表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
己 呂 武 反 而   作者: https://youtube.com/kusegao
196/197

跋文                                    

編者より:つづく文は、2006年にわたくし天野が筆をとった原稿へ、小林牧師及び滋子の両名が朱を入れた決定稿です。ルビを[ ]の中にして、[まこと]信、[とおる]通、[えきわ]腋窩と、語の前に置く以外は、すべて発表時と同じ。敢えて字句を変えずに載せます。(ルビは原稿から付いています。山括弧へ入れた天野注も原稿から。)やや中ほどに『己呂武反而』『3章』『親愛なる叔父さんへ』とあるのは、

『己呂武反而』 → 目次画面を見ると二段目【第2回 ~ 175回】

『3章』 → 目次の三段目 = ちょっとまた編者のことば【第176回】

『親愛なる叔父さんへ』 → 目次の四段目 = 遺書【第177回 ~ 195回】  のことです。


〔 本書は次のような五部だてです。 美人説 - 己呂武反而 - ちょっとまた編者のことば - 遺書 - 跋文 〕


1982年11月、26日の金曜日 ─ 遺書がタイプされた日付の翌々日 ─ 16時過ぎ ─ 開封して数パラグラフ読んだ小林[まこと]信牧師は、受話器を持ちあげて兄[とおる]通宅を鳴らした。応答がない。通=伶門の父、の勤務する大学を試みた。行き違いに帰ったとの挨拶。通宅のある大森へ、あとを追った

   家政婦が扉をあけた。二階、伶門の部屋に案内され、あたりを眺めながら聞いた:私も今戻りました、旦那様は怪我人に添っていらっしゃいます、と。牧師は留守を任せて病院へ急いだ

   二階は「無残」というのに尽きる。そこいらを[は]這ったのでもあるか、手の跡足跡がべたべたとつき、血のにおい、汗のにおい、息のにおい、揮発する薬品類、暖房機の産する熱、 ・・・・・・ ムッとさせる温気が[こも]籠る。窓際へ置いた机に、[ふた]蓋のとれた消毒用アルコールがころがり、縫い針が七八本、鈍い光を放って血だまりの底に固着しつつあった

   ベッドがすごい。あれもこれも血まみれ。したがって、そうと見なければ見えないほどに鮮明を欠く。が、目をこらすなら、シーツ上に何かの輪郭が認められる。人の半身をなす紋様だ。布地が肌に触れていた面積だけくりぬいたみたいに白く、触れていなかった部分が赤く染まった。右半身なのか、左半身なのか、判別こそしかねる。腕、[えきわ]腋窩以下、脇腹、腰へ掛けての、確かにその者の印影だ。ベッドにも一本、黒糸をとおした針が落ちていた

   病院の通路で兄に袖を引かれたおり、甥は集中治療室で眠っていた。18時ごろだ。16時には運ばれたのに、寝て十五分たらず。来てすぐが慌ただしかった。消毒するのに使うアルコール(=エタノール)と一緒に、睡眠薬を飲んだため、胃を洗うハメになったらしい。胃の洗浄がすんでも寝かせてもらえないで、長いあいだ看護婦あいてに話をさせられた

   命にさわりはなかった。翌朝帰された。その日のうちに神奈川の大学病院へ再入院、二日待って脚を切った。 〈天野注、悪性肉腫のこと。手術については序章『美人説』で述べた〉

   退院後、リハビリテーションを始めた。六日めだった。1982年12月19日、御殿場の療養所で[いし]縊死した。伶門二十一才の冬だ

   わたくしは花束を手に教会の仲間をつれて、黙然と車椅子に乗った彼を大学病院に慰問した。初老の婦人が世話を焼いていた。例の家政婦、高野さんだった。正直に書くと、伶門を含めて皆、不愉快をした、というわけは、しょうがなく花を生けさせるが如き彼は、うわべを繕わなかった。ふたたび自殺を考えていたせいか。高野さんの話じゃ、牧師が応接拒否にされ、[とおる]通の外に訪れる友人とてない。変だったのはしかし、滋子が現れない。連絡を寄越さないのだそうな

   伶門の自殺失敗を、高野さんはしゃべらなかった。われわれ教会の人間は、時がたって、そんな噂のささやかれているのを耳にしたのに過ぎない。それさえ、ただ薬を飲んだとやらで、ほんとうはどうだった ─ まして大森二階のあの惨状 ─ は、なんぴととして推しはかるべくもなかった。(死ぬのに成功したあとは、[信仰者]兄弟を偲ぶ会が催された)

   さて、第3章で述べたように、滋子の願いは、こうだ。『己呂武反而』『親愛なる叔父さんへ』とともに、二十四年前の件を文字にして、ひとつにまとめて欲しい。

   ではそうして終わろう。なお、描写のおおかたは、今年2006年3月12日、小林牧師を訪ねた晩、師が証言するのをテープレコーダに収めた録音に拠る。また(本日8月13日づけで)これは週半ばの手続きだと思う、わたくしが仕上げたら、原稿を小林牧師に送り、必要に応じて訂正の筆を入れてもらう。しまいに滋子のもとへ転送のうえ、随意に削除・加筆させる段取りだ。京都より戻って来る文をもってこの『跋文』の決定稿としたい



自殺未遂があった数時間ののち、病院の廊下で甥の容体を知った牧師は、甚だ奇異の感に打たれた。彼は薬を服用したと云う。外傷がないので

   では、あの部屋で目にしたものをどう理解するか。発見された伶門は、顔と云わず手と云わず衣服の裾に至るまで血みどろだった。駆けつけた救急隊員も慌てた。考えられる事はひとつ;自殺を企てた男が倒れている;部屋に、彼のでない血痕が[おびただ]夥しく残されている。ところで、負傷者が見えない。家には家政婦(の高野さん)一人である。救急車を呼んだのも彼女でない。ずっと一階の控室に居て、二階で進行していた事態に気が付かなかった。サイレンを鳴らした車が門前に止まったのに驚いて出て来たくらいだ

   被害者、と速断しないにせよ、負傷者、は、どこか。誰か。また、119番したのは。謎は謎として伶門が病院へ運ばれた

   運ばれる車内、プロトコールにそって胃の物を出させる処置がとられた

   病院へ到着後も、処置は続けられた

   昼食に食べた物が滞留していたので軽症だった

   さらに今の場合、薬の化学作用よりは、自殺へと駆った精神上への一打が比重を占めており、[こんすい]昏睡しているので無くて、卒倒しているのだった。事実、昔の睡眠薬と最新式の睡眠薬とで違う点は、量を誤って死ぬこともないらしい

   出した物の中に、[か]噛み砕かれた白い錠剤が沈澱していた。救急部隊が二階部屋より持ち帰った薬袋、に、入れてあった錠剤だろうか。が、念の為と分析へ回された。結果は、父・叔父ともに聞いて思わず聞きあらためる分析内容だった

   嘔吐物に血がまざっていた。まざったのは患者の血でなかった。エタノールの刺激で胃粘膜がやられたのでも、出血したのでも無い。説明によれば、飲みくだしたままの状態で一片の肉が出たが、他の、消化が終わって十二指腸へ向かう流動物とは異質なその肉の切れ端は、なま肉で、それへ[にじ]滲んだ血液と同じのが、胃に入っていたのだと考えざるを得ない。[うすひらたけ]薄平茸の黒ずんだようにも見えるそれは人の肉だった

   直ちに警察へ知らせが行った

   怪我人に相当な失血があったろう。余程の傷だ

   肉片はそぎとられたので無い。刃物で割いたのと別の割き方である

   喰い千切られたのだ。執拗に噛みつかれ、咬み咬まれ、噛み切られていた。噛んだ歯が鮮やかな跡をとどめている。犬歯で突き通した穴が判った

   大学の研究室を出るなり飛んで来た[とおる]通は、息子の部屋がどんな風か、弟が教えるまで想像せずにいた。服毒自殺を図ったと云う、家政婦の急報だ。集中治療室に入った息子に会ってもいない。血を浴びた姿など慮外の事だった。(妙な話で、高野さんが主人に言わなかったらしい。)ただ弟牧師のみ、何が行われたのか、察しはじめていた。兄を病院に残して、犯行のあった家に取ってかえした

   一足先について待機していた警察官らを案内した。屋内屋外、調べるだけ調べさせて、預からせてくれるかという証拠的品々は言うとおりにさせた。つまりが任意というやつだ。被害にあった者がいず、届け出すらない。高野さんが聴き取りに応じた。なんと言われようと知らぬものは知らぬ。当日は11時過ぎの出勤で、お昼の準備に掛かり、12時丁度に食堂へ下りて来た伶門に給仕した。後片付けして13時前に私用で出掛けたが、15時過ぎに戻った。異状の有ろう筈が無い。16時になったら掃除、掃除の次は夕飯の支度;時間になるまで控室で横になっていた。そこへ救急車が来た。門前で止まるゆえ、はてと廊下に出ると、玄関の扉が開け放たれ、門が開いている。隊員にサイレンの趣旨を告げられて[たまげ]魂消た。....... 毒を飲んだ人はどこか、と。....... ひとり伶門が二階で倒れていた

   夜、牧師は不吉な或る怪しからない予感に苛まれて、鎌田邸へ足を向けた

   夫妻が遅い遅い食事を楽しんでいた

   ちょっと近くへ参ったので立ち寄った。ごまかす牧師を引きとめた鎌田氏が、応接室に請じ入れた。夫人が飲みものを出してき、三人で談話した。夜分急な来訪を不審がる面持ちだった氏も、人をそらさない例の好人物らしく、数分とおかず磊落な笑い声を邸内に響かせていた。夫人曰く、娘が帰るのを待っていたのだけれど、今しがた電話で遅くなると云うものだから、ひさしぶりで老夫婦さしむかいの夕飯になった、こうして先生が訪ねてくださるのは会話がはずみますわ、と。牧師は速やかに辞去した。ほとほと目も眩むようだった。1982年11月26日、金曜日、22時乃至23時時分だ

   不吉な予感があたった。日曜日の礼拝式を鎌田家の三人が欠席した

   その、三人を欠いた日曜日と云うと、礼拝式に続く連絡事項の部で、来たる二日後の火曜日に、兄弟伶門が手術を受けるべき告知を聞いた。けれども何の目的で手術するのであるか、どういった種類の疾患を除くのであるか、肝腎な点は示されなかった。傷害および自殺未遂が伏せられた次第は、以下書くとおり。(予めここで弁護しようと思う。牧師は甥を[かば]庇ったわけでない。まず誰がやっても同じで、罪の性質上、相手の世間体を念頭において処したろう。滋子がどこでどうしているのかも定かでないのに闇雲に動いて全部がおおっぴらになる ─ そうしたミスを防いだのだ)

   翌月曜日、29日の朝、牧師宅に鎌田氏の姿があった。もうこの時の[しゅうたろう]脩太郎は違った。常に見慣れた、古稀を祝って尚精悍な面構えの男でない。疲労の色が濃く滲む老人の顔だ。....... 娘が入院した。あるいは先生も御存じか知れない。先週、伶門君の部屋で負傷したのである。娘に家内に、両方から厳しく言われているので、どこの病院でどのような手当てをされているのか、明かせない。母親は子に付きっきりだ。そこへ昨日、警察署の人が面会を求めてきた。娘と家内と婦人警官二人、四人で話し合いをした。しまいに一つの方針を得た:娘は伶門君の所で傷を負った;娘の傷はそれだけだ;事件性は無い;したがって滋子が被害届けを出さない限り、警察は介入を控える、と。娘は自ら怪我したと言い張っている。警察はおろか、私が真に受けるものか。娘の気持ちをくんでやるのだ!....... と、牧師の前を憚らないで七十翁が声をあげて泣く

   ....... 我々夫婦がいかなる思いで、いかばかり大事にあの子を守ってきたか、先生は知っていなさろう。歳をとって授かった一人娘、それはそれは撫でるようにして育てたたったひとつの宝だ。親は馬鹿者でいつだって甘い顔をしているけれども、あの子は[しゅ]主のお導きで拗けた所がこれっぽっちも無い;先生も認めて下さりはしまいか、どこなりと出て恥ずかしくない娘になってくれた。若い日の家内に似て、我が子ながら本当に器量の良い娘だと思っている。本当に、あれくらいのはそう滅多に無いと信ずるが如何か。そう云う子を持って内心どれほど自慢だったか。子福者を羨みはしなかった

   やりきれないのが家内の落胆だ。泣いてばかりいる。その母親を、娘が手を取って慰めている!家内は見たと言っておる。見て立っていられなかった。場に[くずお]頽れて、あとは物も食べられずにいる。娘はあの晩、先生が見えた晩だが、12時が過ぎても戻らぬ。何ぞあったのではと気を揉んでいる所へ、二度目の電話が掛かった。....... ママには済まないけれど急いでこれこれの医院に来て欲しい。怪我して応急処置を受けている。お医者は大きな病院で行き届いた治療をしなくてはいけない、少しでも早いほうがいい、とそう言っているから、今夜中に移って明日一番に診てもらう積もりで、手配して貰っている。遅くでママには悪いのだけれど書類のことだとか支払いのことだとかで頼みたいから、なるべく早く来て欲しい。保険証を持っていないし、タクシーで移るんだけれど、そのお金もない。....... と電話越しにそう言うらしい。家内は取り乱して「怪我?何の怪我?滋子ちゃん、あんたどうしたの!」と騒ぎだす。つづいて私が出たが、娘が云うのに「パパ、安心して頂戴。あたしお医者さんの待合室にいるんだけれどママに来て欲しい。パパには話しにくいことだから是非ママに来て呉れるように言って。本当に済まないけれどパパには来て欲しくない、これだけはお願い。」力のない声で言うではないか。明け方、病院を変わって疲れて眠っている子の寝巻を、家内がそっと返した。以来あれは泣きどおしなのだ

   わかるか。それでも娘は明るく振るまって、私の前で笑っている。こんなむごい話があるか。あの子は人一倍信仰心が強い。沢山奉仕してきた。教会の兄弟姉妹に愛されている。なぜあの子が。いいか、我々は伶門君を祝福した。主に娘の婚約を感謝した。子を手放す淋しさは無い。遠くへやるので無い、近所に住む家だって決めてある。結婚を待ち遠にしていたのですぞ。はやく孫を抱きたい。楽しみにしていた

   その望みは捨てよというのか。我々の血が絶える。わかるでしょう。残念さ無念さは日を追うごとに増すだろう。消えはしまい。だがそれはまだいい。所詮老いぼれ夫婦の嘆きだ。娘の未来はどうなる。これが夢であってくれ、どうか現実で無いようにしてくれと、あんな呪いが来ようとは、滋子に降りかかったとは、どうしても飲みこめないでいる。嘘でも譬え話でも無く、のみこめないでいる。何かに化かされている気がしてならない

   あんな事があっていいものか、よりによってあんな事が。先生もお嬢さんをお持ちなら私が狂いたくなる理由がお分かりでしょう。わかるに決まっている。私は気が違ってしまうぞ。だって先生、なんぼ何でもあっていい事とあってはならない事があるでしょう。無疵のまま神に捧げよう、との一心で今日まで養育した娘だ。あんな取りかえしの付かない身になって、どうせいと云うのだ。あっていい道理が無い。世にあれ以上の仕打ちを知る女がいたか。そのような辱めにあった女が、娘が、私の娘が、どう生きてゆけと。あの男は憑かれている。愛しておったのではないのか、命よりもとうとかったのでは。サタンだ。サタンに憑かれているのだ。むごい、あまりにむごい。滋子が哀れではないか。これが夢であったら、お願いだ、これが悪夢であってくれ、先生、何とかして、滋子が、ああ

   安心なさい。あの男を訴えない。さっきも言うように娘は自身で怪我したと主張しておる。それに誰にも見せようとしない。母親にも見せない。家内に見られたと思わぬのだ。大した傷で無いような芝居をして納得させようとしている。「両親には隠しておいて下さい」と、あの子は医者と看護婦に口止めした。と、そうあとから看護婦が教えてくれた。我々は真実を知らない振りをしている始末だ。医者も困っている、と云うのが、傷を写真に撮らせない。何としても承知しない。それどころか婦人警官を前にしてさえ、認めまいと。....... 自分は被害者で無い。これは事件で無い。御心配を掛けて申し訳なかったけれども、どうか構わないで貰いたい。.......

   しかし向こうで注意するのに(ここで家内に席を外させて)....... なるほどお気持ちは無理もないが、それでは却って嫌疑の生じる憂えがある。実はあの日彼が吐いた中に、[あなた]貴女の怪我にかかわる物が含まれています。今そのかかわりを否定すれば、自然、傷を負った人は別の女性を意味しよう。そういう別人はないと信じるが、抜かりがないためには彼の話をも聞かねばなるまい。しかもその供述如何では、折角の御心積もりに反して、厄介な事になりかねない:手術を受ける彼にとり、そうしてほかならぬ貴女にとり。テレビ、週刊誌は、世間が喜ぶと思えば何でも書きます、何でも写真にします。言論の自由の、知る権利のと、それをあばかれる方には気遣いがない。今日お邪魔するのも、ただ貴女の名誉を守りたいだけなのです。[おおよそ]大凡の推理を組み立てています。傷はこうして出来た、いや、きっとそれに間違いないと云う推理です。貴女は肯定してくれたらよい。そうでなければ否定してください、推理の仕方を変えましょう。我々の推理とはこうです

   貴女[かまだしげこ]鎌田滋子は昭和57年11月26日の金曜日、午後1時30分頃、大森の[こばやしとおる]小林通宅を訪問しようとしていた。大きな手術を控えた婚約者小林[れいもん]伶門を見舞う予定でだった。その日、貴女は、安定しない、高いヒールの靴を穿いていた。小林宅の門を入った所で、不注意から、段を踏みはずし、転倒した。そのときに、小さな植木鉢を踏みつけた。悪いことに、毀れて、破片が、貴女の左肘に食込んだ。貴女は、植木鉢が刺さって、負傷した。貴女は、ベルを押し、伶門に、家に入れてもらった。伶門は、貴女の出血に驚き、応急手当を施そうと、貴女を、二階の、彼の部屋に連れて上った。ここまで合っていますね?(娘は頷いた。)傷は、思ったよりも、案外深く、出血がひどくなった。止血して消毒せねばならぬが、折悪しく家政婦が外出中で、救急箱の在り[か]処が分からない。伶門は、唾液が持つ滅菌的効果に期待したのだろう、傷口を吸った。そのときに、貴女の肘の、薄い肉が取れた。彼は、気が動転していたからか、飲んでしまった。貴女は血の勢いがいよいよ激しいのを見て、糸と縫い針を求めた。彼はそれらを探し出し、洗面所でエタノールを見つけた。彼は、傷口を、エタノールで消毒しながら縫ってくれた。違っている所があったら言って下さい。(娘は黙って聞いていた。)貴女は、手当を受けるあいだに失神した。ところで、伶門は自身の手術を考えると滅入る毎日が続いていた。血を見た衝撃が、咄嗟の自殺を思いつかせた。彼は睡眠薬を飲みエタノールを[あお]呷った。暫くして、我にかえった貴女は、床に倒れている彼を見つけ、119番を回した。負傷した貴女が、側にいてはと、救急車が来る前に、タクシーで抜出した。

   いかがです。今のが正しければ、ここは我々の出る幕でない。調書を作ることでなく、貴女のカルテを見せてもらうことでもありません。このまま失礼しましょう。主治医の先生には挨拶せずに行きますから、ひとつ、貴女から、宜しく仰ってください。もちろん、と云ってこれは仮の場合ですが、今の説明に重大な記憶違いがあると心付いて、それも我々が警察権を行使すべき記憶違いの類でしたら、気兼ねなく知らせて下さい。その時は、今日のお話を忘れます:仮定のもとにしたのであると。そう云う訳で、万が一すべてが記憶違いだったとしても問題はありません。正直のところ、二人は貴女に同情する者です。同じ女として憤懣を禁じえない。正義が見たい。けれども挙句のはてが、貴女はもっと大きな災難に遭うかも知れない。まったく、二度とあってはならない事です。ないように祈るばかりです。.......

   いいですか先生(と鎌田氏が牧師に云った)警察ででっちあげた物語を、親の我々が本当にしていると、滋子は思っている。思っているのだと、そう信じさせようとしている。怪我について喋らせまいとしておる。断腸の思いで惚け笑顔を作っている我々だ。大した事故でなくて良かった、あんまり心配させてくれるな滋子、と、そういった言葉だけしか掛けてやれない。私は娘の顔を見るのが恐ろしい

   警察にも慎重を期するように勧められた。言うとおりだ。どうしたところで元には戻らぬ。それこそ事故に遭ったと諦めるより方法がない。騒ぎたてて好奇の目に曝されるぶん、傷が深まる。損害賠償を求めるならそれも止むを得まい。私は金などいらぬ。娘を守ってやるのが私のつとめだ。娘の心を慰めてやる、癒してやる、その為に何だってする覚悟だ。自分を殺しもする。信者となって今度ほど試された事があったか。本当は、正直に云ってしまって良ければ、あの男の頭を斧で叩き割ってやりたい。この手できゃつの右脚を鋸引きにしてやりたい。だが引き下がるのだ。間違えないで欲しい;許すのではない。これが許せるか。自分を殺すのだ。娘の為に死ぬのだ

   先生、このあいだの金曜の晩だが、あれはわけもなく見えたのではないでしょう。何もかも知っていたのですねえ。それを前提に打ち明けている。警察が来た話など、絶対にしてはならないと家内に言われている。お願いだ、貴方も包み隠さずに云って下さい。娘の為を考えてやる要がある。.......

   牧師はありのままを云った。....... 滋子さんがお怪我なさったと知っているのは兄の通と、自分と、それと伶門と、この三人のほかに無いと思う。現場が現場だけに、警察に見てもらったが、委細は家政婦にも話してない。家政婦は伶門の血だと思っている。あの晩自分と兄とで相談した:傷を負わせたのがどなたであるとも確定しないのに、御本人に計りもしないで表沙汰にすべきで無い;今少し様子が判るまで待とう、と。.......

   鎌田氏が言った。....... では、以後も[そと]外に漏れないようにしたい。目下これが至上命令である。あとの諸々は第二義的で差しつかえない。伶門君が救急搬送された自殺未遂も、怪我との関聯上、伏せて貰おう。事故について些かも知られぬよう、講じられる限りの方策を講じてくれ。あなた方が我々家族になしうる、せめてもの償いと心得てほしい。その代わり告訴もしないし賠償も求めない。我々は本日を以て教会を離れる。心ならずも挨拶せずに去るが、兄弟姉妹へは貴方が適当に考えて下さるがよい。但し二人の婚約だが、これは伶門君病気の為、小林家の申し入れで解消になったと云う風にしよう。そう云っても私は貴方を信用するし、お力に頼らなくてはならない。電話で打ち合わせる急用等も出来るかと思う。お兄さんと伶門君には会うまい。.......

   こうして、事が秘密にされた。伶門は車椅子の人になり、と同時に教会では滋子を見ないようになった。みなは、解消された婚約と、鎌田家の京都移住、この二つのみを壇上の牧師より告げられた。我々はそれだけで心が痛んだ。伶門の難病と手術、婚約破棄、やがて絶たれる彼の生命、と、打ち重なる不幸に見舞われた滋子の上を詮索する者もなく、ながく秘密が保たれたのは、キリスト者の節度と云うべきか

   鎌田家が京都へ移ったのは嘘でなく本当だった。老齢にあった脩太郎は大徳寺の生家=現在滋子が住む家、に退いて、じきホテル経営もやめた。ひとり滋子が横浜に残った。1982年の末、誰に知られるでもなく山手の「新居」で暮らし始めた。伶門との新しい日常に入るはずの「新居」だった。脩太郎が娘の婚約を喜んで、山手に見つけた古い家屋に手を入れて持たしたのである。わたくしがバインダーを探しに行って、Yさんに余計なお世話になった、例の家に外ならないけれども、その山手と云えば、一昨々日の木曜日、と云うのが8月の10日、本書を校正してくれている文学中年の友人C君が「なほみさん、知らなかったんですか」と指摘してくれるのに、嘗て、あの小学校の裏には近代日本屈指の[(散文で書く)長編フィクション作家]ノヴェリスト ・・・・・・ と云ったところで、明治以降十人と輩出しないノヴェリストですから、世界的に見ればどうか分かりませんがね、とそのC君は云う。ちなみに、彼の論だと、十人もないノヴェリストの中に、フランス語を国語にと提唱したとか云う、神様S・N哉は含まない、若し強引に含めるとしたら日本の[(散文で書く)長編フィクション]ノヴェルはグローバル・スタンダードに照らして五流以下となる、まあ、五流を以て神様だなど持て囃したんだから、この国に碌な散文芸術が無いのも当たり前かも知れない、と愚痴をこぼしたくなる日本に生まれて、彼なぞは珍しくノヴェルらしいノヴェルを書いた人ですよ、とC君も褒めるそのジャパニーズ・ノヴェリストが、嘗て「北方」小学校の裏に住んだそうな。大震災前の、まだ山手が[いこくびと]異国人の丘で、立ち並ぶ西洋[やかた]館や、青い目をした婦人が乳母車を押すシーンは、丘の上が日本であるよりはヨーロッパかアメリカの気分を醸している、と思いこんでいたらしい大正の頃おい、宵闇がせまる刻限になると、乱杙歯でちんちんくりんな一人の東洋男が、ドレッス・シューズに夜会服、蝶ネクタイという出でたちで、やれダンス・ホールだコクテール・パーティーだと、西洋人の集いに顔を出して歩く姿を見かけた。歯の浮くようなハイカラ振りに身を窶していた時代、サザメユキの稿を起こす二十年も前の話なのであったが


挿絵(By みてみん)



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ