パパの言ったことが正しかった。学年が上っても、大人になっても、パパに植付けられた自分が、パパをきらいにならなければならない理由は、ついに見当らなかった。プールの季節になれば、腕の下に、黒子があって、自分でするのは危いからと、剃刀を当ててくれたけれど、それも、自然に生えている物を、本当は、必要だから生えているのに、剃ってしまうのは間違っている、でも、皆がそうするのだから、滋坊一人が、ここが黒かったら、変な目で見られる、しかし、滋坊は、そのままにした方が、ずっと綺麗だなと言うので、水着にならないときはそのままにした。言われてみると、自分の目にも、ずっと綺麗だった。今は持余すほどだけれど、手を加えない。坊も、そのままにほったらかしているのは良いけれど、鎌倉に行った日は、腕を上げる度に見えてかわいそうなので、グリーン車に乗せた。それからは、坊に着せる物は、襟だけではなく、袖もしまる物を選んでいる。そうすれば、わざわざ、坊の体に、不自然な細工をしなくてもすむ。性教育にしても、これにしても、どんなに、世の中が間違だらけで、パパが正しいか、疑うべくもなかった。剃刀を滑らせながら、こんなに綺麗に生揃ったものを、なんでわざわざ、勿体ないと言いつつ、それでも、いつも、滋坊は美人になるぞ、今から楽しみだ、自分の目に狂はないと言った。言われる度に、自分でも、綺麗になってゆく気がして嬉しかった。
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