私は、彼女の左手を、右手に握ったまま、左手ひとつで、販売機の操作をおこなっていた。釣銭を左ポケットに押込む。優しくしなければ。声を掛けたい。言葉が出ない。「はい、切符。」と言って渡すときは、作笑が、かえって不審を抱かせた。探るような目で見る。にこりともしない。手を引いて、改札口を通り、階段を下りて、階段を上って、プラットフォームに立った。東京、横浜に帰る人で、もう混始めている。まだ三時二十分。これが五時、六時になれば、ラッシュアワー並になるのだろう。来た電車は、横須賀や逗子から乗った客で、席は満杯になって、客の多くが立っている。半分降りるとしても、乗るのは、その何倍もだから、とても座れない。この子を、あの中に押込めたくない。理由を考えるでもなく思った。空っぽのグリーン車が、前を過っていった。「早く。」と、彼女の手を引張って、グリーン車を追った。あとで、席に着いてから思返した。この子は、脇を剃っていない。腕を上げると、ふと、黒く見えたりする。袖もまずい。吊革に掴まらせたくなかったのだ。
これから、何をしようとするのか、あまり伝えてなかった。「一旦、山手に帰ろう、わけは、あとで分るから。」と、さっき、タクシーの中で言っただけで。もっと説明するべきなのに。言葉が出ない。由加里も、下を向いてしまった。手は、まだ繋いでいる。彼女の左手を、右手で握っている。網棚に、リュックサックを上げるときに、ちょっとのあいだだけ放して、座るときに、又繋いだ。私は窓側で、彼女は、左手を預けて、廊下側で、下を向いている。失敗した。彼女を、窓側に座らせれば良かった。窓の外に、目を向けられたのに。この配置で、会話がなければ窮屈だろう。私は良いとして、彼女はそうに決っている。だから、下を向いてしまった。でも、初のうちこそ、彼女の内心を思いやる余裕はあった。やがて、私は、私の物思に、耽始めた。物思と呼ぶには、溝川のように汚 くて、濁っているけれども。
この子は、アレを隠す気はないのか。
5/13(金)の記事は続きます。[編者]
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