船岡山といって、もん君、知っているかしら。京都の家の近くにある、小さな丘のことをいうのです。昔の京都は、羅生門が南、船岡山が北のはずれだったのですよ?さすがのもん君も、そういうことは知らないでしょう。一度、京都を見せてあげたかった。パパは、京都に帰ると、毎日のように、船岡に登りにゆくのです。登るといっても、全然、大した登ではないのです、小さな丘ですから。パパは、船岡から眺める東山ほどの眺は、日本中にないと言って、特に、其処からの比叡山はすばらしいと、私にも、よく見せてくれたのです。私も、大人になってから、パパの言うとおりだと感じるようになりました。京都に帰ると、必ず登りにゆきます。比叡山から如意岳へ掛けての、弧を描いたような稜線は、何処にもない優美さです。見おろせば、大徳寺の金毛閣は、松の梢に朱色も鮮か。もう少し登って、丘のてっぺんまで行く。足下に、西陣の家並がひろがっている。京都市の西の半分が見渡せます。パパは、「京見石」と、勝手に名前を付けた石の上に私を載せて、あそこが何、あそこが何と、指さして教えてくれたものです。今は懐しい!ずーっと向うの、羅生門のあったあたりに、東寺の塔が、小さく小さく見えます。右の方の、比較的近い所に、こんもりした丘が、一二三と、愛嬌良く並んでいるのは、双が丘。うち一番高い、一の丘、それと向いあうように、仁和寺の仁王門と塔。優しい姿で迎えてくれます。パパに対抗して、中学二年生の夏に、「古今の里」と命名した風景です。昼さがりなどに、京見石に立って、伸上って、東の方を見ると、清水寺が、西日を反射して、赤く輝いているのが、はっきり見えます。その、船岡に東屋があって、其処で、私は、パパと、綾尻取をしているときに、ほととぎすを聴いたのですよ。五月の京都は美しい。京都に、美しくない季節はありませんけれど、私は、特に、若葉のころが好きで す。なぜ、あなたと、手を繋いで、船岡山の若葉の下を潜らなかったのでしょう。どうか、坊には見せてあげたい。
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