しかし、共有できたとしても、そのあとで、どうするか。手術して、どうかなるものだろうか。赤い輪の中に、完全に掛っているのだ。乳暈と一体になっているのに、痣だけ取除くことができるだろうか。よしできるとしても、醜い傷が残らないはずが。期待もできないのに、医者に見せるとしたら、見せるだけ悔しい。すると、彼女を裸にしたところで、ただ共有するだけのこと。アドバイスを与える上で、都合が良いことはある。でも、彼女は賢い。何かに仮託して、間接的に言えば、我が身に照らして解釈できない子ではない。例えば、千羽鶴の、痣のある、例の、気味の悪い女。女の痣のことで、私が言う言葉を、ちゃんと受止めないはずがない。彼女は恥じている。それは間違ない。風呂屋のことを、今朝、それとなく尋ねたら、番台のあるお風呂屋さんになんか行きませんと言っていた。ほかの客に、体を隠すとも言う。裸を見られたくないとする意志は強い。入浴中にも、私の声を聞いただけで、あれほど慌てたではないか。無頓着でもなければ、間抜でもない。変な服を着たのは、自分では気が付かなかった所為だ。今日、説教されて、ちゃんと納得したではないか。
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