それでも僕は努めて滋子の面影を追い払いました。どうして彼女の顔を獣の餌食にできましょう:貴方が、ラファエロを彷彿させると思わないかと、いつだったか彼女の奏でる礼拝堂のピアノを貴方と僕とで聴いていた日曜の午後、僕にそのように言われたその顔を。マツバラ女史の教室で彼女の視線が初めて僕に向けられた刹那、その女性の顔を見た時、僕の脳裏を過った映像は、正に画集で見ていた、無限に柔らかくてたおやかな表情 ─ 慈しみに満ちた表情 ─ を湛えながら、仮にも我が抱くものに危害を加えさせじと、目には見られぬ力どもに向かって目を瞠る、無限に強い顔でした。そうです、あの呪わるべき夜、僕は一方では滋子を意識の外に逃がすことに努めつつ、他方では己が精神を生贄に、己が肉体を餌食に、獣の貪婪をしずめたのです。
僕は自分自身に言いました。これは断じて世間一般の場合と同じでは無い。証拠に今僕は、思考の中から不純な想念を追放している。ただ極度に苛立っているだけなのだ。今日は余りの緊張の為に神経を破壊された。この行為は興奮し錯乱した精神を安んじる目的で行うのだ。止むを得ない行為だ。もし敢えて覚醒中に捌け口を与えてやらなければ、その時こそ例の魔婦の手に落ちない限りではない。そうなれば、自由意志に麻酔をかけられた状態で悪むべき泥沼に引きずり込まれるのだ。純粋に精神の安定作用を目的とした、生理上の処置として行う場合と、世間一般の場合とを、同日に論ずべきで無い。
僕は一晩中発作の波に襲われました。体内に埋め込まれた鉛が鈍く疼いて居たたまれなくなる。邪念を払って疼きを断つ。開放と自己嫌悪とが相半ばする中で浅い眠りに落ちる。彼女の夢で目が覚める。ぶりかえしてきた疼きにまた悩まされる。 ・ ・ ・ カーテンの隙間より光が差し込んで来る時刻、心身ともに困憊して最後にもう一度ベッドに体を投げ出したのが、覚えている最後です。
親愛なる叔父さん、僕が以後七日間をどのように過ごしたか想像してくださるべきです。水曜日が来ればまた彼女と同じ部屋に居るのです。行くべきか。欠席すべきか。行ってあの目に見つめられれば支離滅裂に陥ることは請け合いです。マツバラ女史の冷やかすような目付きは別の意味で僕を困らせるでしょう。行かないとなればどうか。今度の回を欠席すれば、その次も欠席しないのは不合理です。なぜなら一週間後も何ら状況は変わらないのですから。そうなると、確実に彼女に会える授業、それはもうありません。(『喜びの島』を勉強する三回が終了すれば、次からは新しい課題曲 ─ 前日逃げ出す間際、二楽章からなるベートーベンの嬰ヘ長調ソナタとスクリャービン作品8より第二番目の小品の譜面を渡されましたが ─ それらを新しい仲間と勉強する、この事を再度述べさせて下さい。自然、曜日も時間帯も再編成されます。)そうしてみれば、行かないという選択肢はありません。僕は彼女を狂うように恋していたのです。
あるいは、僕は狂いつつあったのです。期待、恐怖、絶望、困惑、期待、恐怖、期待、絶望、困惑、が、僕の頭をごしゃごしゃにしました。夜が来るのを恐れました。もっと正確には、自分の部屋で一人になる事を恐れました。今となっては再び獣を檻にこめるすべはありません。精々僕にできる事は、部屋にいる時間を最小にする事です。日中彼女の面影を慕って彷徨する。博物館に入ったり、皇居の回りを歩いたり、当ても無く電車に乗ったり。夜が来れば眠らぬ夜を明かしに厭わしい部屋に帰り、鍵を掛け、彼女の幻影に怯えながら、自分の立てる物音に普通でない注意を凝らすのです。こんな夜を七たびも迎え得るものでしょうか?
遺書はつづきます。[編者]
伶門のタイプライタ原稿に忠実な翻字は以下で
https://db.tt/mcKCVKog