#13 お風呂サキュバス!【後編】
約4100文字(約8分)
リクオが脱力し、項垂れたまま動かなくなっていた。
ルヒメナはそのことに気づいていたが、それでも吸精をやめることはできなかった。
(おいしそう……)
ルヒメナは口内の唾液を飲み込む。
欲求はむしろ膨らむばかりだった。
ルヒメナは両手を、彼の背中から動かした。
ゆっくりと、脇の下、胸へと両手を回し、いよいよ目の前に背中が迫る。
口を開けて、舌を出す。
そして欲望のまま、リクオの肌へと押しつけた。
上唇がその綺麗な形を崩し、舌の表面もピッタリと密着する。
涎が垂れるのも、構いはしなかった。
吸精の絶対量が更に増え、未体験の快感は毎秒のように更新された。
◇◇◇
日が落ち、照明が落とされた屋敷の廊下は、外よりもむしろ暗くなっていた。
ただ、窓の近くには夜空の明るさが届いており、目が慣れさえすれば問題なく歩けるほどだった。
バロアが廊下にしゃがみ込み、リックと戯れていた。
「あらあら、仲良しですねぇ」
「オリエ殿、どうかされましたか?」
オリエが実体化したまま、一人でうろつくのは珍しい。
用件がなければ実体化を解き、ルヒメナの傍に控えるのが常だった。
「ルヒメナに追い出されてしまいました……」
「吸精ですか?」
「はい……」
リックがオリエの足下へと歩み寄り、自身の首元をこすりつける。
オリエは腰を下ろしてリックへと手を伸ばし、グレーの艶やかな毛並みを優しく撫でた。
「リクオさんはどうですか?」
視線はリックに据えたまま、彼女はバロアへと問いかけた。
「そうですね……」
バロアは立ち上がり、顎の髭を触り、しばし黙考する。
リクオの資質と、オリエの問いの焦点を。
「剣術はまだ、どうなるか見えてきません。ですが体のこなしに問題はありません。魔術の適性は抜群です。彼の魔力量を加味すれば、すぐにでも戦力になり得るでしょう」
「……できれば、互いに依存し合うような関係がいいのですが」
サキュバスの二人に魔力タンクが必要であることは、将来的にも変わらない。
しかし、リクオが戦闘向きの能力を修得することになれば、サキュバスを必要としなくなることも考えられる。
「ヒメ様に任せることでしょうな。互いに信頼し、助け合う関係。彼らはとても真っ直ぐです。きっと強い絆で結ばれます」
「……確かに。あなたの言うとおりなのかもしれません」
会話は途切れ、リックのゴロゴロといった甘え声だけが耳に入る。
「ところでバロア? あなた、目は見えているのですか?」
「……ああ、気づかれましたか。まだ見えてはいるのですが、かなり視力は落ちてしまいました」
「体の方は?」
オリエがバロアを見上げ、品定めをするように彼の表情を注視する。
「まだまだ死ぬほどではありません。ハッハッハ」と、彼は楽天的に笑う。
「あなた――」
突然、オリエの魔力が揺らぎ、増大した。
目には見えない変化だったが、バロアもそれを感知して声をかける。
「侵入者ですか?」
「いえ、結界に異常はありません。ルヒメナからの魔力流入のようです」
話している間にも魔力は流れ込み、しかもその勢いが加速していることにオリエは気づいた。
「様子を見てきます」
オリエは姿を消し、浴室へと向かう。
◇◇◇
実体化を解いても瞬間的に他所へと移動できるわけではないが、主の下へと直線で向かうことができる。
どちらも屋敷の内部ということもあり、オリエはすぐに浴室内へ到着した。
「あらあら……」
むせ返りそうな湯気と香気、統制の取られていない魔力の拡散。
その中心に、ルヒメナとリクオがいた。
コツコツと、ヒールを鳴らしてオリエが近づく。
ルヒメナはタイルの床にペタリと座り、小椅子に座って俯いているリクオの背中、その腰元に体を預けていた。
体に巻いていたのであろう白いタオルは、彼女の腰回りにずり落ちている。
ルヒメナは脱力しつつも、リクオの体に両腕を回して、なんとかしがみついているようだった。
オリエは姿勢を低くし、ルヒメナの顔を覗き込む。
彼女はリクオの背中に頬を当て、顔をこちらに向けていた。
瞳は開いているものの焦点が合っておらず、意識があるのかはっきりしない。
「ルヒメナ?」と声をかけながら、オリエは彼女の肩に手をかける。
力をかけることなくリクオから引き剥がすことができたが、ルヒメナの口元とリクオの背中に、彼女の唾液による橋が架かる。
「あらぁ、はしたないですねぇ……」
オリエがため息交じりに漏らすと、オリエの腕の中のルヒメナが反応した。
「おりえぇ……? あたし、もうだめだぁ……」
「はい。あなたはダメダメです」
ルヒメナの体をリクオから完全に離すと、オリエは次に、リクオの背中に触れた。
(心臓は、動いてますね……。さて……)
微動だにしないリクオの生存を確認し、次いで、ほんの少しだけ吸精する。
(なにか違和感がありますが、それにしても……)
「だめぇ……」
ルヒメナの呟きに、「ふふっ」とオリエが笑う。
「ダメダメというのは撤回します。ルヒメナ、よく短時間にこれだけ吸いましたね。やはりあなたは、わたくしの娘です」
「うーん……」
聞いているのかいないのか、熱に浮かされたようなルヒメナに、オリエは顔を近づける。
「でも、起きたら説教ですよ? おやすみなさい、ルヒメナ……」
ルヒメナの額に自分の額を合わせ、オリエは眠りの術を行使した。
◆◆◆
夕暮れ時。
街は夕焼けに照らされ、優しい色に包まれている。
帰路につく職人たちの笑い声や、呼び込みの声、あちこちから漂ってくる夕食の香り。
オレンジ色に染められた街には今、生気が溢れていた。
同時に、刻々と影はその濃さを増しつつある。
まともな人間であれば、影に足を踏み入れようとはしなくなる時間だろう。
そんな暗く狭い路地裏を、レカードは一人、悠々と歩いていた。
普段、光の中を歩んでいる者が行くには、心もとない場所の筈である。
しかし、彼にはわかっていた。危機は自分には降りかからない、と。
角を曲がると、男が一人、樽を椅子にして座っているのが目に入った。
「よう。グスタ」
「おう」
短い返事は、しゃがれた声だった。
グスタと呼ばれた男は、レカードとは対照的な、見るからに柄の悪い男だった。
安っぽいシャツに、所々やぶけているズボン。
頬まで覆う無精髭に、頭髪は脂っぽくて汚らしい。
レカードは彼の放つ悪臭に足を止め、顔をしかめる。
二人の間にはまだ距離があったが、レカードはそれ以上近づこうと思えなかった。
グスタは、そんな彼の態度を気にも留めない。
彼は片手に持った酒瓶を呷ると、ニタリ、と歯を見せる。
「情報か?」
「ああ、ピンク・サキュバスだ」
「待ちわびたぜ」
レカードは端的に説明した。
情報源はベリーダ村の老夫婦。山は、その村の西である、と。
「ほらよ」
グスタは小袋を雑に放り投げた。
レカードが受け取り、中を覗くと、金貨が二枚入っていた。
なかなかの報酬に、つい彼は相好を崩してしまう。
しかもこれは、ただの情報料だ。
実際に彼らがピンク・サキュバスを捕らえれば、更なる報酬を貰う約束になっている。
「頼むぜ。グスタ」
「おう」
レカードは踵を返し、路地裏を引き返す。
角を曲がった所で小袋から金貨を取り出し、その安っぽい袋だけを地面に捨てる。
ポケットの中で金貨二枚をこすり合わせ、シャリシャリと音を鳴らす。
歌い出したくなるような気分だった。
目の前にオレンジ色の通りが目に入る。
彼が下品な笑みを噛み潰し、上品ないつもの顔で、光の道へと戻ろうとしたときだった。
「レカードさん」
どこか神経質そうな、聞き覚えのある声。そして、ここにいるはずのない者の声だった。
レカードは振り向き、大いに動転する。
そこには、金髪に黒縁メガネの男が立っていた。
まさしく、地下室で魔石を使い、情報を伝えた相手だった。
「シェスト!? ど、どうして、ここ、ここに……」
(バカな……! シェストは王都にいたはずだ! たった数時間で来れるわけが……)
シェストは、以前会ったときと全く同じ格好をしていた。
黒いスーツに黒いシャツ。締めたネクタイまで黒一色の異様な姿。
(聞かれた? 聞かれたのか? グスタとの会話を!)
「……どうしてって、魔石の回収ですよ」
酷く混乱し、呼吸を荒らげるレカードに対し、シェストは平然と笑顔を浮かべていた。
正確には、現れた当初から、顔に貼り付けたような笑みを浮かべたままだった。
「ま、魔石……」
レカードは震える手で魔石のネックレスを取り出し、手中のそれを見つめる。
(魔石を使って、転移したのか……?)
そこで、レカードの頭に閃きがよぎった。
彼はチラリと後ろを振り向く。
少し駆ければ路地を抜けられる。衆目の中へと飛び込めば、シェストも手は出せまい。
魔石を捨てて姿を隠そう。いや、いっそ魔石を投げつけて――
と、レカードが企みつつ前方へ視線を戻すと、少女が立っていた。
シェストの傍ら。彼の腰辺りまでの身長。金髪の三つ編みに黒のフリル・ドレス。
生気のない表情に、ただ前へと向けられただけのような、無機質な金色の瞳。
「な、なん……!?」
混乱に思考が空転し、言葉が出てこない。
(もうダメだ! とにかくヤバイ!)
レカードは恐慌に陥りそうになりながらも、すぐさま先刻の閃きを実行に移した。
ネックレスが宙を舞う。
敢えて大きな弧を描くように投げたそれを、シェストの両眼が追いかける。
その様子を、レカードはしっかりと確認した。
レカードは、ぐるりと体ごと後ろを向き、駆け出す。
あと一歩で街の喧騒に飛び込める。もう視界のほとんどはオレンジ色だった。
だがそこで、レカードの力走は異常な止まり方をした。
首がガクンと前に倒れ、髪が前方へ振り乱れる。
両手も体の前に投げ出され、そのまま力なく垂れ下がる。
シェストと少女から目を離して、一秒にも満たない時間。
少女はレカードの“前方から”、彼の胸に剣を突き刺していた。
(なんで……)
もう、なにもかもが分からなかった。
なぜシェストがここにいるのか。
どこから少女はやって来たのか。
なぜ少女が目の前にいるのか。
どうして自分は前に進めないのか。
(ああ、剣が、胸に刺さっているからか……)
レカードは最期に一つだけ納得を手に入れると、ゆっくり、瞳を閉じた。
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