でも、私は、いつも、そうして、私を良い気分にさせてくれる両親が、何よりも大事だった。アメリカから帰ってきて、久しぶりに、パパの背中を流しに入っていったら、いつになく照れて、何や、滋坊でも、目の遣場に困るなと言って、目を背けた。でも、そんなのは最初だけで、滋坊は芸術だ、誰それの油絵より、滋坊の方がずっと綺麗だ、こうなってくると、旦那さんだけに一人占さすのが勿体なくなってくる、ゴヤにでもルノアールにでも見せてやりたかったわ、ほんまにと、いつも、仕事から帰ってくると、背中を流してあげるのを楽しみにしていたパパなのに。お嫁に行く前に良く見せてくれと言って、いつも、悲しそうな目で見つめ、美人や美人や、滋坊はほんまもんの美人やと言って、ママと一緒になって喜んで、息がとまるほど抱締めたものなのに、かわいそう。
分ってほしい。私と両親の関係はそういうものだった。私は、両親と同じものなのだ。両親の体内から出てきたのだ。母親を嫌ったり、父親を疎んじたりすることなんか考えられない。どうして、私が変態ポリーであるものか。天に唾するのと同じではないか。同じ屋根の下に暮して、同じ風呂には入るな、同じベッドには寝るなと言う方が不自然ではないか。夜は、ママと寝ることもあれば、ママとベッドを交換して、パパに抱いてもらって寝ることもあるのは、子供のころからの習慣だ。学校でからかわれようが、変えなどするものか。大きくなっても、ずっと続いた。気が苛立っているときとか、不安なときとか、何となく満されないときとか、ママに抱かれるよりも、パパに抱締められる方が効果的だった。風邪で熱を出したときには、いつも、メンソレータムを塗ってくれるのはパパだった。
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