#10 剣と魔装
約4200文字(約8分)
満腹になった腹をさすりながら、リクオは忍び足で階段を下りる。
オリエとリックのみならず、屋敷自体に人の気配は一切なかった。
食卓を囲んだ四人と一匹、屋敷にいるのはあれがすべてだったのだろうか、などと考えながら、リクオは一階に到着する。
正面玄関に向かわず、階段の裏手に回ると、リクオの予想通り屋敷の裏へと出る扉があった。
扉に近づくほど、いよいよ金属音が近くなる。
リクオはドアノブに手をかけ、扉を開ける。
屋敷の裏は石畳になっており、ルヒメナとバロアが、剣で斬り合っていた。
その光景にリクオは息をのみ、ドアに手をかけた状態で動きを止めてしまう。
(これが……稽古……?)
ルヒメナは確かにそう言っていたが、明らかに本物の剣を用いたそれは、稽古とは思えないほどの迫力があった。
だが同時に、剣を用いた二人のやり取りはどこか美しく、リクオは次第に目を奪われていく。
声をかけることはおろか、身じろぎ一つでも水を差してしまうように感じられ、リクオは我知らず、呼吸すらも忍ばせていた。
二人の姿は対照的だった。
息を乱したルヒメナと、口を閉じ、肩も揺らさない自然体なバロア。
ルヒメナは汗だくで、濡れた髪が頬や首筋に張りつき、シャツの背中も大きな染みになっている。
対してバロアは、ジャケットにマントを羽織ったままで、汗の一雫も見当たらない。
二人は動きも対照的だった。
ルヒメナは一本の剣で攻め、バロアは二本の剣で受ける。
ルヒメナが素早く大胆に斬りかかると、バロアはゆるりと後退し、その勢いを受け流す。
ルヒメナの剣は見るからに高級で、バロアの二本の剣はどちらも簡単な作りのものだった。
ヒュッ、と風を切る音が鳴る。
踏み込みと同時に、ルヒメナが頭上に構えた剣を振り下ろした。
狙うはバロアの肩口。
バロアはそれを両手の剣で受けると、左手だけを外側へ流し、そのエネルギーを下方へと導く。
同時に右の剣は、ルヒメナの首筋へと向かっている。
ルヒメナは柄から左手だけを離し、体をのけぞらせた。
バロアの剣はわずかに届かず空を切る。
バランスを崩したまま、ルヒメナは地面を蹴って後方へとステップする。
しかし距離は開かず、仕切り直しは許されない。
バロアもその動きに合わせ、踏み込んでいたのだ。
一連の動きは、まるで息の合ったダンスのようだった。
だがルヒメナの表情には焦燥の色が浮かび、それが一方的なものだとわかる。一方的に合わせられている。あるいは、踊らされている、と。
腰辺りの高さから、バロアが左の剣を突き出す。最短距離を走る切っ先に対し、ルヒメナが引き寄せた剣の根元がギリギリ間に合い、バロアの突きは彼女の左頬をかすめた。
バロアの右腕が始動している。
ルヒメナの崩れた体勢、崩された構えからは、もう防ぐことはできない。
真一文字、しかしコンパクトなスイングは、ルヒメナの胴を完全に捉えた。
ジャッ、という音と共にバロアが剣を振り抜き、ルヒメナの体が、くの字に折れる。
「えっ」
二人の華麗な動きに見蕩れ、どこか現実感なく眺めていたリクオだったが、その瞬間、現実に引き戻され、顔から血の気が引いた。
「いってて……、やられちゃったかー」
「速力があっても、直線的な大振りでは読まれてしまいます。まずはフェイントを見せるなどして、惑わすべきです」
リクオの心配をよそに、二人は反省会を始めている。
しかもルヒメナは、斬られたはずの腹を、事も無げにさすりながら。
「あれを読めるのはバロアだからでしょ? バロア以外なら真っ二つだって」
「あ、あの……! 大丈夫なんですか……?」
「ああ、リクオ! 来たんだね! お腹は大丈夫?」
ルヒメナが振り向き、笑顔でリクオの腹具合を気にかける。
「僕は大丈夫ですが、ヒメは……」
と、視線を落とすと、ルヒメナのシャツが全く切れていないことに気づく。
「ああ、大丈夫だよー」と、彼女はぴらり、と自身のシャツを捲り、白い肌を露わにする。
思わずリクオは顔を近づけてしまう。
斬られたはずの部分には、肌に細く赤い筋が一本入っているだけで、出血は一切していなかった。
「ちょっと痛いけどね」
シャツを戻し、照れ笑いするルヒメナを見て、バロアが呆れたように溜め息をつく。
「ヒメ様、年頃の女性が、そういったことをするものではありません」
「いいでしょ別に。私はサキュバスなんだし」
「サキュバスにしては照れているように見えましたが」
「いいの! 見習いサキュバスなんだから!」
強がるように言い返すルヒメナと、優しくたしなめ、からかうバロア。
こちらも息の合ったやり取りだった。
親子ではない。そして『ヒメ様』といった呼び方から、お姫様とその従者、あるいは姫を守る騎士のような関係をリクオは連想した。
「しかし問題はリクオ殿ですな」
「リクオが?」
「はい。リクオ殿、“魔装”はご存じですか?」
「“まそう”? いえ、わからないです」
「え!?知らないの!? 使えないとかじゃなく?」
「なるほど……。剣の稽古の前に、まずはそこからですな」
◇◇◇
バロアとリクオは向かい合い、地面にあぐらをかいている。
「ではヒメ様。剣に魔力を込めずに振り下ろしてください」
バロアが左腕の袖をまくり、水平に伸ばす。
「はーい。いっくよー」
と、隣で素振りをしていたルヒメナが、なんの躊躇もなくその剣をバロアの左腕に振り下ろす。
「え、ちょっ……」
リクオは、つい、目をぎゅっと閉じてしまう。風を切る音は聞こえたが、腕が切り落とされる音はやってこなかった。
「ご覧ください。腕に込めた魔力の方が格段に大きければ、剣を用いても斬ることはできません」
目を開けると、刃がバロアの腕の上で止まっている。
刀身は浅く肌に食い込んでいるが、肌を裂くには至っていなかった。
「このように、肌は柔らかいままですが、強度を上げることができます」
魔力による“強化”は、リクオも理屈では分かっていたが、これほど強烈に示されたのは初めてだった。
「へぇー、斬れないもんなんだねー」
ルヒメナがおもしろがって、ノコギリのように刃を前後させている。
「とは言え、同じくらいの魔力を込めた剣なら、簡単に腕は斬り落とされるでしょう。なぜだかわかりますか?」
「えーっと、剣の、斬る力が強化されるから、ですか?」
「それは、……半分正解、ですな」
「えっ?違うの?」
バロアの腕に剣の切っ先を垂直に当て、火をおこすようにグリグリ回していたルヒメナが手を止める。
「……ヒメ様もここへお座りください」
「はぁ~い」とルヒメナは気の抜けた返事をしつつ、リクオの隣に座り、生徒は二人になった。
「魔力を込めれば剣も“強化”され、頑丈になります。刀身は折れにくくなり、刃こぼれもしづらくなります。
そして、対魔性能が上がることにより、結果的に“切れ味“も上がります」
「たいませいのう?」
リクオが首を傾げる。
「はい。魔力に対する効力、とでもいいましょうか……。剣と腕で例えると、腕に込められた魔力を相殺し、剣が持つ本来の“切れ味”を生身の腕に届かせる、といったものです」
「はぁ~」ルヒメナとリクオの声が重なる。
バロアが眉根を寄せてルヒメナを見やる。
察するに、ルヒメナには既に教えた事柄なのだろうか。
リクオは、ちらりと彼女の表情を窺うが、ルヒメナは初めて聞いた風に感心している。
「『半分正解』というのは、『斬る力を強化する』という魔術が存在するからです。
魔力を込めるだけでも実質的に斬る力は強化されますが、より正答に近いのは『対魔性能が上がるから』や、『魔力を相殺できるから』といった答えでしょうな」
「ああ~、なるほどね~」
「ヒメ様には何度も説明しているはずですが?」
クスッと、ついリクオは笑ってしまう。
「別にいいじゃない。結局、重要なのは魔装の方でしょ?」
「確かにその通りですが、適切な魔力行使は正確な認識から導かれます。魔力を吸収できるからといって大雑把な――」
「はいはい! わかりましたわかりました! わかりましたよ~!」
バロアの説教を雑に区切り、ルヒメナは立ち上がる。
きっとこの受け答えも、幾度も繰り返したものなのだろう。そう簡単に予想がつき、リクオは二人の関係を羨ましく思った。
「では魔装の話に参りましょう。魔装とは、薄い結界を全身に纏う、護身の魔術です」
「結界……!」
「はい。分類すれば基礎的な結界魔術になるでしょう。ですが、難しく捉えることはありません。
魔力で膜を形成し、それを全身に纏うことができれば、もう魔装の完成です」
「はぁ……」
余りにも簡単な説明に、リクオは拍子抜けしてしまう。
「これを修得すれば、喉も守れますよ?」ハッハッハ、とバロアが笑う。
「喉? なんの話?」
「な、なんでもないです!」
少し離れて素振りをしていたルヒメナだったが、こちらの話も聞いていたらしい。
リクオは慌てて両手を振り、バロアに向き直った。
「あとはその膜に魔力を込めて頑丈にしたり、硬く変質させたりして身を守る助けにします」
一方、バロアは平然と話を進める。
そして、先ほどと同じように左腕を水平に伸ばす。
「ヒメ様、今度は魔力を込めて振るってください。いつもの、稽古のときと同じくらいで結構です」
「わかったー。いっくよー」
ガキン、と、まるで鉄塊にハンマーを叩き付けたような予想外の轟音が響き、リクオの体もビクッと震える。
振り下ろされたルヒメナの剣は、バロアの皮膚上で静止していた。
「硬度を上げ、魔力を込めれば鎧にも劣りません。これが“魔装”です」
リクオは「はい」と頷いた。
わかりやすい説明に、インパクトのある実演。
魔装というものと、その重要性を、リクオははっきりと認識することができた。
そして、バロアの教授方法に感謝した。
必須級の防御術を、最短で修得できるように工夫してくれたのだろう。
バロアの気持ちに応えたいという思いが、リクオのやる気に火をつけた。
「では、魔装の実践に入りましょう」
「はい!」
リクオは元気良く返事をする。
なぜかもう一人の生徒も返事をした。
「はーい。じゃあ、いっくよー」
ルヒメナが剣を振りかぶっている。
リクオに向かって。
「ヒメ様?」
「ちょっ……!」
バロアはルヒメナを見上げ、呆然としたまま動かない。
リクオは地面に尻をつけたまま、後ずさる。
ルヒメナは踏み込んで距離を詰めると、その剣をリクオへと、振り下ろした。
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