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己 呂 武 反 而   作者: https://youtube.com/kusegao
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編者注:[おもて] [じ]は、滋子の手書き原稿にあるルビ。(天野)

「お菓子を取ってあげるわね?美味しいって評判なのよ?コーヒーと紅茶、どっちがいいかしら。」


「紅茶を貰えませんか。」


   俯いていた彼女が、かぼそい声を、上目使に絞出す。訛がある。ズーズー弁という訛だろう。


「ええ、此処の紅茶、美味しいわよ?そんなに悪くはないようね。ちょっと疲れたのかしら。おかしな天気だものね、変にあたたかくて。あなたお名前は?わたしは鎌田滋子。」


「はい、あのー、清水です、清水由加里です。すみません。少し気分が悪くなったので。どうもすみません、本当に。迷惑をかけまして。」


   このまま本降になりそうな勢。窓の外の庭の芝生に落ちる雨の音が聞える。

   先客が一組。壁沿に四人いる。三人は、青いブレザーに、赤いネクタイ。もん君の後輩達よ?ブレザーの色が、もん君の時代とは違うけれど。グレーが良かったのに、どうして、あんな色にしちゃったのかしら。それから、そう、最近、校門の上に出来た、妙ちきりんな看板。あれを見たら、あなたも驚くわ?きっと。

   もう一人、中年の、紅毛赭顔の紳士。口髭を生やして、モーパッサンに、良く似た人が座っている。バスに響く、仰々しい、前世紀の英語で、三人に講義をしている、ソネットを朗誦するに際しての心得だと言って。

   講義はすんだらしいわ。三人は、しきりに頷合っている。後輩達は理解できたようよ?彼らの頷を尻目に、食べものの国籍に沿う発音法にて注文。「すみません!コッ・ムッスィュゥとコッ・マダンムを二皿ずつ下さい!」モーパッサンさんが、店員に呼掛けたわ?

   店員は、私達のテーブルに来る途中だった。私は、少し前に、席を離れて、チョコレートムースと、レモンティーを、ふたつずつ注文しにいった。店員は、私達のテーブルに運んでくる途中だった。モーパッサンさんは、呼止めて注文したのね?店員は、目顔で、了解を知らせた。

   店員が、私達のテーブルに来たときに、二十分位したら、タクシーを呼んでくれるように頼んだ。


「由加里ちゃんね?そう呼ぶわね?食べてみて、元気が出るわよ?」


「はい、あのー、わたし、お金が・・・。」


「ええ、気にしなくていいわ?」


   家はどの辺かしら。駅の近辺かしら。傘を持たない。お金も持たない。それで、この近所に、用事があるのかしら。散歩ではなさそうね。人目を気にしなくても良い、この時間だから、この空模様だから、山手に入ってくる気になったのかしら。それなら分る。外出着もないのに、何か、止むを得ない理由で、はなやかな場所を通らなければならないとしたら、誰だって、暗くなるのを待つ。

   由加里は、前に置かれていったお菓子と睨めっ子。時々、私の顔を盗見て、しゃちこばった姿勢は、全然崩そうともしない。

   遠慮を解いてやろう。私から、飲んだり、食べたりして、彼女にも勧める。

   到頭、彼女も、ティーカップを取る。


「由加里ちゃんおすまいは?」


「・・・。」


「今日は大変だったわね?濡れなかった?私も背筋が少し厭な感じ。襟首から入ったのね、今日はマフラーもしないから。由加里ちゃんは大丈夫?寒くない?」


「はい、どうもすみません、今日は。わたし、杉田に住んでいます。」


「そう。今日は用事で?」


「はい。」


「それで、用事はすんだの?それとも、これから?あのね、あとで自動車が来るの。良かったら送ってあげるわよ?」


「もうすみました。有難うございます。」


「それなら良かったわ?大事な用があるのに、引止めてやしないかと思ったの。お菓子も食べてね?」


   モーパッサンさんは、良く通る声。大時代な口調に、つい、耳を傾けてしまう。今度は、音楽の話をして聞かせているようよ?オルフだ、シチェドリンだ、ストラヴィンスキーだと言っている。後輩さん達の声が聞取れない。

   東洋人の子なのに、デミアン、デミアンとモーパッサンさんに呼ばれている子がいる。その子の唇が動く。何か、モーパッサンさんに向って言っている。「Bah!あすこでリストは、まるで場違だ。タッタッタ、タッタッタッタッタッタ、タッタッタ、ター!ふん!」と、サドーニックな笑みを浮かべる。「おお、さてさて、今や乃ち、我等が面[おもて]に餌[じ]のものを施すべき時は至ったぞ!」店員に注文していた軽食が来たので、今度は、さも満足げな笑みに浮べかえて、卓上に迎入れている。「時に、フシェー。その方、今朝の授業中に、ペネロペイアの心内について陳べた説は、実に警抜なものだった。テレマコスに向けて発しられた、女の言葉に、その方が与えたような解を、与えうるものとは、乃公の思及ばぬところだったわい。いや、あれは、至極上出来だった!」褒められたフシェーは、ニキビだらけの顔を真赤に照れて、にやにやしている。みんな、一斉に、むしゃむしゃやりだした。

滋子の手書き原稿に忠実な翻字は以下で

http://db.tt/iLr0s1Ma


目次はこちら

http://db.tt/fsQ61YjO

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