僕はその感じを大いに嫌いました。苦痛の新種でした。それ以上に、それは汚かった。僕の着衣を汚しました。それは酷い臭いでした。二度としないと決めました。僕はそれを次の日にしていました。その衝動は圧倒的でした。それをし終えるまで思考する事が出来なかった。それをし終えるまで死んだ状態でいなければなりませんでした。
それは恰も痛む歯があった事に今気付いて、その苦痛を取り除く簡単な方法はそれを抜いてしまう事、そのようなものでした。ちょうど歯痛の気になり出した人が居ても立ってもいられないように、あの下腹部の異様な疼きが気になり出した僕は居ても立ってもいられなかった。痛くて血まみれになる療法だろうと悪い歯を抜いてすっきりしてしまえ!痙攣的でグジャグジャな仕事だろうとお前の知性を人質に取っているものを殺してしまえ!しかし、帰宅した人質が今は僕を軽蔑していると、僕は知っていました。それはサイコウで無かった。
ある日の倫理の時間で、自慰が熱を帯びた討論の主題になりました。“自慰は是か非か?慎む事は美徳か?”先生が仕切る中、多くの者の目は血走っていました。ジャンを始め過半の者が是も非も無いと主張しました。食事や睡眠や排泄に道徳が関わるか、同じく生理的要求に従って行う自慰に道徳が関わるか。非難する者はそれが快楽を求める行為だと云う点を根拠に非難しがちだけれども、それならバッハを聴く事も非難すべきだ。中には非とする者もいました。食事とは明らかに違うでは無いか、“性的飢餓”で死んだ者がいるか。確かにバッハの音楽は快楽を[もたら]齎すけれども、同時に魂を高める作用がある。この発言をした生徒は勇敢でした、と云うのは、当然次の反論が期待されたから。“では君が自慰する時は魂を高める目的でする、言い換えれば、魂を高める効果が期待出来ない場合は慎む、そう云う事か?”いや、そう云う事では無い、が彼の返答でした。自慰した時、彼は魂が打ちのめされた気分になり、罪悪感を覚える、であればこそ自慰が悪だと主張した、と。彼はクリスチャンでした。
僕は黙っていました。彼らは何かしら僕と無関係な人間活動に就いて話し合っていたのです。今論議されている“自慰”は定義上“心地よく”あり“自由意志による”のでした。誰もそれを疑っている様子はありませんでした。生物の教科書に書いてあった事に照らしても、自慰は心地よくて自由意志によるのでした。
信じがたい事に、クラスメートのある者は、よく、昼食後とか部活動の始まる前など、少ない時間を遣り繰りして彼らの雑誌をカバンに忍ばせ便所へ行き、300秒後に輝く顔で出て来るのでした。彼らは一日分の充実を味わったのでした。それは丁度僕にとって、腐った食べ物を自分から詰め込んで気分を悪くしておきながら、喉に指を入れてその後に起こる事をサイコウに楽しんで、心身共に生き返る、と云う程に不可解な事でした。
また喫煙をも僕はしません。タバコが好きになれません。正直の所が、あれを好む人がいるとは信じにくい。しかし、僕は敢えてそれを信じましょう。あれをサイコウと思う人がいる事をさえ信じます。仮に僕が喫煙を強制されるなら多分サイコウとは思わないでしょう。僕は喫煙者達とは作りが違っているのです。
僕はクラスメート達と作りが違っていました。射精後、僕の顔は輝きませんでした。暫く活動が再開出来ない程に疲れ果てました。破壊されました。それは全然サイコウで無かった。
遺書はつづきます。[編者]
伶門のタイプライタ原稿に忠実な翻字は以下で
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