初ての鎌倉なので嬉しそうだった。寺巡をするというので、それは、聖書の教に背かないのかと、鎌倉行を決めた当初は、ちょっと引掛るらしかった。私は、寺巡といっても、礼拝しにゆくのではなく、観光で行くのだから、特に問題はないと思うと言って安心させた。彼女も、それきり気にしなかった。あとで書くけれど、当日は、かえって、悪ふざけする余裕があった位。このごろでは、キリストを、世を救う御方だと信じている。聖書を与えたら、一週間で卒読した。それ以来、新約聖書は、何度か読返したと言って、「イエスの、あの言葉は、何何の福音書の、どの辺にあった。」とかいうことまで言えるようになっている。
北鎌倉から始めた。円覚寺では、早速、臨済宗とは何か、五山とは、順位はどうやって決めるのかなどと聞かれて困った。分るはずがない。いつもそうで、機嫌が良いと、何でも聞きたがる。答えてやると、感心したように頷く。細長い石段を登ってゆくと、大鐘が吊ってある。その横の茶屋に掛けて、二人して、寺の縁起を書いた栞を読んだけれど、由加里の疑問に答えてはくれなかった。境内に、川端の千羽鶴に出てくる茶室があると書いてあった。栞を読んだときには、別に、気にも留めなかった。あとで、塀ごしに、茶室を見付けたときにも、何の変哲もない席に見えたので、そのまま通りすぎたのだけれど、考えてみれば、あれで、以後のすべてが動始めた。丁度、千羽鶴の世界が、風呂敷だとか古茶碗だとかで動出すように。川端など読んでいなければ良かった。
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