編者注:スミツキ括弧【 】は、今までと同じく、滋子の原稿にあるミセケチです。(天野)
「曇れる日。山手公園。」
坊、貴方はどこまでもお姉ちゃんの坊よ。決して、決して、どんなことがあっても、お姉ちゃんは貴方を愛しなくなるなんて決してない。貴方は勇気をもって告白してくれた。私にばかり恥かしい思をさせまいと。貴方は朝から深く考込んでいた。ソファーに二人並んで掛けて、レコードを聴いた。以前の癖だった、ゆっくりと、うっとりと眠たげな瞬を、貴方はしていた。貴方も私も思い出の、大好きなフランクのソナタを一曲聴終ると、「お姉ちゃん、散歩に行こう?うんちが出るよ?」私を促して、外に出た。貴方はテテの紐を持ち、あの憩の場所、愛すべき二人のサマーハウスに私達は出掛けた。曇っているから気温はそんなに高くはない。けれど、湿度があってむしむしする。なのに私は長袖。貴方は「お姉ちゃん暑くない?もう半袖にしたら?」と、私が汗になるのを気遣って、ずっとテテの紐を持ってくれた。私は「んん?大丈夫。お姉ちゃんは夏でもいつも長袖。焼きたくないから。」と言った。嘘!嘘嘘嘘!でも貴方は「ふーん。美人は大変だね。」と私の言葉を疑いもせず、紐を持って歩続けた。私は嘘つきなのに、貴方は嘘つきに告白した。
「お姉ちゃん、私、お姉ちゃんに言ってないことがある。その所為でお姉ちゃんは私を実際よりも良い子と思っている。今日は全部言うね?」サマーハウスの中に座り、テテの紐を手まさぐりにして、こめかみの黒子も鮮かに、ゆっくり瞬いて、「お姉ちゃん、私、子供を堕したことがある。」私は顔面から血が引いてゆくのが分り、俄に吐気を覚えた。「相手は親戚の人。義理のおじさん。私を引取った人。叔母さんの旦那さん。中学二年生の夏だった。無理やり裸にして玩具にした。嘗めたり、指を入れたり。変態だった。左手の怪我した指を口の中に入れてぺろぺろ嘗めるの。それが一番興奮するって。変態だった。最後はいつも指を嘗めながら、おなかの中にするの。初て犯されたときは初潮前だった。何回犯されたかも分らない。何十回も。秘密をばらしたら私を殺して自分も死ぬって。三年生のときだった。姙娠した。隠していたけど、結局は叔母さんにばれた。物凄くぶたれた。でも許すって。許すから病院に行こうって言われて手術を受けさせられた。学校にも知れて退学するようになった。そのあとも叔母さんの目を盗んで車の中とか放課後の小学校で待合せて関係した。そうしないと死ぬって。おなかの中にするのはいつも生理の日を選ぶから、しょっちゅう血だらけになった。おなかの中にしない日は私を玩具にして、最後は怪我した指を嘗めて、お尻の中にした。叔母さんも見て見ぬ振をするようになった。けれど、おじさんのいない所ではいつもぶった。家に小学生の従兄弟が二人いて真似して私をぶったり蹴飛ばしたりした。横浜に逃げてきたんです。おじさんは追掛けてきて友達の所から連戻そうとした。アパートの前で待伏したり工場にやってきたり。私、途方に暮れているときに、お姉ちゃんに助けられたんです。あの晩なんか、大きな荷物を抱えてうろうろして、もしもホテルに泊めてくれなかったら、どうしていいかも分らなかったと思う。実は五月六月にも何度か会った。又友達のアパートに押しかけてきたんだもの。でも、もう二度と関係はしなかった。話して山形に帰ってもらった。もしも叔母さんと離婚して子供も手放すなら私、そのときに初て結婚を考えるって。」私はどうしても濃い苦いお茶を飲まなくてはいられなくなった。貴方に何と言って別れたのかもはっきりしない。タクシーに乗って、私一人だけでふらふら帰ってきて、抹茶をお湯に溶して狂ったように飲んだ。胃が受付けずに、すぐに戻してしまった。
でも坊、貴方はお姉ちゃんの妹であることにかわりはない。貴方は生れかわったのよ!一緒に教会に行って洗礼を受けましょう?お姉ちゃんも受直す。おじさんなんかに渡しはしない。絶対に。貴方はお姉ちゃんの妹。今度パパとママにも認めさせる。だから、いつまでもいつまでも仲良く暮そうね。【 (完) 】
八月九日
おねえちゃん。滋子おねえちゃん、泣かないで下さい。笑って下さい。これでお別れではないんだからね、おねえちゃんと私は。元気を出して。毎晩会いに来る。私が来れない時はおねえちゃんが来て下さい。テテを連れて来てね。休みの日には泊まりに来てもいいでしょ、ね、おねえちゃん。おねえちゃん、泣いてはいけませんよ。笑って下さい。一緒に京都に行けないのは残念だけど、今度、秋にでもまたゆっくり見せて下さい。その時は、銀木犀の香りを嗅ぎたいね。お父さんとお母さんには呉々も宜しく伝えて下さい。ついでに拾遺さんにも。.....ナンチャッテ。おねえちゃん怒った。恐い、恐い。そうだ、おねえちゃん、拾遺さんを連れて遊びに来て下さい。拾遺さんはたちまち寮の有名人になって、知り合いの私は鼻が高いでありましょう。ナンチャッテ。また冗談です。おねえちゃんが連れて来るわけがないもん。わざわざ真っ黒こげのこがし餅を焼きにね。アッカンベー!おねえちゃん、愛しているよ。本当だよ。手の事は心配しないでね。ある所がふくらんで来たら手の事も考えて下さい。でもまだまだ先の事でありましょう.....。じゃーね、おねえちゃん。また来週二十日に来るからね。晩御飯を作って食べようね。ちゃんと晩御飯を食べるんだよ!それからおねえちゃん、納豆を食べなさい。好き嫌いが多すぎるからウンチが出なくなるんだよ。朝と晩に納豆を食べる事。それから朝と夕方は、テテの散歩をする事。そうすれば必ず気持ち良く出るよ。あー、そうですか。散歩の方は言われなくても朝八時と午後三時にどっかの公園をうろつくんでありますか。それはそれは御苦労様でありました。アッカンベー!ファウストを読んでおいてね。感想を話し合おうね。楽しみにしているよ。じゃ、また二十日にね。昼すぎには来れると思う。電話するから。じゃーね、お姉ちゃん、もう書く所がないからね。どうしても寝る前にキスがしたくなったら、このカードと一緒に私の枕を抱きしめて「Do you love your big sister, Beau?」ときいてみてごらん。必ず答えるよ。
Very, very, very much, Onaychan!
ひたぶるに一途なことを言って女をその気にさせた彼、本当にしみじみとしたことが沢山あったのが、そのあとで何がどうなったのかしら、手紙を送ってきて書いてあることには、僕の胸の中に燃える火は、恋の火ではないのです。僕がしげ子さんに燃やす思ひは、所詮キューピッドの気まぐれに過ぎない「恋愛」なんかより、はるかに清浄なものなのです。僕は、しげ子さんの心を乱したくありません。しげ子さんの喜びを損ないたくないのです。僕のは恋なんかではない!世界中の恋人の恋の火を集めても、僕の胸に燃える思ひにまさることはない。恋の火ならば燃え尽きる時が来る。この火が消える時は永久に来ないでしょう。そして永久に、ああ永久に、僕のしげ子さん、貴女に神様の祝福がありますように!とそんなふうに言ってきたのにつけ、彼女、ラジカセのスイッチを入れてあのピアノとバイオリンの調べ、そして、例の枕をだっこしてふとひとりごと。何をかは待つちの山のをみなへし秋とみし夢夢ならなくに。 (完)
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