僕は魔婦との交合を酷く恥じました。潜在意識にはあのような獣的欲求が隠れていたのです。ひょっとして僕は何か不明瞭にしているかも知れません。大学に入るまでその夢を見なかったのではありません。一二度は幼い時分に、そして三四度は思春期に入ってからと、同じ夢を見た事がありました。言い換えれば、合わせて十回ほど魔婦と交合したことになります。従って、夢が僕の欲望の現れで無いとは考えられません。ただ、大学に入って初めて、その為に射精したのです。
僕を更に苦しめた事は、夢精があった後の二三日間は“本物”の射精衝動、つまりライターの助けで絶った欲求が、俄に高まるのでした。云いましたように、夢精が起こるのは決まって疲労の溜まった状態で就眠する時でしたから、疲れる事を避けて短い昼寝を取る習慣を付けました。授業と授業の合間に寮へ戻って、十五分か二十分、横になるのです。これは単純ながら効果的な対処法でした。五回目の射精は無かったと思います。
僕は自分の中に潜む悪を正当化する積もりは毛頭ありません。夢は貴方以外には話せない事柄です。それを一方では認めながら、睡眠中の現象である夢精は、意志の力の及びにくい種類の生理現象だと、一方では考えるのです。少なくとも、この特定の夢の中で起こった事を、僕の意志で阻止することは不可能でした。意志の範囲内の事、それは克服し、克服し続けました。一度ライターの威力を知った者にとって、射精の欲求は意志の力で抑えられる種類のものでした。“本物”の射精衝動には二度と屈しませんでした。じきに魔婦も諦めたのでしょう、大学で二年目を迎える前には、あの、僕の知力を奪う現象、脳髄を麻痺させる痙攣的生理現象に、完全に勝利したのです。“お前が何を云おうとね、ジャン、僕はしないんだ。”ここにおいて、軽井沢以来四年と三ヵ月、僕が作り上げて来た真実は、事実になりました。勿論、僕は聖なる男ではありません。イエスは僕に姦淫した責任を負わせるでしょう。僕は[えんじん]閹人ではありません。そうであろうとしたに過ぎません。そうして殆ど成功しました。
もはや知識の集積に意味を見出す事が出来なくなり、去年の一月、日本に帰って来ました。殆ど世の中との交わりを断ち、日がな一日、自室に籠もってワーグナーを聴いたり、詩を読んだりして暮らしました。新約聖書も読みました。一読パウロは取るにたらぬ男でした。キリスト教会は、僕の神が住まう神殿で無かった。
遺書はつづきます。[編者]
伶門のタイプライタ原稿に忠実な翻字は以下で
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