#11 吸精と快楽
約4000文字(約8分)
ガキン、と耳元で硬質な音が弾けた。
肩への衝撃に、リクオは「ぐっ」と息を漏らす。
「びっくりした?」
瞳を開けると、してやったりという顔でルヒメナが笑んでいた。
隣にはバロアが片膝を付き、リクオの左腕を掴んでいる。
「え?あれ?」
リクオは斬られたはずの左肩に触れるが、服すら斬れておらず、出血もなかった。
ただ少し、ヒリヒリとした痛みが残っているだけだった。
「リクオ、気づいてない?」
「リクオ殿、もう一度、注意深く触れてみてください」
言われた通り肩に触れると、確かに違和感があった。
服は布の感触をしておらず、肌を触っても、肌ではない感触になっている。
「これ……、魔装、ですか?」
「はい。私の魔装でリクオ殿を覆いました」
バロアがリクオの腕から手を放す。
魔装は彼が手を放した後も継続しているようで、リクオは自身の肩や腕、顔をぺたぺたと触った。
硬さがあるのに柔軟に曲がるそれは、現実との物質とは一線を画した異質さを持っていた。
「しかしヒメ様、私が間に合わなかったらどうするつもりだったのですか?」
「ふふーん。私も剣に魔装を施してたから、どうせ斬れないはずだったよー!」
とルヒメナが腰に手を当て、得意気に胸を反らせる。
(“はず”って……!)と、リクオは一人静かに寒気を覚える。
「なるほど、やりますなぁ!」
バロアとルヒメナは、そんなリクオの胸中を知ってか知らずか、二人して「ハハハ」、と暢気に笑っている。
「リクオ殿、では魔装を解きます」
「はい」
リクオは右手で左手を触る。確かな肌の感触はリクオに安心感をもたらしたが、同時に現状の無防備さも理解できた。
今、先程のように剣を振り下ろされれば確実に斬られるのだろうと。
「まずは膜を作ります。魔装の感覚、感触を思い出しながら、再現を試みてください」
「……はい」
「魔力を込めての強度の上昇や、魔装の硬さや柔軟さといったものは後でどうとでもなります。膜の形成が第一です。膜を作ることができれば、手の平、次に腕、といった具合に、膜で覆える部分を大きくしていくことを目指しましょう」
「わかりました!」
術の構成力には自信がある。
リクオは早速、左の手の平を見つめ、膜のイメージを始めた。
「私たちはどうするの?」
「吸精からの稽古をしましょう」
(吸精からの稽古……?)
思わず興味を引かれ、視線を上げてしまうが、リクオは首を振り、自身のすべきことに集中する。
膜の感覚を思い出しつつ、左の手の平を指先でトントンと何度も押す。
ルヒメナとバロアが全く音を立てなくなったのが逆に気になるが、リクオは徐々にコツを掴み始める。
始めは一本だった指を、二本、三本と順に増やしていき、膜の感覚を広げていく。
――と、
「あら――」
という声にリクオの動きが止まり、集中は切れ、鳥肌が立ち、背筋が凍る。
「ここでしたか、リクオさん」
「……オリエさん」
リクオの隣に、オリエが立っていた。
オリエは手になにも持っていなかった。リックは逃げ切ったか、食べきったのだろうか。
怒られるかと思ったリクオだったが、彼女がリクオを見下ろす表情は、優しげに見える。
だからと言って、彼女は優しいとは限らないので、安心はできるはずもなかった。
「どうぞ続けてください? 魔装の練習でしょう?」
「はい」
リクオは手元に視線を戻すが、どうにも集中できない。
「魔装ができないと、簡単に握りつぶされてしまいますからねぇ」
「……はい」
オリエの言葉に、リクオはビクリと肩を震わしてしまう。
「あちらの二人は吸精ですか」
顔を上げると、ルヒメナとバロアが向き合い、両手を取り合っていた。
二人は目を閉じており、まるで、なにかの儀式に臨んでいるかのようだった。
「どうせ吸うなら、リクオさんから吸えばいいのに」
ちょうどルヒメナに届くほどの声量で、オリエは小言を呟く。
ビクリ、と今度はルヒメナが肩を揺らした。
「サキュバスなのに照れているなんてことは、まさか無いと思うのですが……」
ルヒメナの目の下がピクピク痙攣する。
少し前まで安らかな表情をしていた彼女だが、今では眉間に皺を寄せている。
「……あれも吸精なんですか?」
リクオは話を変えようと、頭に浮かんだ疑問を口にした。
実際、それは純粋な疑問だった。二人の姿は、リクオがこれまでに経験したものとは明らかに違っていたからだ。
「はい。あれは快楽を付与していない吸精ですね」
「快楽?」
「まず吸精とは、魔力を吸う術のことです。そして、相手がどれほど心を開いているかで、吸収する強さが変わります。
快楽付与は吸精に付随した術のことで、心を強制的に開かせる助けになります。
つまり快楽付与を使うのは、心を開かせ、多量に吸いたいときや、単純に気持ちよくなりたいとき、気持ちよくさせたいとき、などですね」
リクオは二人に目を戻す。
「二人の場合は、バロアさんが心を開いているから必要ない、ということですか?」
「いえ、正確にはバロアを殺してしまわないように、というものです」
「えっ……?」
「快楽はサキュバスの心も乱します。だから慎重な吸精には向きません。バロアのような人間に対しては、命取りになるかもしれません」
(バロアさんのような……?)
バロアにもなにか特別な事情、体質があるのだろうか。命に関わるほどの重大なものが。
それ以上、リクオは質問を重ねることができなかった。
二人は依然として吸精を続けており、その場は静寂に包まれた。
「では、わたくしは食事の準備に参ります」
「えっ、もうですか!?」
静寂を破ったまさかのセリフに、リクオは大声で反応してしまう。
「はい。今日はあと二回、食事の時間をとる予定です」
「……無理です」
「無理じゃありません」
リクオの弱音は断定によって撥ね返され、そのままオリエは屋敷の壁へと姿を消した。
「あ、そうそう、リクオさん――」
突如、背後に戻ったオリエに、リクオは「ひっ」と声を上げる。
彼女はリクオの両肩に腕を置き、背中に密着して囁きかけた。
「三回目の食事、夕食までに魔装を修得できたら、免除してあげてもいいですよ?」
今度こそオリエの気配が消え、リクオは覚悟を決めた。
◇◇◇
「よし、これくらいかな?」
ルヒメナがバロアの手を放し、後方へ軽やかにステップ。腰に佩いた剣を抜き、楽しげに口角を上げている。
「いくよー?」
「はい。いつでも」
ルヒメナの気楽な声音に対し、バロアは声も所作も真摯さを保ったまま、二本の剣を抜く。
つい二人を見てしまったリクオだったが、次の瞬間、リクオの視界からルヒメナが消えた。
(あれ?)と思うと同時に金属音が響く。
彼女は一瞬でバロアの背後に回って剣を振り下ろしたようだが、バロアもそれを防いだらしい。
だが、その速く強い一撃にバロアは体ごと後方へ押され、両足を滑らせる。
斬撃を受けたのであろう両の剣も、下方へと大きく流されている。
明らかに、先程までの稽古とは様相が違う。
これが、バロアの言っていた『吸精からの稽古』。魔力に差をつけた状態での稽古、ということなのだろう。
ルヒメナの速力と膂力は明らかに数段、上がっていた。
バロアの剣捌きと体捌きも、速く大胆なものに変わった印象があるが、吸精の性質から考えれば弱化することはあっても強化は考えられない。
つまり、元々、彼はこれだけの動きができたのだろう。
リクオはバロアの剣術に舌を巻いた。
しかしルヒメナが狙いを切り替えたのか、形勢が変わり出した。
彼女はバロアの真正面から、シンプルな攻撃を繰り返し始めたのだ。
コンパクトな速い突き、単純な横薙ぎで力押し。
やがてバロアの動きが追いつかなくなり、ルヒメナの剣が彼の首筋に迫る。
バロアは右手の剣でそれを受けようとするが、片手ではとても受けきれないだろう、左の剣は下から斬撃を弾こうと向かっているが、追いつけるとは思えない。
剣戟に集中したリクオの目に、その場面はスローモーションに映った。
ルヒメナが振るう剣が、バロアの剣に食い込む。
まるで鉄の剣と木の剣のようだった。
これで決着、と、そうリクオは悟った。
だが、ルヒメナの剣の軌道がそこで、ぐにゃりと、やや上方へ曲がる。
(いや、曲げたんだ……!)リクオは身を乗り出す。
間もなく剣が剣を食い破る。
だが、軌道の変化により最短最速でなくなったそれに、バロアの左手が追いついた。
バロアの剣がルヒメナの剣をかち上げると同時、彼の右手の剣は完全に切断される。
そして隙が生まれたルヒメナに対し、バロアが右手で握る、歪な短剣が最短距離を走る。
「あっ」
気の抜けたようなルヒメナの声。
彼女の視線は、どうやら折れた刀身を追っているようだ。
リクオの目は、まだスローモーションで世界を捉えていた。
それはゆっくりと、回転しながら向かってくる。このままだと、ちょうど眉間あたりに突き刺さりそうだった。
(これはもう、間に合いそうもないなぁ……)
リクオはぼんやりとそんなことを考えながら、恐怖にぎゅうう、と瞳を閉じる。
「リクオ!」とルヒメナの声が聞こえたとき、額が衝撃に打たれ、リクオは仰向けに倒れた。
◇◇◇
「生きてますな」
バロアの声だった。
「え?これ、魔装? バロアのじゃないよね?」
「はい。私はなにもしておりません」
ルヒメナの声と、つんつんと頬を突かれる感触。
(……あれ?)
リクオは目を開けた。
「あのー、僕、生きてます?」
「リクオ! すごいすごい! もう魔装できたんだね!」
傍らに座ったルヒメナがはしゃいでいる。
「剣にあまり魔力を込めていなかったのが良かったんでしょうな!」
ハハハとバロアが笑っている。
(いや、なーんも良くありませんが?)
リクオは胸中だけでツッコミを入れる。
良かった良かった、と笑う二人の声を遠くに感じながら、リクオは壁に突き刺さった刀身を見つめる。
(でも、ご飯の免除権だけは良かったかも……)
弱化って、「じゃっか」って読むんですね。「じゃくか」やと思ってましたー!
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