見も知らぬ医者になんか、体を見せるのはお断だから、健康診断はいつも狡休して、そのために、又問題になったりもしたけれど、パパなら、ちっとも恥ずかしくはなかった。私のことを、何でも知っていてくれた。そうだからといって、ママよりも、パパを愛したのではなくて、ただ、パパは、熊のように毛むくじゃらで、大きくて、布袋腹なのが頼もしくて、そのくせ、私が知っている誰よりも優しい、心の綺麗な、本物の紳士なので、落着かないようなときには、パパに甘える癖が付いていただけなのだ。ママも大好きで、パパにしてもらわないときは、ママに剃刀を当ててもらうし、おかえしに、私が、背中も流してあげれば、頭だって洗ってあげる。私は、そういうときには、うしろから抱付いて、自分を育ててくれたおっぱいの重みを、両の掌に感じ、ママ愛している、大好きと言って、背中に頬擦するのが、無上の喜だった。
学校で苛められた、苦い経験から、教会では、知られないようにしていたけれど、パパは、ああいう、大きな人だから隠したりなどしない。又、知らないところで噂になっていた。U.S.から帰ってくると、男の人は、しきりに、交際を求めてきて、そのくせ、必ず、最後には、「あの事」を持出す。滋子さん、お父さんから離れて下さい、僕は、考えるとやりきれないなどと。ママとの関係は問題にしないくせに。
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