その、小さな先端だけがカップに触れて、乳嘴のこっち半分が見えている。垂れた頭が邪魔して、よほど覗きにくくはある。これなら、今みたいに、頭から寄って、無理に覗こうとしなければ見えない。でも、普段から浮いてしまう証拠でもある。この子に合うサイズがあるかしら。何を着けても、結局浮いてしまうのではないか。神社と駅では、ブラジャーには注意を払わなかったけれど、こうして見ると、今着けているのだって、随分小さなカップではある。乳房自体がないのだから、何を着けても、ちょっと猫背になっただけでも紐が弛んで浮くだろう。いっそ、本当に、子供が着けるようなのを着けさせるのが一番安心だ。でも、まさか、そんなのを買与えて、これを着けなさいと言えるものか。やっぱり、大本の所で隠すしかない。喉頸まで、しっかりと、ボタンで留められるブラウスを着るしか。反対側から額を寄せれば、アレが見えるだろうか。座った位置で、今は、右だけが見えて、左房の様子は分らないけれども、多分、反対側からなら見えるのだろう。カップの縁だけは、左のも見える。それが、もう、其処から浮いたようになっている。でも、左は、少し膨みがあったから、カップに包まれるだろうか。アレは、乳嘴の外側だ。今、右のも、内側しか見えない。反対側から覗いても、左乳嘴の内側は見えても、外側の付根は見えないはず。毛は見えるだろう。あんなに細長い毛が、何本も何本も、全部隠れるのは難しい。将来、好きな人が出来たときには、この子はどうするのだろう。毛抜で抜くのだろうか、一本一本、ちか子みたいに。そうだ、栗本ちか子。あの不気味な女を、何処から思付いたのだろう、川端は。菊治の父親。何を考えて、あのような。どうして書けたのか。実際に、そのような女を知っていたのだろうか。実際に、その女は、ひょっとして、自身が齧ったのか。彼は千羽鶴を読んだろうか。
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