何もかも判然とした。今日は、初から、そうなるようになっていたのだ。千羽鶴に出てくる、気味の悪い女、確、お茶の師匠だった。名前を何といったか。とっくに忘れた。今、手元に、本がないから、朧げな記憶を頼に、これを書くしかないけれど。何年も前のこと、その文章を読んだときは、遠い将来の、今日の、この事に連関しているとは、誰が予見するだろう。豊饒の海にしたってそう。由紀夫が自決したと聞いて、それまでは、全然、興味のなかった、彼の作品を読んでいったうちのひとつが、切腹しながら、赫奕と、日輪をのぼせる、あの一冊だった。仮面の告白に比べて、ずっと劣る出来だった。読返しもしないし、どんなことが書いてあったかも忘れてしまったのに、なぜかしら、シャムの王子が、大仏を拝むところだけは覚えていた。黒子の事は忘れようもない。その黒子だった。由加里が屈んで、胸をはだけたときに、近寄って、上から覗いた。もしや、黒子が付いていなかと、咄嗟の行為だった。のどくびには見えないけれど、普段は、服に隠れていて、ひょっとして、もっと下の方に、真黒な黒子が、ふたつありはしないか、あったらどうしよう、やっぱり嬉しいと、刹那に思って近寄った。あらぬ位置に、似ても似付かない、醜い痣。発見したくはなかた。でも、発見してしまった以上は、今となっては、発見して、むしろ良かったと思っている。彼女の為には勿論だけれど、彼女をかわゆく思う自分の為にも。けれども、そのときから、その日以来、彼の痛が自分のものになっている。
由加里は目を瞑って、鼻をひくひくさせている。一心に、あやめを嗅いで、この、悲しい恥を晒しているとは気付かない。「とても良い匂です。三渓園のよりも濃い匂です。」と言って見上げる。におい。濃いにおい。「あなたにも、濃いにおいがある。それを知っているの?」と、心の中で問掛けた。
5/12(木)の記事は続きます。[編者]
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