面白かったのは、幕間に、メフィストワルツを弾いているのです。誰か、舞台裏で、グランドピアノを弾いているのです。面白い演出でしたけれど、少し的はずれな感じでした。劇の雰囲気に合いませんでした。後半のオクターブは音を外しすぎたし、これも、懲りたのでしょうか、ゲーテ座では生演奏でしたけれ ど、今日は、アシケナージのレコードを掛けていました。音楽の使いかたは、感心しませんでした。ファウストが、最後の時を迎える場面で、春の祭典を使った のは、オイフォリオンに火の鳥と同じで、変でした。ヘレナとファウストの無言劇がありましたけれど、ショソンの詩曲は、中々合っていました。随所に、カルミナ・ブラーナが流れました。The Seven Deadly Sins が登場するところで、カルミナ・ブラーナの曲は面白くありました。そうそう、うちにもあるドラティ盤だったのが、すぐ分りました。
それから、今日、こっそり、セント・ジョセフの校舎の中とか、校庭とかを見て回りました。本当は、そんなことはしてはいけないのですけれど。もん君が、学生生活を送った場所だ思うと、矢も楯もたまらなく懐しくなって、劇が終ると、講堂から憧出て、食堂を通って、教室の中を覗いたり、実験室の中を覗いたり、チャペルを覗いたり、教室とか実験室は鍵が掛っていて、ドアのガラスごしに覗込むしかありませんでしたけれど、チャペルは、扉を押すと開いたので、 中に入って、暫く、腰掛に掛けて、磔刑になった主を見上げていましたら、悲しくはないのに、涙が溢れて、どうしても、お祈をしなくてはいられない気になっ て、祭壇の前に行って跪きました。そのように、神様の前に、自分を投出すのは久しぶりでした。実は、今ではお祈もしないのです。段に、額をつけて、ただそ うしていました。言葉はありません。何とお祈して良いか分らないのです。でも、そうしていると、とても安らかな、良い気持になるのですけれど、涙は、どんどん出てきて、長いこと、声を押殺していましたら、肩に、誰かが、手を置いたので、私は、我慢していた声を抑切れなくなって、声をあげて泣いてしまいました。今思えば、驚かなかったのが不思議な位ですけれど、そのときは、ちっとも驚きませんでした。多分、川福教会にいるように錯覚したのでしょう。"Child, child." と言う声で、見上げましたら、"Bless you, my child. Let's pray, shall we?"と仰って、それはガーバー神父でした。神父は、私のことを覚えていて下さったかどうか、分りません。でも、全然驚いた顔もなさらずに、本当に、本当に慈悲深い笑みを浮べてお見つめになるので、愈抑切れなくなって、しゃくりあげてよよと、思わず、お手にくちづけをしましたら、"Come, come, dear child." と仰って、髪の毛を撫でて下さってから、“どれ、私も跪こうかな。一緒に祈ってあげよう。”と仰って、主の祈を唱えられましたけれど、"Give us this day our daily bread." の行に差掛ると、少し間を置かれて、"Give to this woman the flesh and the blood." と、確、そうお言換になりました。本当にお立派な方です。あなたが敬愛する理由が、良く分ります。顔を思出されるのが恥かしい気がしましたので、日本語で話して、英語が分らない振をしましたのに、真心をこめて接して下さいました。勝手に入ってきてすみませんでしたと謝りましたら、意味がおわかりになるらしくて、いやいや、よくあることだよ、夕方、一人で入ってきてお祈をしている人はよくいる、この遅い時間は初てだがね、劇を見た帰かなと、にこにこして仰って下さいました。
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