鳥居の下を通って、境内に入り、石段の下で、二人とも、リュックサックを下して、水筒の水を飲みながら、文学的立話をした。今まで、本の話などしたことがなかった。読んでいないものと思っていた。ところが、聞いてみると、そうではない。川端は、伊豆の踊子と雪国のほかに、みずうみを読んだと言う。中学一年生の夏に、立続に読んでいった。伊豆の踊子が、一番面白いと思った。雪国とみずうみは、良く分らなかった。だから、川端はそれきり読まないけれど、小説を読むことは好きなので、芥川とか太宰とかのものも読んだ。本当は、日本の小説よりも、外国の小説を好んで読む。バルザックの名を口にするではないか。ゴリオと谷間の百合。谷間の百合は本当に素敵だったと。ディケンズの大いなる遺産も感動した。ゲーテのウェルテル。そういう物を、六年生のときから、先生の影響で読出して、中学に上ってからは、面白そうな物は、何でも、手あたり次第に読んだ。デュマでも、ユゴーでも、オーステンでも、シェークスピアでも、マンでも、カフカでも。ロシアの作家は特に好きで、戦争と平和のような、長いものを、じっくり、時間を掛けて読む。私は、まったく呆れてしまった。無知で、無教養な少女だと思込んでいたのに。道理で、一週間で、聖書を読んでくるはず。それにしても、一週間とは早い。あんなに分りにくい、変な訳を。しかも、大体は分ったと言う。翻訳文に慣れているのだ。聖書は、歴史的な背景を知らなければ理解できない部分がある。それは当りまえ。でも、一緒に朗読すれば、旧訳だって、ちゃんと理解するし、それなら、マーローの劇を見て分るのも不思議はない。「どうして、今まで言わなかったの。劇を見たときも、私は、解説しながら、何度も、シェークスピアの名を言ったのに、そのときは、シェークスピアを知っている気振も見せなかったではないか、そうと知っていたら、一緒に朗読するにも、聖書のほかに、もっと、色々な選択があったし、第一、あんな、振仮名だらけの文章をばかばかしく思わなかったか。坊が文学少女と知っていれば、文学少女同士、それだけ、会話の幅が広がるものを、坊は、ほかに、何を隠しているのか言いなさい?」と、腰に手を当てて、詰寄ってみせた。
5/12(木)の記事は続きます。[編者]
滋子の手書き原稿に忠実な翻字は以下で
http://db.tt/wiixYXDN
目次はこちら
http://db.tt/fsQ61YjO