あとは貴方も知っています。〈天野注。二段落前の末尾にある十一月は1981年の十一月。翌月12月14日、伶門父方の祖母が亡くなった。小林牧師の実母である。18日夕刻、教会で追悼式が執り行われた。わたくしも出席していた。宗教を嫌った伶門は、それ以前、叔父の教会を訪れた事が無かった。鎌田家の人々は、教会が川崎に移される前からの信者。伶門と滋子はこの追悼式で再会したのであるらしい。翌年伶門は教会員になり、5月30日、婚約発表。同日、叔父の手で洗礼を授けられた〉
僕が知らなかった事は、僕はクリスチャンで無かった;紙芝居をして公園の子供たちにイエスがどんなに素晴らしくて優しいかを言って聞かせている時でさえ、です。僕がこの事実に気づいたのは滋子との交際を通してでした。彼女は世界が六日間で創られたと信じていました。信じている振りなどしていませんでした。僕は振りをしたと思います。彼女はルカ伝23:39-43にひどく感動を覚えるのでした。でもマルコ伝15:27-32を読んだ事が無いと云うのではありませんでした。僕たち二人が祈るとき、彼女は僕の手を握って彼女だけの言葉を話しました。彼女はそうではないと云いました。僕は使徒行伝の第二章やマルコの最終章をまだ読まないのか?彼女が話していること、は、彼女が話しているのでは全然ない;それは[せいれい]聖霊が天の父と[みこ]御子とを賛美しているのである。そして彼女が賛美している時は!目は閉じ手は半ばまで上げられ、彼女が神を讃えるその姿は!その非現実の美を数分間目撃する為なら、僕は小児のようになる用意がありました。苟モ小児ノ如カラズンバ以テ滋子ヲ仰視スル無ケン、敢ヘテ小児タラザランヤ!僕は信じたかった。ついに僕は信じていると信ずる事に成功しました。
僕はずっと欲しくて仕方がなかったものを、漸く手に入れたのでした。父に六色のペンを貰って以来、ずっと欲しくて仕方がなかった、あの完全な何かを。それを手に入れた暁には、僕はその万古不易・金剛不壊の巌の上に魂の神殿をしっかと建て、雨降り、流れ[みなぎ]漲り、風吹いて倒れず、何人の侵入をも許さぬ心の桃源郷に憩う筈でした。滋子に初めて会った時分、其の[ひづめ]蹄に[さび]錆を見付けた、人知と云う名の黄金の子牛を、神に祭り上げる事が出来そうも無いと悟った僕は、自殺する手前の崖っぷちに立っていました。いったい僕は真の憩いを知り得るだろうか?僕の魂に安息の場所はあるのか?
あるのでした。全ては公案の一種に過ぎなかった。
僕は滋子と共にイエスの為の愚か者になれば良い。全く、一生を愚か者で過ごす程の幸福は無い。知識が力だなどは根拠の無いざれごとだった。僕を不幸にする力だけしか持たなかった。滋子と手を握ってお祈りする幸福を知った今、知識など無価値でした。ソクラテスが幸福だったでしょうか?ニュートンが幸福だったでしょうか?僕が神様と崇めていた数学は(少なくとも、僕が信仰していた種類の数学で、今日一般に行われている数学は)神様で無い;数学を住まわせる神殿=理性は(少なくとも、人間の理性は)欠陥住宅である;この事を我々の為に初めて証拠立てて呉れた賢人は、発狂して自ら餓死したと聞きます。僕自身の事を述べれば、知識を得れば得るほど渇望も大きくなり、その渇望を満たす事が以前にも増して困難なのに焦燥し、結局、後の状態が前よりも酷いのです。僕の巌は僕の愚かさです。イエスを仰ぎ見る滋子を仰ぎ見る己の愚かさです。滋子を僕のものにする事が出来るのなら1+1が11であろうと111であろうと構いません。僕の愚かさを完全にすれば良いのです。
遺書はつづきます。[編者]
伶門のタイプライタ原稿に忠実な翻字は以下で
https://db.tt/mcKCVKog