチンと来た様子ですぐさま言い返す。
「は?カラダもピチピチなんだけど」
盗賊たちはいよいよ大笑いし、やがてその目をギラつかせ始めた。
「なるほど。しかしどうも信じられないので、身ぐるみ剥いで、確かめさせてもらいますね?」
リーダー格であろう中央の男が一歩前に出ると、囲んでいた者たちも足を踏み出し、半円が狭まる。
「その必要はない」
声は、老夫だった。
だが、さっきとは違う、勇ましくきっぱりとした、若々しい声。
盗賊たちの足が止まり、それぞれの顔つきに困惑や警戒の色が混ざる。
「なんだ、こいつら……」
老夫がすっくと立ち上がる。
身軽な動作も老人のそれではなく、眼光も力強く凜々しいものに変わっている。
だがリーダーらしき男は怯まなかった。
「こいつから始末する。いくぞ!」
彼の掛け声に舌打ちする者もいたが、五人は武器を構え、臨戦態勢に入った。
次の瞬間、中央の男が顎を蹴り上げられる。
攻撃は、その迅速さのみならず、彼の体が宙に浮くほどの威力も持ち合わせていた。
老夫はそのまま右の男の懐へ潜り込み、腹へと拳を突き入れる。
男は「ぐっ」と苦悶の声を漏らして武器を落とし、体をくの字に曲げる。
一番右の男がくるりと背を向け、逃走を始めた。
しかし、腹を殴られた男が倒れる前に老夫に追いつかれてしまう。
後方から飛びかかるようにして回し蹴り。
蹴りは男の側頭部を的確に捉え、彼は力なくゴロゴロと転がり、やがて動かなくなった。
その僅かな間に、左の二人もまた、老夫によって倒されていた。
「お前……、分身使いか……」
声はリーダー格の男だった。
彼は膝に手をつきながら、なんとか立ち上がろうとしている。
「魔装が使えるのはお前だけか」左の老夫が、唯一残った男を見据える。
その頃には、もう一体の老夫の姿は消えていた。
「どうだ?ピチピチな動きだったろ?」
老夫が男の方へと歩み寄りながら語る。
「オレたちを、誘ったわけかッ……!」
男は悔しそうに言い放った。
だが老夫はピンとこない様子で近づき、そのまま無造作に男の顎を、再び蹴り上げた。
「誘ったって、なに?」ずっと座ったままだった老婦が口を開いた。
「だいぶ悪さをしてたんだろうな。治安部のオトリ捜査だと勘違いしたんじゃないか?」
「あ~、なるほど」
老夫はたき火のそばで足を止める。
「あれ?俺の分は?」
見れば食事途中だった器が空になっている。
「さあ…………、知らない」
「知らんわけないやろ!」
思わず突っ込むが、彼女は悪びれもせず腹をさすり、満足げに夜空を見上げている。
「でも倒しちゃってよかったの? 盗賊なんでしょ?」
「……ああ、まあ、いいだろ。こいつらは盗賊というより、弱者狙いのチンピラだよ」
老夫は肩を落として答える。
「サキュバス狩りの奴らとは別ってこと?」
「別だろうな。俺たちが魔石を売ったときから目を付けてたんだろう。なにより魔物狩りをするには弱すぎる」
「はぁー……。あの街、腐ってるね」
「すぐに出て正解だったな」
老夫は黒のローブを脱ぐと、たき火に覆い被せる。
火が消え、辺りが夜の闇に包まれたとき、老夫婦はその姿を変えていた。
二人は若い男女だった。
男は精悍で真面目そうな顔つきをしており、短い黒髪は立てられている。
ベージュのシャツに緑のズボンという、この世界の一般的な青年のもので、目立つ特徴はない。
女もローブを脱ぎ捨てた。
髪は黒で肩ほどまであり、眉は細く、つり目と合わさることで気が強そうな顔立ちである。
服装は黒と紫を使ったワンピースに、ベルトを巻いて細い腰を際立たせている。
二人は馬たちが休んでいる方へと、岸沿いを歩く。
「もう次の街に向かう?」
「いや、どこかで一度、ちゃんと休もう」
「さっさと全部換金したいね」
「次からは街の出入りでも姿を変えないとな」
女はあくびをし、男の横顔を見上げる。
「いつか、あんたの言う“地球”にも行ってみたいな」
「転移術が使えるようになれば、だろ?」
「なるよ。たぶん。あたしのママは使えたらしいし……」
「当分はこっちで良い暮らしをしつつ修業ってとこか」
「そうだね。儲けた分は全部使おう」
「あー……、最後の一杯」
「は?まだ言う!? じゃあ次の休憩でなんか作ったげるよ!」
「いや、お前の料理は……」
「なんだよ!」
静かな湖の畔に声が響く。
二人の長い一日は、もう少し続くようだった。
◇◇◇
窓から入る白い光。
光は眩しく、しかしどこか、ぼやけて輝いている。
リクオは、自分が横たわっているベッドに、誰かが腰かけていることに気づいた。
長い金髪に、黒い服。
見えるのは後ろ姿で、膝の上にグレーのふわふわしたものを載せ、撫でている。
わずかに見える横顔は、微笑んでいるようで――
「ナー」
猫の鳴き声に、リクオは目を覚ました。
そこは、自室のベッドだった。
窓明かりは日中を示し、開けられたカーテンにより部屋の中も明るい。
「くるしいです……」
リクオは胸に乗って自分を見つめているリックを抱き上げ、体の脇に移動させる。
「また気絶してしまいました」
上半身を起こし、リックを撫でる。
そうしていると、夢の風景がおぼろげながら頭によぎる。
「あれは、リックでしょうか……」
リックに問い掛けてみるが、答えはない。
ではあの女性は、と考えていると、オリエとの会話がふと思い起こされた。
(確か、『魔物へと変質し始めた』とか言ってたな……)
「もしかして、人間に変化できるとか……?」
「ナー」
今度は答えがあったが、イエスかノーかは分からない。
首元を掻くように撫でていると、リックの首輪が妙に気になった。
黒く細い首輪。皮製で、すべらかな細鱗模様。
「魔力を感じます……」
リクオは両手で首輪に触れる。
首輪には強い魔力が込められているのが、確かに感じられる。
もっと調べようと、リクオはリックを仰向けに転がす。
「魔石は、付いてないんですね」
「ナー!」
「痛い痛い!」
目の前にあったリクオの手に、リックが噛みついた。
「すみません。つい夢中になってしまいました」
リクオは素直に手をつき謝るが、リックは機嫌を損ねたのか、トコトコと、ルヒメナの部屋がある壁へと消えていった。
「……よし、僕も行きましょう」
体調は悪くない。食事をとる部屋か裏庭に行けば誰かいるだろう。
着替えて元気な姿を見せようと、リクオはベッドを降りた。




